目の前にそびえ立つ重厚な木製の扉。
扉に貼られた純白の木製の板には「副局長室」と書かれている。
どこか楽しそうなリオーネに比べ、重く伏せた表情を見せているハルネ。
ハルネがその扉のドアノブを握って、既に10秒は経過している。
リオーネは何も喋らない。
ふいと振り返るハルネ。
リオーネの明るい表情を見て、ムッとした表情に変わり、再び扉と睨み合う。
その苛立ちが迷いを断ち切ったようで、覚悟を決めて、扉を開けた。
――ギギィ……
覚悟を決めた表情と裏腹に、扉を開ける勢いはひどく小さいものだった。
まるで悪さをした子供が、その悪事を親に打ち明ける時のように……
ハルネはゆっくりとした動作で扉を開け、小動物のように副局長室へと足を踏み入れる。
そんなハルネの所作に、どこか可笑しそうな表情でリオーネも部屋に入った。
―――――――
「戻ったわ。 すぐそこにいた」
リオーネさんのその言葉に、恥ずかしさを覚えた。
どんな顔してオジさまと顔を合わせればいいのよ……
何か叫んだと思えば、いきなり部屋を出て行って。
そしたらまた部屋に戻っては、バスケットを叩きつけて。
さらに出て行っては、また戻ってくる。
……自分でも全然意味わかんない。
とにかく情けない気持ちと、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
リオーネさんに促され、部屋に戻ってきたはいいものの……
胸のざわざわは、止まる事は無かった。
「……ハルネ嬢」
「……っ!」
オジさまの声に、思わず身体が硬直する。
名前を呼んでくれて嬉しい気持ち。
嫌われてないかと不安な気持ち。
ない交ぜな感情が、頭と口を上手く回らなくする。
「……あの、その……えっと……」
こちらに歩み寄ってくるオジさま。
嬉しい気持ちと、今は近寄って欲しくない気持ち。
矛盾した感情が、あたしの胸をますますざわつかせる。
「……ハルネ嬢」
「……っ!」
あたしの目の前に来たオジさまは、膝を折り、わざわざ目線を合わせてくれた。
……あの時と同じように。
「……大丈夫か?」
思い出すのは二日前。
あたしの涙を優しく優しく拭ってくれた、幸せな記憶が蘇る。
……そっか、まだ二日しか経ってないんだ。
でも……でも……もう、こんなに好きになっちゃった……
「…………っ」
胸がぎゅうっと切なくなって、思わず涙が滲む。
嬉しい……でもさ、今は……
「…………」
オジさまが、たまらず手を伸ばしかける。
やめてっ……今は、ダメなの……!
「そこまでよ。 ヴァルグレイ」
その声にピタっと止まるオジさまの手。
リオーネさんだった。
「ヴァルグレイ、女にはね、いろいろと触れちゃいけない秘密があるのよ? 大丈夫、心配いらないわ」
「しかし……」
リオーネさんの軽口に、オジさまは納得いかない様子だったが……
「平気よ。 ね? ハルネちゃん?」
「……はい。 心配かけてごめんなさい。 なんでもないんです」
「…………キミがそう言うなら、分かった」
オジさまは、あたしの言葉を飲み込んでくれて、そのまま立ち上がり、踵を返した。
「しっかしさぁ、ヴァルグレイ、アンタさぁ……女性にちゃんと優しく出来るのね? アタシには近寄りもしないクセに」
「…………」
「……ふふふふっ」
リオーネさんは楽しそうに笑ったが、背中を向けているオジさまの表情は見えなかった。
……………
「……さきほどの話だが、西街の話で間違いないんだな?」
「ええ。 とは言っても、いくらアタシが懇意にしてる薬師ギルドの情報とはいえ、もちろん確認は必要だわ」
「……ああ、これから確認に向かう。 「ミルレン薬草店」……その名で間違いないな?」
「そうよ。 さっきの調査書にも書いてあるでしょ?」
二人は仕事の話を再開している。
あたしはなぜかここにいるのを許されて、二人の話をぼーっと聞いていた。
「……違法薬扱いの疑い、か。 ノクセリウムが関係している可能性は低いが、それでも直々に裏は取るべき、だな……」
「そうね。 ……ところで、なんでハルネちゃんを同席させてるの? 一応、コレ、機密よね?」
「……必要だからだ」
「……必要、ねえ? ふーん」
……あたしの名前が出たって事は、あたしの話?
