婚約破棄はまだですか?「破棄を前提に婚約してくれ」そう告げてきた騎士団長様の愛が、なぜかどんどん重くなっていく。


 王宮に入ったのは初めてだった。
 広い庭園を馬車で進み、正面玄関で降りる。
 そして長い廊下を歩き、舞踏会の会場である大広間へと入る。

 そこは、まるで物語の中にいるかのような、煌びやかな空間だった。
 
 まばゆいほどのシャンデリアに、広間を彩る装飾品、綺麗に着飾ったご令嬢たち。
 学園に通っていた頃も、他の令嬢から話を聞くだけで舞踏会なんてものに来たことはなかった。
 想像していた以上の雰囲気に圧倒されそうになるが、隣に立つクラージュ様を見て、背筋を伸ばす。

「アネシス、あまり気を張らなくていい」
「あ、はい……」

 クラージュ様が私の肩に優しく手を置く。
 緊張と気合いで少し体がこわばっていたかもしれない。
 一度大きく深呼吸をして、クラージュ様と会場の奥へと進む。

 覚悟はしていたが、すごく見られている。
 私たちを見ながらこそこそと話す令嬢たち。涙目になっている人もいる。
 
「あれが、クラージュ様の婚約? 見ない顔ね?」
「あのこ、マドリーノ男爵家の娘じゃない?! 学園でいたでしょ」
「え? あの貧乏過ぎて一度も社交場に出てこなかったアネシスさん?」
「うそ、あれがアネシスさん? あんなにお綺麗だった? それよりなんでクラージュ様と?!」

 学園時代の同級生もいる。私を見てひどく驚いているようだ。

 すると、後ろから声をかけられる。
 クラージュ様と振り返ると、黒髭を綺麗に整えた中肉中背の男性がいた。

「オルマン伯爵……」
 
 クラージュ様はすごく怪訝そうな表情になる。
 そして私を隠すように少し前に出た。

 オルマン伯爵……。マリアンヌ様との話で聞いた名前だ。自分の娘を高貴な家の跡取りと婚約させようと躍起になっていると。
 ずっと婚約者のいなかったクラージュ様は執拗に迫られていたらしい。

「お久しぶりだねクラージュ君。婚約したことは噂に聞いていたよ。うちの娘との婚約を断って、まさか男爵家の娘とはねえ」
「俺は、結婚相手に身分など関係ないと思っております」
「君みたいな立場の人間が何を生ぬるいことを。身分が関係ないというなら、君はたちは想い合って婚約したということか? おめでたいことだ。家同士の結びつきこそが結婚の意味だろう」

 オルマン伯爵はクラージュ様の後ろにいる私に蔑むような目を向けてくる。
 クラージュ様はいつもと変わらない表情で、強く言い返すことはないが、拳を握り絞めていることに気づいた。

 今までも婚約相手のことでいろいろと言われてきたんだ。
 本当に好きな人には想いを告げることができず、周りからは本意ではない婚約をせかされることもあったのかもしれない。その度に、我慢してきたのだろう。
 でも、今は私という存在がいる。そのために私がいる。
 私は一歩踏み出し、クラージュ様の横に並ぶ。

「はじめまして、オルマン伯爵。アネシス・マドリーノと申します」

 私は満面の笑みを浮かべ、こっそり特訓していたカーテシーで挨拶をする。

「この度は私たちの婚約を一番にお祝いくださりありがとうございます」
「お祝い?」
「ええ。先ほど想い合って婚約なんておめでたいと言ってくださったではありませんか。私たちのような身分の差がある者でも、それ以上に気持ちの結びつきが強ければ婚約できるということを伝えてくださったのでしょう?」
 
 私は笑顔を絶やさず、真っ直ぐにオルソン伯爵を見ながら告げる。
 オルマン伯爵は顔を赤くしてそのまま去っていってしまった。
 少し嫌味っぽかったかも、なんて思っていたが、隣のクラージュ様を見ると口元に手を当て、くすくすと笑っている。
 
「クラージュ様? そんなにおかしかったでしょうか?」
「ああ、ははっ、そうだな、ははははははっ」

 とうとう大きな口をあけて笑いはじめてしまった。
 こんなに笑うクラージュ様を初めて見る。
 それは周りの人たちも同じなのか、みんな驚きを隠せないでいる。

「クラージュ様が笑ってらっしゃるわ」
「あんなお顔初めて見ましたわ」
「婚約者の方にはあんな表情もなさるのね」
「確かに愛嬌のある可愛らしいお方ですものね」

 不躾な女だと思われないかと不安だったが、心配するようなことはなさそうだ。

「アネシス、君は思っていた以上に肝が座っている」
「だめでしたでしょうか」
「いや、惚れ直したよ。さすが俺の婚約者だ」

 惚れ直した、だなんて言葉のあやだろうが、お役に立てたようで安心した。

 それから何人かクラージュ様のご友人や貴族の方たちと挨拶を交わした。
 声をかけてくる人たちはみんな婚約を祝福してくれ、私もクラージュ様も自然と笑って過ごしていた。

 たくさんの人の中をゆっくりと進んでいくと、一番奥の壇上には王族たちが並んで座っていた。
 中央に国王陛下と皇后陛下、王太子のエドワード様、第一王女マリアンヌ様、その横に第二王女のロジーナ様と側妃たち。

 周りには護衛の騎士たちが控えている。
 見知った顔ぶれもいるが、みんな食堂でいる時とは違い、真剣な表情だ。
 クラージュ様は参加者側なので今日はお休みなのだそう。

 そして、国王陛下のところへはたくさんの貴族たちが順番に謁見に伺っている。
 
「私たちも国王陛下にご挨拶に行かなくてよいのですか?」
「あそこにいるのは陛下に取り入りたい下心丸出しの貴族だけさ。気にしなくていい」

 国王陛下に謁見に行くのは許された立場ある貴族だけで、全員が挨拶をしているわけではないが、クラージュ様は公爵家の跡取りで血縁関係もある。そして私は仮にも婚約者。

「ですが、私もクラージュ様の婚約者として……」

 いや違う。私みたいな、いつか婚約を破棄する相手なんて紹介する必要ないんだ。
 むしろ行かないほうがいいのかもしれない。

「そうですね。やめておきましょう」
「アネシス?」

 急に納得した態度の私に、不思議そうにするクラージュ様だったが、ものわかりの良い都合のいい存在でいなければ。

 その時、壇上に座っているマリアンヌ様と目が合った。
 マリアンヌ様はにこりと微笑み、胸元で小さく手を振ってくれる。
 私も笑顔で返し、会釈をした。するとマリアンヌ様の隣に座っている第二王女のロジーナ様もこちらを見ていることに気づく。
 ただ、その表情はなにか不快なものを見るような目だった。
 私がロジーナ様を見ていることに気づくと一段と顔をしかめる。と思うとプイッと逸らし、持っていた扇子で顔を隠してしまった。
 
 どうされたのだろうか。確かに私を見て顔をしかめていた。
 やはり、私のような身分の低い者と、王家と血の繋がりのあるクラージュ様との婚約をよく思っていないのだろうか。
 
 今そんなことを考えも仕方ないか。

 なんて思っていると、会場から音楽が流れてくる。
 みんな、それぞれパートナーたちの手を取り踊り始める。

「アネシス」
「はい」
「俺と踊ってくれますか」
「はい、よろこんで」

 私は差し出された手を取り、いつもより色気を纏ったクラージュ様に合わせてゆっくりと足を進めた。