ユスリカ

家の角を曲がった瞬間、視界に赤いランプがいくつも点滅しているのが見えた。





 ――あれ?




 一瞬、事故かなと思った。
 でも、次の瞬間には分かってしまった。

 パトカーが、うちの前に何台も停まっている。

 心臓が、変な音を立てた。

 足が勝手に速くなる。リュックの中の教科書が背中で跳ねる。
 玄関の前には制服姿の警察官が数人いて、近所の人たちが遠巻きに立っていた。



「あの、なんですか」


 意味が分からないまま、人の隙間を縫って中に入る。
 リビングから、聞いたことのない母の声が飛び出してきた。


「わかちゃあん……! わかちゃあん……!」


 泣き叫ぶ声。喉が裂けそうな叫び。


「母さん!」

 僕が駆け寄ると、母は床に崩れ落ちたまま、僕の腕を掴んだ。


「ジュン……ジュン……」


 涙で前が見えなくなっていた。僕はいつの間にか泣いていた。


「わかちゃんが……お姉ちゃんが……」


 母は言葉にならない声で、同じ単語を繰り返す。父は壁にもたれて立ち尽くしていた。
 警察官が何か説明しているけれど、耳に入らない。


 そのとき、僕は悟ってしまった。
 もう姉ちゃんが、僕の名前を呼ぶことがないことを――。





    ☆





 それからの時間は、ところどころ欠けている。

 気がつくと、家の中には遺影が飾られていた。

 笑っている姉ちゃんの写真。あまりにも綺麗で、現実感がなかった。
 母は位牌の前に正座したまま、ぼんやりと座っている。


 泣いてもいない。瞬きもしない。
 まるで電池が切れたみたいだった。


 僕は二階へ上がった。
 姉ちゃんの部屋のドアを開ける。


 まだ、姉ちゃんの部屋の匂いが残っている。
 紙と、インクの匂い。
 ベッドの上には脱ぎかけのカーディガン。
 机の上には開いたままのノート。
 全部、そのままだ。


「……姉ちゃん……」


 声に出すと、喉の奥が熱くなった。
 引き出しを開けて、遺品を整理していると、小さな紙袋が出てきた。


 僕の名前が書いてある。震える手で中を見る。
 僕が欲しがっていたGショックと、短いメモ。


『誕生日おめでとう、ジュン』


それと、『恥ずかしくて言えなかったけど、奨励賞をいただきました!賞金ちょっとだけど、みんなでご飯食べに行こう』というメモの入った封筒にお金。


 視界が歪んだ。


 姉ちゃんは、ちゃんと賞を取っていた。
 あの日、落ちたって母に言われて、僕が「ざまあみろ」なんて思った、その裏で。

 胸の奥が潰れる。
 声を殺すこともできず、僕はその場に座り込んで泣いた。



    ☆



 机の上のパソコンに触れた瞬間、ラインの通知音が鳴った。ノアだ。


『動画、見てくれました?ユズリカ先生。私は、ユスリカ先生の相棒になりたいのです。これからも一緒に最高のホラー作品を作っていきたいです。これは、私の愛の証です。さあ、一緒に次回作の構想をいたしましょう!』

「……それどころじゃねえんだよ!!」


 思わず叫んでいた。
 姉ちゃんは死んだ。

 家は壊れてる。
 母は魂が抜けてる。

 なのに、こいつは“次回作”?

 指が震えたまま、ノアをブロックした。


    ☆


 夕方、インターホンが鳴った。
 さあやだった。


 玄関で顔を見た瞬間、僕はまた泣いた。

 さあやは何も言わず、黙って僕の背中を叩いた。
 しばらくして、さあやは小さなお守りを差し出した。


「これ」

「……なに」

「作ったの。肌身離さず持っててほしい。ジュンが心配だから」


 僕が戸惑っていると、さあやはまっすぐ僕を見た。


「ジュンまで死んだら、わたし、いやだよ」



 その言葉が、胸に突き刺さった。僕はお守りを握りしめる。


「俺が……」

 声が詰まる。

「俺があのとき……あのとき……」


 どうにかできただろうか。
学校に行く姉ちゃんを止めて、二度と外に出るなと行っていたら、姉ちゃんは死なずに済んだだろうか。後悔が、波みたいに押し寄せる。でも、どんなに泣いても、嗚咽しても、時は戻らない。

 さあやは首を振った。

「ジュンのせいじゃない」


 違う。ずっと姉ちゃんがいなくなればと思っていたのは僕だ。


“ざまあみろ”。
 そう思っていたのは、全部、僕なんだ。