夕食も終わり、みんなが帰ったあと、私は洋梨のパイを作るための仕込みをはじめた。
クラージュ様との初めてのデートで食べた洋梨のパイ。
明日はこのパイを持って、クラージュ様を誘おう。
次こそ一緒に食べられるように。次こそ……。
私たちに、次はあるのだろうか。
最近、クラージュ様は昼食の誘いを受けてくれないだけでなく、目を合わすことすらしてくれない。
もう、私のことなど嫌いになってしまったのだろうか。
嫌われてしまっても仕方ないことをしてしまった。
あんなに料理が好きだったのに、今は全然楽しくない……。
「うぅ、ひっく……」
涙が、溢れてくる。
でも、今は誰もいない。涙を拭うこともせず作業を続けた。
その時、食堂の扉が開いた。
「アネシス――」
っ、――クラージュ様!
どうして、こんな時間に?!
何か忘れ物でもしたのだろうか?
久しぶりに目を合わせたクラージュ様はどこか困ったような表情をしていて、嬉しいけれど、不安になる。
「クラージュ様……どう、されたのですか?」
「いや、アネシスこそ、どうしたんだ? 泣いているように見えるが……」
「あ、いや。えっと……梨が目にしみて……」
「梨が、しみるわけないだろう」
まさか、クラージュ様が来るなんて思っていなかった。
溢れる涙をそのままにしていた私は、誤魔化そうとしたけれど無理がある。
「それ、完成したら食べさせてもらえないだろうか」
「え……食べて、いただけるのですか?」
「最近、食べられなくてすまなかった。明日、いつものベンチで待っている」
クラージュ様は眉を下げたままそれだけ言うと、食堂を出ていった。
びっくりした。でも、久しぶりに顔を合わせ話ができた。
少しの会話だったけれど、明日このパイを食べると言ってくれた。
まだ、クラージュ様が私を許してくれているかはわからない。
それでも明日、ちゃんと話ができるのだと思うと、先ほどの気持ちがうそのようにパイを作ることが楽しくなった。
◇ ◇ ◇
今朝焼き上げた洋梨のパイを持って、ベンチに座る。
久しぶりのクラージュ様の隣に緊張する。
昨日はパイを食べてもらえることが嬉しくて浮き立っていたけれど、ここで婚約破棄を告げられるかもしれないんだ。そこまで頭がまわらなかった。
クラージュ様はどうして急に誘ってくれたのだろうか。
「洋梨のパイです。自分で作るのは初めてなんですけど……」
「以前、街の食事処で食べたな」
「覚えて、らっしゃるのですね」
「当たり前だ。アネシスと行った場所、食べたもの、感じたこと全て覚えている」
なんて、嬉しいことを言ってくれるのだろう。
私も、全て覚えている。クラージュ様と過ごした時間、見たもの、与えてもらったもの全部。
これからも、そうありたい。だから、ちゃんと謝らなければ。
「クラージュ様……私! 本当にすみませんでした。約束を破ってしまい、本当にひどいことをしたと思っています」
「いや、ひどいのは俺の方だ。アネシスが、困っている人を放っておけないのをわかっていて、俺が大人げない態度をとってしまった。本当にすまなかった」
「謝らないでくださいっ」
「昨日、泣いていただろう? 俺はアネシスにはいつも笑っていて欲しい、悲し思いをしてほしくない。そう思っていたのに俺が君を悲しませてしまっていた」
「悪いのは、私ですから……」
「どちらが悪いとかではないよ」
本当に、ひどいことをしてしまったのに、私を責めることはしない。
むしろ、クラージュ様が申し訳なさそうな顔をしている。
そして、優しい表情で私を見た。
「それよりも、アネシスもパイ、食べよう。一緒に食べるのが好きなんだ」
「はい! では私もいただきます」
揃って、パイを頬張る。
目を細め、美味しそうに食べてくれる姿に、やっぱりこの時間が幸せだなと思った。
「美味いよ。アネシスの作るものは全部。これからもずっと、こうして一緒に食べて一緒に笑い合っていたいと思ってる」
これからもずっと、それはどういう意味だろう。
婚約者として? それとも婚約者じゃなくなっても変わらないでってこと?