上手く頭が回らない。
考えなきゃと思うほど、二人の距離が気になっては霧散する。
「……場所は、西街の……ああ、あの長い下り坂の通りか。 覚えがある」
「詳しい地図、持って来ましょうか?」
「ああ、頼む」
リオーネさんが整頓された書棚へ向かう。
仲が良いな……でも、仕事の仲間だし!
気安いな……でも、付き合いが長いと言ってたんだから当然だし!
オジさまとリオーネさん。
二人の距離が近づくたびに、胸が詰まって吐きそうになる。
あたしは胸を抑えながら、二人の仲を正当化させる理屈で、ひたすらに自分に言い聞かせていた。
……もうあんな醜態はいやだ。
……オジさまに嫌われたくない。
正直、今、全然頭が回らない。
お話も全く入ってこない。
だからせめて、静かにお話を聞こう。
それだけを必死で考えていた。
「はい、西街の地図。 ……件の場所はー、ここね」
リオーネさんが地図を机に広げ、とある地点を指で示す。
オジさまとの距離がぐっと近づく。
……っ!
「…………あっ」「……近い」
あたしの控えめな声と、オジさまの声が重なった。
あたしが漏らした呟きに反応するより、素早く、オジさまはリオーネさんから距離を取った。
……??
その行動の意味は分からなかったけど、ホッとした。
「あら、ごめんなさいね」
「……気を付けろ」
「あのねぇ……ヴァルグレイに謝ったんじゃないわよ? ハルネちゃんに謝ったの」
…………ん?
「ところでヴァルグレイ? アンタ、今日もハルネちゃんと一緒にいるの?」
「……ああ、そのつもりだ」
「ふーん……でも、この薬店にも行くんでしょ? 能力的にも副局長サマが行くのが手っ取り早いし」
「ああ」
「その間、ハルネちゃんはどうするの? ……まさか連れてくの?」
「……ああ、連れていく」
――「連れていく」
お話の内容はさっぱり入ってこない。
でも、その単語だけは、なんだか妙に嬉しい響きがした。
「ん~~、ま、上司サマの言う事に反対はしませんけどねー? アンタが傍を離れないなら逆にハルネちゃんも安全な気がするしぃ」
「……そういう事だ」
「でも、妙なのよねぇ……? レルガ坊やも勘ぐってたけど、ハルネちゃんのお店をわざわざ営業停止にしたのもさぁ、そんな事する意味あるの?」
「……必要な事だ」
「ふぅーーーん」
リオーネさんの追及するようなジト目にも、オジさまは全く動じる様子は無かった。
「昨日もずっと一緒にいたんでしょう? アンタ、何か成果あったの?」
「…………違法な調達屋を捕まえた」
「ふぅーん」
「……その繋がりで、この薬店のブツの裏も取れたんだろう? 何が悪い?」
「……報告書も見せてもらったけどさ。 それ、アンタの手柄じゃなくて、ハルネちゃんの手柄じゃない」
「…………」
「あれぇ~? 第二調査局副局長ともあろう人がぁ、まさかぁ、これって、いわゆる一つのぉ手柄泥棒……」
「アレはっ! ……ハルネ嬢の手柄だ」
……えっ!
オジさまの強い語気に思わず驚く。
えっ? 何? あたし、何かやった?
「ふふふっ……意地悪はこれくらいにしてあげるわ。 ……ハルネちゃん? ほら、こっちに来なさい?」
リオーネさんが、机の対面にいたあたしの腕を引っ張って、
オジさまの横に連れてきた。
「ほら、ここにいなさいな。 大丈夫よ。 アタシはもう近寄らないから」
あなたの大事な人は取らないよ……そんな風に聞こえた気がした。
そんな事言われても……
二人は愛し合って……
ううん、それは否定してくれた。
でも……だって……
否定する心がざわめく中、
ふと、隣にいるオジさまの気配を感じた。
濃密なオジさまの気配。
隣に立てた事に安心する。
……いいの?
オジさまの隣に立っていて、いいの?
だって、あたしだよ?
こんな、リオーネさんと違って、ただ、太ってるだけの、あたしだよ?
うるさくて、わけわかんなくて、かわいくもない、あたしだよ?
隣にいて……いいの?
オジさま……
オジさまは一体何を考えているの?
もしかして、あたしを気に入ってくれてるの、あたしの勘違いじゃないの?
少なからず、思ってくれてるの?
あの時ハンカチで拭いてくれたのは、なぜ?
コートを掛けてくれたのは、なぜ?
あの時怒ったのは、なぜ?
