新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~


(もっとちゃんとお話しした方がよかったのかな。でも、別れが辛くなっちゃうから……)

 地上でシオンがどんな顔をしているかも知らず、リエルは全てを終えた心地で空を上へ、上へと飛んでいく。
 
 やがて、光溢れる天界の門が見えてきて、懐かしい気持ちになった。
 門をくぐれば、そこはもう異世界、天界だ。
 
 天界は、いつもよりざわついていた。
 天界の住人の間で注目されていた堕天使の慣れの果て、瘴気竜問題が解決し、功労者の天使が帰還したからだ。

 予想していたが、最初に出迎えてくれたのは懐かしき大天使ジブリールだった。
 陽光を束ねたような金色の髪を靡かせて、小さな星竜ルキを抱っこしている。

「リエル。よく戻ったね」
「ジブリール様、遅くなり、申し訳ございません。ただいま帰りました」
 
 近くで見ると、ジブリールは以前よりもやつれていた。
 金色の輝きはわずかに翳り、目も充血していて、表情には人間の親が子に見せるような愛情が溢れている。

「私が悪かった。お前に苦労させて、すまない」
「いえ……おかげで、素晴らしい経験ができました」

 エメラルドの瞳に溢れる人間らしい感情が、今のリエルには読み取れる。

 そこには、親が子に向ける感情が、いくつも折り重なって滲んでいた。

「ジブリール様は、すごく地上的な感性をお持ちの方ですね」
「よく言われるよ。それにね、実は天使は皆そうだ……」
 
 以前は想像できなかったが、今ならわかる。
 ジブリールは、自分の子供が嫉妬や憎悪で苦しみ、堕天して瘴気竜となったことや、その存在を消滅させないといけないことが嫌だったのだろう。まるで人間のような地上的な感性を、この大天使は持っているのだ。
 
「リエル。私は……」
「心配してくださっていたのでしょう?」
「うん、うん。そうだ。私はお前を心配していたよ」
「ご心配をおかけして、すみません」
 
 ぎゅうっと抱きしめて帰還を喜んでくれるジブリールは、温かかった。

「力があるというのに、我が子を直接救ってやれない情けない親なのだ、私は」
 
 大天使は完璧な存在ではないのだ。
 人間たちのイメージとの違いを実感しつつ、リエルはぽんぽんとジブリールの背中を叩いた。

「そんなこと仰らないでください。でも、もっと何かできたらいいのに」
「本当だね。天界の規定を変えたいものだ。改革しようかな」
「天使の方々はのんびりなさっているところがあるので、改革しようかなと言いながら何千年も会議をなさってそうですね」
「他人ごとのように言うようになったじゃないか。地上っぽくてよろしい」
 
 言われる通り、とリエルは瞬きをした。
 元から地上寄りのものの考え方だと言われていたが、自分はすっかり地上に染まったらしい。
 地上にいる頃には「ここは自分の居場所ではない気がする」と思うことが多かったのに、不思議なものである。

「ジブリール様。それはそれとして、これまでの経緯について報告申し上げたいと思います」
「うん。天界会議にて報告してもらいたい」
「かしこまりました」
 
 懐かしい会議場に行くと、天使たちが円環状に並んで変わらぬ姿で論議していた。
 リエルは中央に立ち、これまでのことを報告した。

「以上が、地上で起きた一連の出来事です」

 天使たちの反応は様々だった。

「堕天した同胞を浄化し、災厄を鎮めて地上を救済したのだ。素晴らしい功績ではないかね」
「記憶を失っていたのは失態では?」

 功績を称える声もあれば、時間がかかったことを責める声もある。
 その様子は、どこか地上の人間たちの社会とよく似ていた。
 天界の住人もまた、人と同じく感情を持ち、評価し、裁く存在なのだ。

