俺は、自分でもどうすればいいのかわからないほど気持ちが乱れていた。
「クラージュ、今日は魔力が乱れてたね。珍しい」
「たまにはそんな日もあるだろ」
「そうかなぁ? 今までそんなことなかったでしょ。なんかあったの?」
訓練終わり、キースが声をかけてくる。
本当に鋭いやつで、他の団員なら気づかないような俺の魔力の揺らぎを指摘してくる。
「何もない」
「ほんとかな? 絶対になにかあると思うけど」
本当は、わかっている。どうしてこんなに心乱されているのか。
昼休み、食堂を覗いてしまったからだ。
今日もいつものようにアネシスと楽しく昼食を食べるはずだった。
だが、見てしまったのだ。
厨房で、新しい従業員のフレドリックとアネシスが親密そうに料理を作っていたところを。
しかも異様に距離が近かったのだ。
アネシスは真剣に、そして次第に嬉しそうにしながら作業していた。
胸が張り裂けそうだった。
けれど、見ていないふり、なんでもないふりをした。
なのに、アネシスはフレドリックの話ばかりする。
『あまり……他の男と仲良くしないでくれ』
思わず呟いていた。幸いアネシスには聞こえていないようだった。
ああ、この湧き上がる醜い感情は見せてはいない。
それからもアネシスはよくフレドリックの話をした。
俺の醜い感情は積もっていくばかりだ。
二人は想い合っているのだろうか。
俺にはわからない料理のことで盛り上がっているし、お互いを信頼し合っているようだった。
アネシスに好きな人ができるまで。
あるいは、俺のことを好きになってくれるまで。
そんなふうに婚約期間を自分の中で決めていた。
もし、アネシスに好きな人ができたら……。
いや、まだ間に合うはずだ。
アネシスを、焼き菓子が美味しいという甘味処に誘った。
とても楽しみだと、嬉しそうに喜んでくれたことにほっとした。
昼食はアネシスが作ってくれることになり、俺も本当に楽しみにしていた。
けれど……。
「アネシス? アネシス?!」
約束の時刻になってもベンチにアネシスは来ず、昼食の準備をしているのかと食堂に行ったが、そこにもいない。
ただ、出来上がったスープのいい香りがしていた。
俺の好きなニシンと山菜のサンドイッチもある。
こんな状態のままどこへ行った?
なにか良くないことでもあったのか?
俺は食堂を出て必死にアネシスを探す。
街へ行き、公園へ行き、以前魔物と遭遇した丘へも登った。
でも、どこにもいない。
どうして? どこにいる? もしかして、少し出ていただけで今はベンチで待っているのか?
俺は急いで食堂に戻った。
けれど、やはりどこにもいない。
力なくベンチに座る。
また、探しに行こうか。でも、むやみに探したところで見つかるだろうか。
その間にアネシスが戻ってきたら?
考えているうちにしばらくの時間が過ぎた。
「クラージュ様っ」
その時、アネシスの声がした。
俺は反射的に立ち上がり駆け寄るとぎゅっと抱きしめる。
「アネシス! どこにいたんだ。厨房の鍋もそのままで姿は見えないし、どこを探しても見つからなくて、すごく心配した」
「すみません、私――」
「でも何事もないようで良かった。一体どこに行っていたんだ」
いつも通りのアネシスに心底安心した。よかった、本当によかった。
「すみません、実はフレドリックさんに忘れものを届けに行っていたんです。その後、少し事情がありまして、そのままフレドリックさんのお手伝いを……」
「……フレド、リック」
その名前を聞いた途端、体の力が抜け、背筋に冷たいものが走る。
この感情は恐怖だ。アネシスはもう他の男のところへ行ってしまうという恐怖だ。
俺との約束を反故にし、フレドリックのところへ行った。
それが全てなんだと思った。
きっともう二人は特別な関係になっているのだろう。
「そうか……大変、だったようだな。今日はもう遅くなったし帰ろうか」
「あの、スープとサンドイッチ作ってあるんです。よかったら今から一緒に食べませんか?」
「いや、アネシスも疲れてるだろうし、悪いから。……じゃあ」
「え?! クラージュ様?」
大人げなかっただろうか。せっかく作ってくれた料理を無駄にしてしまう。けれど、今は何も喉を通りそうにない。
呼び止める彼女を背に、俺は宿舎へと戻った。
アネシスは今も俺の願いを聞いて婚約者として尽くしてくれている。
でもそれは義務としての振る舞いなのだろう。
一緒に領地にも行き、共に過ごす時間も増え、親密な関係になっていたと勘違いしていた。
俺はもう、自分の勝手な想いを押し付けたまま婚約を続けるべきではないのかもしれない。
じゃあどうする? 俺から、婚約破棄を告げるのか? そんなこと――。
◇ ◇ ◇
なんの気持ちの整理もつかないまま数日が経っていた。
アネシスはいつものように昼食に誘ってくれるが、こんな気持ちのまま一緒に食事をすることができなかった。
なにより、アネシスから婚約を解消したいと告げられたらどうすればいい?
