●幸せで怖くて―――消えるはずだった予知の巫女は・・・ の番外編

■結婚式の一か月前


=美桜視点=

 結婚式まで、あと一か月。
 そう意識するようになってから、私は少しだけ落ち着かなくなった。

 幸せなはずなのに、胸の奥がざわつく。

 レイスさんと一緒にいる時間は、もう当たり前になった。
 それでも、会う前になると、どうしても不安になる。

 今日こそ、距離を置かれるんじゃないか。
 重荷だと思われるんじゃないか。

 そんなこと、あるはずがないのに。
 でも――。

 扉を開けて、レイスさんの姿を見つけた瞬間。
 その不安は、驚くほど簡単に消えてしまう。

 視線が、迷いなく私を捉える。
 周囲に誰がいようと関係なく、まっすぐに。

 それだけで、胸がきゅっとなる。

 触れ方も、距離の取り方も、いつも同じだ。
 私が怖がらないように。
 私に負担をかけないように。
 それでいて、離れる気配は一切ない。

 過保護だと思う。
 でも、その過保護さに、私は何度も救われている。

 付き合い始めてから、結婚の話は信じられないくらい早く進んだ。
 根回しは完璧で、私は流されるまま、
 気づけば一か月後には婚約者になっていた。

 本当は、その三か月後に結婚する予定だった。
 けれど、仕事の都合で、式は一年後に延期になった。

 あの時のレイスさんの落ち込みは、
 今でもはっきりと思い出せる。

 ……私は、少しだけほっとした。
 心の準備が、追いついていなかったから。

 でも、今は違う。

 結婚式は、あと一か月。
 正直に言えば、待ち遠しい。

 だって、レイスさんは、任務に出るたび怪我をして帰ってくる。
 そのたびに、「無事でよかった」と思うより先に、
 「離れている時間が怖い」と思ってしまう。

 今日着ているドレスは、
 ロイド様とリリア夫妻の家で開かれる、
 小さなパーティーに招かれたからだ。

 親しい人だけを集めた、ささやかな集まり。
 それでも、レイスさんは一切妥協しなかった。

「……綺麗だ」

 貸衣装店で着替えた私を見るなり、そう言われる。

「すごく、よく似合っている」

「あ、ありがとうございます。それに……このドレスも、靴も……」

 素直にお礼を言いながら、顔が熱くなる。

 レイスさんは、今日は黒の礼服姿だった。
 騎士服よりも落ち着いて見えて、
 それがまた、ずるいくらい格好いい。

 並んで立つのが少し怖くて、
 私は鏡を見ないようにした。

 今日身につけているものは、全部レイスさんが用意してくれた。
 イヤリングも、ネックレスも、髪飾りも。

 ドレスと靴は、買おうとするのを必死で止めて、
 なんとか貸衣装にした。
 それでも、この値段は私の給料じゃ無理だと思う。

「美桜に似合うものを、妥協できない」

「……そんなふうに言われると、困ります」

「困らせたいわけじゃない。
 大切にしてるだけだ」

 最近は、何でも私のために買おうとするのを、
 ちゃんと断るようにしている。

 そうしたら、

「美桜以外に、お金の使い道がない」

 と真顔で言われて、
 小さな喧嘩になったこともあった。

 本当に、逃げ道がない。

 差し出された腕に、そっと手を絡める。
 その瞬間、指が絡め直されて、
 逃げないように、しっかりと繋がれた。

 レイスさんは、自然に私の歩幅に合わせる。

「リリアに会うの、久しぶりで、楽しみです」

「結婚してから、なかなかゆっくり話す機会がなかったからな」

「そういえば……」

 ふと思い出して、口を開く。

「レイスさん、リリアとロイド様の結婚式に出られたんですよね?
 見たかったなぁ……。
 リリアもロイド様もすごく綺麗で、
 タペストリーみたいだったって、メイドさんたちが言ってたんです」

「ああ」

 短く相槌を打ってから、
 レイスさんは少しだけ間を置いた。

「……確かに、綺麗だったけど」

 そこで一度、言葉を切る。
 視線が、ゆっくりと私に向けられる。

「俺が一番綺麗だと思ってるのは――」

「……そ、それ以上はいいです」

 慌てて遮ると、
 レイスさんは心底楽しそうに笑った。

「最近、意地悪ですよね」

「意地悪じゃない。
 本気だ」

 その一言に、胸がぎゅっと締め付けられる。

 結婚式まで、あと一か月。

 ウェディングドレスも、ほぼ完成している。
 その費用も、全部レイスさんが払ってくれた。

 貸衣装でいいと言ったのに、
 そこだけは、絶対に譲らなかった。

 式は派手にはしない。
 教会で挙式をして、その後は、
 王宮の職員食堂でささやかな食事会。

 私もレイスさんも、同じ城の職員だから。
 それが一番、気楽だった。

 引っ越しも、少しずつ進めている。
 タンスも、鏡台も、全部レイスさんが用意してくれた。

 休みの日に、少しずつ。
 彼の家に、自分の居場所を増やしている。

 不安が、なくなったわけじゃない。

 だけど、逃がさないと、
 何度でも、言葉と行動で示してくる。

 だから私は、
 結婚式の日を、静かに待っている。

 ――レイスさんの隣が、私の居場所だと、
 もう分かっているから。





=レイス視点=

 結婚式まで、あと一か月。

 その言葉を、頭の中で何度も繰り返してしまう自分がいる。

 正直に言えば、浮かれている。
 こんなふうに、先の予定を思い描いていい立場になる日が来るなんて、
 少し前まで、考えることすら怖かった。

 美桜が隣にいる。
 手を伸ばせば、触れられる距離にいる。

 それだけで、胸が満たされる。

 ……同時に、理由のない不安も消えない。

 ふとした拍子に、
 また突然、いなくなってしまうんじゃないか。
 手を離した瞬間に、消えてしまうんじゃないか。

 そんな考えが、頭をよぎる。

 だから、つい過保護になる。
 必要以上に気を配って、
 少しでも離れそうになると、無意識に手を引き寄せてしまう。

 自分でも、みっともないと思う。

 それでも――
 失うかもしれないと思うより、
 抱え込んでしまう方が、まだいい。

 あと一か月。

 その日が来れば、少なくとも、
 「隣にいる理由」を、誰にも否定されなくなる。

 それまでは、何度でも確かめる。

 美桜がここにいること。
 自分の隣にいること。

 ――離すつもりは、最初からない。