「ご指摘の通り、地上の人間たちの助力がなければ、私は今ここに立つことすらできなかったでしょう。何より、人間たちが自らの意志と力で災厄に立ち向かわなければ、救済は成立しませんでした」

 殊勝に言うと、失態を責めていた派閥が「それ見たことか」「本人も非を認めているぞ」と勢いを増す。
 このままだと自分はどうなるのだろう、と考えていると、会議場の外から騒がしい声が聞こえてきた。

「侵入者だ!」
「なぜ人間が……」

 何事、と場内が浮足だったとき、会議場の扉が開け放たれる。
 動揺した現場に外の風が吹き込んで、場違いなほど涼やかな声が響いた。

「――失礼する」
 
 リエルは現実を疑った。

「――シオン様……⁉︎」
 
 聖獣ケイティに導かれ、堂々と歩み入るのは、この場所にいるはずのない『人間』。
 染めた紫色の髪をした美しい青年――シオンだった。

「なっ……なぜ、ここに人間が⁉︎」
「前代未聞だぞ!」
「生きている者が来れるはずがない」
「死者が選別前に暴走しているのか……⁉︎ しかるべき場所に連れて行け!」
 
 場が一気に騒然となる。

 リエルの胸が、嫌な音を立てて跳ねる。

 人間はここには来ない。来るとしたら、いつも見届けてきたみたいに地上での生命活動を終えて天に召されたときだ。
 
「……まさか、死んでしまったんですか?」

 嫌だ。
 自分でも不思議なほど心が乱れた。
 不思議だ。人の死は身近なもので、慣れていて、数えきれないほど見送ってきた。なのに今、こんなに動揺してしまっている。
 ……この人に生きていてほしい。
 そんな思いがあるからだ。
 
 揺れるリエルの思考を断ち切るように、シオンがぽん、と頭に手を置く。
 
「安心しろ。生きてる」

 あっさりと言い切って、シオンは肩をすくめた。

「迎えに来ただけだ。――俺の天使を」
「……っ」

 不遜に言う彼を見て、天界の住人たちのざわめきが怒号に近づいていく。

「不敬だ!」
「天界を何だと思っている!」
「人間が、どの口で――」

「その前に」

 シオンは、評議の中心を見渡して笑った。

「契約の話をしようか」

(契約?)
 
 リエルは首をかしげた。

「俺が最初に天界と交わした魔法陣の契約文言だ」

 シオンは指を鳴らした。すると、虚空に魔法陣が展開される。
 魔法陣には、明瞭な魔法文字で書かれた文言がある。

『天使の子孫であるハルティシオンは天に願う。目の前の天使が消えることなく幸せに生きられますように。消滅するのが惜しい、もっと生きたいと思うような未練ができますように。願いを叶えてもらえるなら、ハルティシオンは代償を払います』

「天使様は、俺の世界から消えてはならない」

 ――何?
 
「天使様は、本人が幸福だと感じる生き方をしていないといけない。俺はそう願ったのだが、全然叶えられていないのではないか?」

 シオンは不満げに天使たちを見渡し、リエルの肩を抱き寄せた。そして、リエルの目を覗き込む。その真摯な熱に、リエルの胸が高鳴った。

「天使様。今、あなたは満たされていますか? あなたが本当に望んでいたことは、何ですか?」

 その言葉に、思い出す。

「自分の居場所は、自分が決める。王都で、王城で、侍女長みたいに格好いい職業婦人になる……」

 リエルが言うと、シオンはニッと口の端を持ち上げた。

「そして、この俺と末永く幸せに暮らす!」
「えっ……」

 そんな思い……ある。思い当たるだけに、リエルは真っ赤になった。
 そんなリエルを横抱きに抱き上げて、シオンは昂然と言い放つ。

「俺はこの天使を、地上へ連れ帰る。――異論はあるか」

 ジブリールが真っ先に席を立つ。

「王子よ。契約を持ち出すが、代償の瞳や聴覚、生命力は私の娘が天使の力で戻したではないか」
「俺はパン屋でパンを買い、金を払った。パン屋を出た後で払った分の金をリエルが補ってくれたからと言って、俺がパンに金を払った過去はなくならない。それより買ったのだからパンは寄越せ」
「小賢しいな」
 