その意味を聞く勇気はないけど、私も同じ気持ちだ。
「私も、いつまでもこの時間が続いて欲しいと思っています」
私のそれは、婚約者としてという意味だ。
クラージュ様と過ごす時間が幸せで、ずっと続いて欲しい。
婚約破棄を告げられることがこわい。
そんなことを考えているうちに気づいた気持ちがある。
クラージュ様が好きなんだということ。
きっと、もうずっと前から好きだった。
クラージュ様は、私の気持ちを知ったらどう思うのだろう。
元々、お互いの目的のために結んだ期間限定の婚約だ。
迷惑だと言われるだろうか。
でも、クラージュ様も私といると楽しい、ずっとこうしていたいと言ってくれる。
もしかしたら、喜んでくれるだろうか。
今はまだ、この気持ちを伝える勇気はないけれど、いつか必ず伝えよう。
クラージュ様のことが好きだと――。
「アネシス、今度こそ一緒に出かけてくれるか?」
「はい、もちろんです!」
◇ ◇ ◇
数日後、なぜか王宮の厨房に呼び出されていた。
料理長から私に話があるそうだ。
国王皇后両陛下成婚三十周年の食事会は大成功だったと聞いている。
フレドリックさんの作った前菜のテリーヌを見た両陛下は、とても嬉しそうに顔を見合わせ、花について語り合いながら食事をし、美味しいと喜んでいたそうだ。
何も、問題はなかったはずなんだけれど……。
「料理長のオルコットです」
「アネシス・マドリーノと申します」
「急に呼び立てて申し訳ないね。息子から君の話を聞いて、どうしても会いたいと思ってね」
「私の話、ですか?」
オルコット料理長の隣に立つフレドリックさんは私を見てなんだかニコニコしている。
私が呼び出された理由を知っているようだ。
どうして言ってくれなかったのだろう。
「テリーヌを食べて驚いたよ。見た目、香り、味、出てきた瞬間から食べ終わるまでずっと楽しめるような一品。今までの息子なら絶対に作れなかっただろう。いったいどうしたんだと聞いたら君のおかげだと言ってね。こんな素晴らしい料理人がいるなんて驚いたよ」
「そんな、大げさです。あのテリーヌはフレドリックさんの努力のたまものですから」
「何言ってるの。アネシスさんがいなかったらあのテリーヌはできてなかったし、俺は作ることすら諦めてたよ」
二人して、すごく私を褒めてくれる。少し照れくさいけれど、嬉しい。
なにより、食堂に来た頃は難しそうな表情をしていたフレドリックさんが楽しんで料理をするようになったことが嬉しかった。
「それで、君にお願いがあるんだが、今度開かれる皇后陛下主催のお茶会の手伝いをしてもらえないだろうか?」
「私が、皇后陛下主催のお茶会に?!」
「いかんせん、お茶会というのに王宮の厨房は男ばかりでね、ぜひ君にお願いしたい。皇后陛下や招待されるご婦人たちを喜ばせたいんだよ」
正直、私に務まるのか不安だ。
女性の意見を聞きたいということだけれど、私なんかの意見で皇后陛下や高貴なご婦人たちを喜ばせることができるのだろうか。
でも、きっとこれは私自身とても勉強になるだろうし、良い経験になる。
それに、美味しいお料理で食べた人を喜ばせたいという気持ちは同じだ。
「私でよければ、ぜひお手伝いさせていただきます」
「ありがとう。期待しているよ」
それから私は食堂の仕事もしつつ、お茶会の準備のため王宮に通うことになった。
クラージュ様との初めてのデートで食べた洋梨のパイ。
明日はこのパイを持って、クラージュ様を誘おう。
次こそ一緒に食べられるように。次こそ……。
私たちに、次はあるのだろうか。
最近、クラージュ様は昼食の誘いを受けてくれないだけでなく、目を合わすことすらしてくれない。
もう、私のことなど嫌いになってしまったのだろうか。
嫌われてしまっても仕方ないことをしてしまった。
あんなに料理が好きだったのに、今は全然楽しくない……。
「うぅ、ひっく……」
涙が、溢れてくる。
でも、今は誰もいない。涙を拭うこともせず作業を続けた。
その時、食堂の扉が開いた。
「アネシス――」
っ、――クラージュ様!
どうして、こんな時間に?!
何か忘れ物でもしたのだろうか?
久しぶりに目を合わせたクラージュ様はどこか困ったような表情をしていて、嬉しいけれど、不安になる。
「クラージュ様……どう、されたのですか?」
「いや、アネシスこそ、どうしたんだ? 泣いているように見えるが……」
「あ、いや。えっと……梨が目にしみて……」
「梨が、しみるわけないだろう」
まさか、クラージュ様が来るなんて思っていなかった。
溢れる涙をそのままにしていた私は、誤魔化そうとしたけれど無理がある。
「それ、完成したら食べさせてもらえないだろうか」
「え……食べて、いただけるのですか?」
「最近、食べられなくてすまなかった。明日、いつものベンチで待っている」
クラージュ様は眉を下げたままそれだけ言うと、食堂を出ていった。
びっくりした。でも、久しぶりに顔を合わせ話ができた。
少しの会話だったけれど、明日このパイを食べると言ってくれた。
まだ、クラージュ様が私を許してくれているかはわからない。
それでも明日、ちゃんと話ができるのだと思うと、先ほどの気持ちがうそのようにパイを作ることが楽しくなった。
◇ ◇ ◇
今朝焼き上げた洋梨のパイを持って、ベンチに座る。
久しぶりのクラージュ様の隣に緊張する。