答えてほしい。
でも言えない。
聞けない。
聞けるはずもない。
聞ける勇気もない。
だからせめて、オジさまの感情色を……
色を、見せてほしい。
包んであげたい。
オジさまの色を。
あたしがいっぱい、包んであげる。
あたしの愛を、いっぱいあげる。
あたしの全てを、捧げてあげる。
だから……
だからさ……
オジさまの愛を、少しでいいから、あたしに頂戴?
お願いだから……
あたしを認めて……求めて……選んで……愛して……
そして、あたしに、触れてほしい、な。
…………
「……どういうつもりだ」
「いいじゃないの。 どうせ連れてくんでしょ? だったらもう全部聞いてもらって。 実際に昨日はアンタよりハルネちゃんの方が役に立ってるんだしぃ?」
「……皮肉はよせ」
「半分は本気よ? ハルネちゃんのお店、薬草も扱ってるんでしょ? もしかしたら、アンタより先に、この子が見つけちゃうかもよ? 証拠」
「…………」
「情報通りなら違法薬を扱ってる危険な場所かも。 でも鬼のヴァルグレイがいるなら心配いらない。 そうなんでしょ?」
「……ああ、この子に危険は及ばせない。 必ず、守る」
「そうよね?」
……二人の会話が遠く感じる。
ただオジさまの「必ず、守る」。
その言葉を聞いたとき、胸が、あたたかくなった。
―――――――
その広い空間に、今は誰もいなかった。
第二調査局、ロビー。
大抵はそこにいる受付の老職員も、今は席を外しているようだ。
光をよく通す高窓が、昼を過ぎた時間だという事を、陽光の眩しさで示していた。
あたしは、ロビーの皮張りの応接ソファーに座りながら、隅に置かれた観葉植物をぼんやりと眺める。
ぼんやり、ただ一人、考える。
「……所用を片付けてから向かうから、ロビーで待っていなさい」
オジさまはそう言って、あたしにロビーで待つよう、促した。
……また二人で部屋にいるのかな?
ううん! 仕事よ! 仕事!
……でも、仲良さそうだったし……
ううん! 長い付き合いなんだから当然よ!
……ああ、ループしてる。
でもちっとも止められない。
胸のざわつきが収まる事はない。
リオーネさんは優しい。
オジさまとは、そういう関係ではなさそうにも思える。
でも、どうしてか、なんでか分からないけど、
あの、親密そうだった二人の様子が、頭から、決して離れない!
思い出すたびに、身が縮む。
胸が詰まり過ぎて、お腹も重苦しい。
かと思えば、あたしの気持ちを知らないオジさまがムカツく。
こっちの気も知らないで、デレデレしてさ!
……ううん、違うよ。
オジさまに好かれてるかも、分かんないのにさ……
さっき、オジさまの隣にいた時は、ちょっと落ち着いたのに。
今はもう、寂しい……
オジさまに縋りつきたい気持ちでいっぱい。
でも出来ない。
それが分かると、今度は凍えるくらい怖くなる。
どうしてなの?
考えを深めようと思えば、また二人の親密な姿が……ダメだ!
う~~~……あたしはどうすれば……何をすれば……
こういう時はいつも……何してたんだっけ……?
「はぁ……はぁ……」
不安な気持ちが、とうとう呼吸にまで表れる。
う~~、一人でいるからダメなんだ。
不安がどんどん湧いてきちゃう。
こういう時は、どうしてたっけ……?
…………行動。
そう、何かするの!
何かで、動かなきゃ!
とにかく、動くんだ!
オジさまの、役に立つように、動くんだ!
捨てられないように……!
さっき、なんて言ってたんだっけ?
全然入ってこなかったけど……西街の、確か……「ミルレン薬草店」
その単語だけは覚えてる。
「違法薬」ってのも覚えてる。
きっとそこが、こっそり違法な薬を売ってるんだ。
そうだ。
だったら、あたしが見れば、分かるはず!
これでもあたしは、サフラン香房で、今までそういうのいっぱい扱ってきたもの。
薬草とかハーブの知識は人よりたくさんあるんだから!
「そうと決まったら、行動!」
先に薬を見つけるんだ!
オジさまの役に立つんだ!
それで……褒めてもらうんだ。
褒めてもらって、あたしの価値を認めてもらうんだ。
一緒にいていいって価値を、認めてもらうんだ。
……あの人なんかに、負けるもんか!
――ハルネはロビーを飛び出した。
静寂が響く空間には、それを止める者は、誰もいない。
冷たい石造りの床が、走り去るハルネの足音をただ大きく響かせる。
その音を聞く者も、誰もいない。
外は平和な昼下がり。
誰一人いない調査局のロビー。
その静けさは、これから起こる嵐の前の何かを、予感させていたように見えた。
