ユスリカ

 一週間ぶりに制服を着た。

 鏡の前に立つと、そこにいたのは“いつもの自分”みたいな顔をした他人だった。


 目の奥が死んでいる。そうだ、僕は一週間前、姉ちゃんの死をのりこえられず、死んだんだ。



 学校までの道は、相変わらずだった。

 コンビニの前で掃除する人も、横断歩道の前で旗を振っている人も、通行人も。

 世界は何も失っていないみたいに動いている。

 校門をくぐると、すぐにさあやが見つけてくれた。



「ジュン……」


 走ってきて、何も言わずに僕の腕を掴む。


「来てくれてよかった……」

 その声が震えているのがわかった。

「ナオキも来てるよ」

「え?」


 昇降口の柱のところに、ナオキが立っていた。ちょっと緊張した面持ちをしている。

「お前の一大事だろ」

 それだけ言って、目を逸らす。ナオキが学校に来るなんて、よほどだ。



    ☆



 3人で誰もいない理科室に移動した。机に並んで座ると、さあやが先に口を開いた。

「……話して」

 僕は一度、深く息を吸った。

「……ユスリカが死んだ」

 二人の表情が止まる。

「俺の姉ちゃんだ。一週間前、家にダンボール箱が届いた。中身は姉ちゃんの……肉片だった」


 ナオキの眉が寄る。さあやは口元を押さえた。

 僕は続けた。


 姉ちゃんがユスリカとして絶大な人気を誇っていたこと。
 その姉に嫉妬して、殺虫剤というアカウントを立ち上げたこと。
 姉ちゃんと和解したこと。
 今は、姉ちゃんを心の底から、尊敬していること。


「……姉ちゃんは、ファンとは交流しないって言ってた」

 僕は俯いた。

「事実、俺がファンからもらった万年筆には発信機がついていた。姉ちゃんは、ファンの誰かにやられた可能性もある」

 さあやは唇を噛んだ。

「……ねえ。ジュン。最近、事件あったの知ってる?」


 僕は首を振る。


「ジュンがあの音声を公開した日の、数日前」


 さあやはスマホを取り出した。


「小学生が、行方不明になった」


 画面には、ニュース記事が映っていた。肉片となって、見つかったと書いてある。


「殺虫剤はシリアルキラーなんじゃないかって、コミュニティで話題になってる」

「違う!!」

僕は思わず叫んでいた。


「分かってる。でも、あの音声データ、本当の殺しの音声なのかもしれないのよ。もう一度、聞かせてもらうことってできる?」


音声データの入ったUSBは持っている。気持ち悪くて、でも、これだけが、姉ちゃんとつながるなにかの気がして持っていた。中身は、怖くて確認していない。

僕が恐る恐る、USBを取り出すと、

「再生してみよう」

さあやが僕の顔を見た。



    ☆



その日、僕らはさあやの家に集まって、ノアから渡されたデータを再生した。


最初は、雑音だけ。

 次に、鈍い音。

 ぐしゃ、肉と床がぶつかるような音。

 何度も。何度も。ぐしゃ、という音。


 息が止まる。
 さあやが顔を背ける。
 ナオキが歯を食いしばる。


 そして最後。かすれた声が聞こえた。


































































『殺すのは……わたしだけにして』



 姉ちゃんの声だった。
 世界が、ひっくり返った。

 僕は思わず顔をあげる。ナオキもさああも僕を見ている。

「ああああああああああああああ!!!!」



 僕は椅子からずり落ちて、床に膝をついた。さあやが駆け寄ってきて、僕を抱きしめる。



「ジュン……ジュン……」



 ナオキは机に拳を叩きつけた。
 姉ちゃんは、知っていた。

 ファンがどんなに怖い存在なのかってこと。
 きっと僕を守ろうとしていた。


 そして、殺された。


 パソコンの画面は、まだ再生終了のまま光っていた。

 そこには、姉ちゃんの命の残り滓が、静かに保存されていた。