 天使たちの中には「生意気だ」「人間ごときが」と激昂する者もいたが、好意的な意見も出る。
 特に、ジブリールが不機嫌な様子を楽しむミカエルがシオンに強く味方した。

「はははっ、人間は無知で無力だと思っていたが、なかなか面白い男だ! ジブリールめ、ざまぁみろ」

 ミカエルの快活な声に、同調する天使が増えていく。
 
「そもそも天界に乗り込んでくる時点でたいしたものだ」
「気に入った」
 
 会議場の空気が緩む。
 そして、視線がリエルに向けられる。

「お前の本音は、どうだ?」

 ――未来を決めるのは、あくまでもリエルだ。彼らはリエルに選ばせてくれようとしているのだ。
 
 それを悟って、リエルは息を吸い、はっきりと告げた。
 
「私は、人間としてもっと生活を続けたいです」

 抱き上げられた姿勢で間近に見えるシオンを見上げると、言葉は自然と続いて出た。

「……気に入っているので」
「……!」

 シオンの瞳に歓喜の色が咲く。
 彼が笑顔になるのが、嬉しい。自分の言葉で喜ばせることができることに優越感が湧く。
 同時に、恥じらいもある。
 別にシオン様だけが気に入っているとは言ってない、人間や地上、全般が気に入ってるんです、なんて言い訳したくなる。
 補足しようか、と思った瞬間に、柔らかな声と雫が降ってきて、リエルは口をつぐんだ。

「ありがとう。俺を選んでくれて」

 シオンの瞳から、透明で綺麗な涙が流れていた。
 リエルは、その涙が世界で一番美しいと思った。

 見つめ合うふたりに感じ入るものがあったのか、ジブリールも肩を竦める。

「まあ、うちの娘が望むのなら、親としては許そうか……」

 ミカエルはそれを見て、意地悪に背を叩いた。

「ジブリールは地上贔屓すぎるし、子育てが下手すぎる。なにより、無責任だ。反省するのだな!」
「そんなことはない。私の子は皆、私の大切な……」
 
 リエルはその声に、堕天使ルキフェルを想った。
 ジブリールは彼(彼女)なりに、ルキフェルを救おうとしていたのだ。
 きっと、この場にいる他の天使たちは、誰も知らないけれど。

 リエルはそっと言葉を届けた。
 
「ジブリール様。()は、ごめんなさいって言ってました」
「……リエル。教えてくれてありがとう」
 
 エメラルドの瞳は切なく微笑み、「私はやっぱり、子育てをもっと学ぼう」と呟く。すると、ミカエルは少し優しい眼差しでキャンディがたくさん詰められた瓶を出し、リエルが好きなレモン味のキャンディをジブリールとリエルにくれたのだった。
 
 天使たちは、一連のやり取りを見て、リエルの門出を祝福して送り出してくれた。
 誰かがベルを揺らして音を立て、つられたように誰かが黄金のトランペットを吹き鳴らす。竪琴が奏でられて、歌い出す天使が現れる。
 祝福の音頭を取るのは、大天使ミカエルだ。

「祝福しよう」

 彼の声に、天使たちが言葉を連ねる。
 
「この天使に、幸あれ」
「この人間を讃えよう」
「地上の民に祝福を!」

 祝福が空気を震わせ、胸をいっぱいに浸してくれる。
 心地のいい幸福感を胸に、リエルはシオンに抱かれて聖獣ケイティに騎乗し、会議場を出て、光の門へと飛んでいった。
 
 大天使ジブリールは見送りのために大きな純白の翼を広げて飛翔し、門まで付いてきてくれた。