昨日はパイを食べてもらえることが嬉しくて浮き立っていたけれど、ここで婚約破棄を告げられるかもしれないんだ。そこまで頭がまわらなかった。
クラージュ様はどうして急に誘ってくれたのだろうか。
「洋梨のパイです。自分で作るのは初めてなんですけど……」
「以前、街の食事処で食べたな」
「覚えて、らっしゃるのですね」
「当たり前だ。アネシスと行った場所、食べたもの、感じたこと全て覚えている」
なんて、嬉しいことを言ってくれるのだろう。
私も、全て覚えている。クラージュ様と過ごした時間、見たもの、与えてもらったもの全部。
これからも、そうありたい。だから、ちゃんと謝らなければ。
「クラージュ様……私! 本当にすみませんでした。約束を破ってしまい、本当にひどいことをしたと思っています」
「いや、ひどいのは俺の方だ。アネシスが、困っている人を放っておけないのをわかっていて、俺が大人げない態度をとってしまった。本当にすまなかった」
「謝らないでくださいっ」
「昨日、泣いていただろう? 俺はアネシスにはいつも笑っていて欲しい、悲し思いをしてほしくない。そう思っていたのに俺が君を悲しませてしまっていた」
「悪いのは、私ですから……」
「どちらが悪いとかではないよ」
本当に、ひどいことをしてしまったのに、私を責めることはしない。
むしろ、クラージュ様が申し訳なさそうな顔をしている。
そして、優しい表情で私を見た。
「それよりも、アネシスもパイ、食べよう。一緒に食べるのが好きなんだ」
「はい! では私もいただきます」
揃って、パイを頬張る。
目を細め、美味しそうに食べてくれる姿に、やっぱりこの時間が幸せだなと思った。
「美味いよ。アネシスの作るものは全部。これからもずっと、こうして一緒に食べて一緒に笑い合っていたいと思ってる」
これからもずっと、それはどういう意味だろう。
婚約者として? それとも婚約者じゃなくなっても変わらないでってこと?
その意味を聞く勇気はないけど、私も同じ気持ちだ。
「私も、いつまでもこの時間が続いて欲しいと思っています」
私のそれは、婚約者としてという意味だ。
クラージュ様と過ごす時間が幸せで、ずっと続いて欲しい。
婚約破棄を告げられることがこわい。
そんなことを考えているうちに気づいた気持ちがある。
クラージュ様が好きなんだということ。
きっと、もうずっと前から好きだった。
クラージュ様は、私の気持ちを知ったらどう思うのだろう。
元々、お互いの目的のために結んだ期間限定の婚約だ。
迷惑だと言われるだろうか。
でも、クラージュ様も私といると楽しい、ずっとこうしていたいと言ってくれる。
もしかしたら、喜んでくれるだろうか。
今はまだ、この気持ちを伝える勇気はないけれど、いつか必ず伝えよう。
クラージュ様のことが好きだと――。
「アネシス、今度こそ一緒に出かけてくれるか?」
「はい、もちろんです!」
◇ ◇ ◇
数日後、なぜか王宮の厨房に呼び出されていた。
料理長から私に話があるそうだ。
国王皇后両陛下成婚三十周年の食事会は大成功だったと聞いている。
フレドリックさんの作った前菜のテリーヌを見た両陛下は、とても嬉しそうに顔を見合わせ、花について語り合いながら食事をし、美味しいと喜んでいたそうだ。
何も、問題はなかったはずなんだけれど……。
「料理長のオルコットです」
「アネシス・マドリーノと申します」
「急に呼び立てて申し訳ないね。息子から君の話を聞いて、どうしても会いたいと思ってね」
「私の話、ですか?」
オルコット料理長の隣に立つフレドリックさんは私を見てなんだかニコニコしている。
私が呼び出された理由を知っているようだ。
どうして言ってくれなかったのだろう。
「テリーヌを食べて驚いたよ。見た目、香り、味、出てきた瞬間から食べ終わるまでずっと楽しめるような一品。今までの息子なら絶対に作れなかっただろう。いったいどうしたんだと聞いたら君のおかげだと言ってね。こんな素晴らしい料理人がいるなんて驚いたよ」
「そんな、大げさです。あのテリーヌはフレドリックさんの努力のたまものですから」
「何言ってるの。アネシスさんがいなかったらあのテリーヌはできてなかったし、俺は作ることすら諦めてたよ」
二人して、すごく私を褒めてくれる。少し照れくさいけれど、嬉しい。
なにより、食堂に来た頃は難しそうな表情をしていたフレドリックさんが楽しんで料理をするようになったことが嬉しかった。
「それで、君にお願いがあるんだが、今度開かれる皇后陛下主催のお茶会の手伝いをしてもらえないだろうか?」
「私が、皇后陛下主催のお茶会に?!」
「いかんせん、お茶会というのに王宮の厨房は男ばかりでね、ぜひ君にお願いしたい。皇后陛下や招待されるご婦人たちを喜ばせたいんだよ」
正直、私に務まるのか不安だ。
女性の意見を聞きたいということだけれど、私なんかの意見で皇后陛下や高貴なご婦人たちを喜ばせることができるのだろうか。
でも、きっとこれは私自身とても勉強になるだろうし、良い経験になる。
それに、美味しいお料理で食べた人を喜ばせたいという気持ちは同じだ。
「私でよければ、ぜひお手伝いさせていただきます」
「ありがとう。期待しているよ」
それから私は食堂の仕事もしつつ、お茶会の準備のため王宮に通うことになった。