フレドリックのことが好きだと言われたら?
そんな恐怖からまともにアネシスの顔を見ることができなかった。
「あの、ちょっといいですか?」
訓練終わり、宿舎に戻ろうとしていた時、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこには今一番会いたくない人物がいた。
「フレドリック……」
「あ、名前知ってくれてるんですね」
「毎日食堂で顔を合わせてるんだ。名前くらい知っているだろう」
「そのわりに目は合わせてくれませんよね。最近はアネシスさんとも」
「っ……」
会話をするのは初めてなのに、フレドリックはどこか威圧的で悪びれもなくアネシスの名前を出す。
二人がもう恋仲なのだとしても、まだ俺の婚約者なのに。
なんて醜く身勝手な感情が湧く。
そんな俺の葛藤をよそにフレドリックはアネシスの話をする。
「なんで、最近アネシスさんのこと避けてるんですか」
「別に、避けてなんか」
「噓言わないでくださいよ。毎日毎日クラージュ様の好きなものを作っては悲しい顔で一人ベンチに座って昼食を食べる姿を見るこっちの身にもなってくださいよね」
一人で、ベンチで食べている? なぜだ?
もしかすると、真面目で優しいアネシスのことだ。誘った手前、そうしなければいけないという義務感だろうか。
だったら……いや、それは俺じゃない。
「君が、アネシスと一緒に食べればいいだろう」
「俺だってそう思って誘いましたよ。でもアネシスさんがあなたを待ってるって言うんだからしょうがないでしょ」
アネシスが、俺を待っている? フレドリックの誘いを断って?
それは、どんな想いで?
今更都合のいい考えが頭を巡る。
「だが君とアネシスは、想い、合っているのではないのか……?」
「俺とアネシスさんが?! あー、そういうこと。まあ別にそう思ってくれててもいいですよ。クラージュ様がそれでいいなら」
「いいわけないだろう! 俺はっ――」
「じゃあ、ちゃんとそれをアネシスさんに伝えてくださいよ。少なくともアネシスさんは俺のこと想ってるわけじゃないですよ」
どういうことだ? アネシスはフレドリックのことを想っているわけではない?
あんなに親しくしていて、信頼していて、俺よりも優先していて……。
違う。これは、俺がただ嫉妬していただけではないか?
俺はちゃんと彼女の話を聞こうとしていたか?
「本当は二人のことに口出しすべきではないかもしれないですけど、たぶん俺のせいでもあるんで。あの日、クラージュ様との約束を破ってしまったのは俺が不甲斐なかったからです。アネシスさんは悪くありません」
「君は、アネシスのことを――」
思わず口からでそうになり、思い留まる。
俺はアネシスが困っていたところに婚約を申し込んだだけだ。
なのにこんなことを聞くのはおこがましい。
アネシスのことを、どう思ってる、だなんて。
「アネシスさん、明日はクラージュ様と以前一緒に食べた梨のパイを作って誘ってみるって、下準備するのにまだ食堂でいますよ」
「どうして、そんなことをわざわざ教えてくれるんだ?」
「あなたのためじゃありませんよ。アネシスさんの悲しそうな顔をこれ以上見たくないかからですよ。クラージュ様も、そうじゃありませんか? 早く行ってくださいよ」
「っ……」
フレドリックの言葉に俺は走り出していた。
アネシスを幸せにしたいと、そう強く思っていたはずなのに、俺が彼女を悲しませてどうするんだ。
もう一度ちゃんと話をしよう。
話も聞かずに避けるようなことをしたことを謝ろう。
君のことが大切だと伝えよう。
そして俺は食堂の扉を開けた。
「アネシス――」
「クラージュ、今日は魔力が乱れてたね。珍しい」
「たまにはそんな日もあるだろ」
「そうかなぁ? 今までそんなことなかったでしょ。なんかあったの?」
訓練終わり、キースが声をかけてくる。
本当に鋭いやつで、他の団員なら気づかないような俺の魔力の揺らぎを指摘してくる。
「何もない」
「ほんとかな? 絶対になにかあると思うけど」
本当は、わかっている。どうしてこんなに心乱されているのか。
昼休み、食堂を覗いてしまったからだ。
今日もいつものようにアネシスと楽しく昼食を食べるはずだった。
だが、見てしまったのだ。
厨房で、新しい従業員のフレドリックとアネシスが親密そうに料理を作っていたところを。
しかも異様に距離が近かったのだ。
アネシスは真剣に、そして次第に嬉しそうにしながら作業していた。
胸が張り裂けそうだった。
けれど、見ていないふり、なんでもないふりをした。
なのに、アネシスはフレドリックの話ばかりする。
『あまり……他の男と仲良くしないでくれ』
思わず呟いていた。幸いアネシスには聞こえていないようだった。
ああ、この湧き上がる醜い感情は見せてはいない。
それからもアネシスはよくフレドリックの話をした。
俺の醜い感情は積もっていくばかりだ。
二人は想い合っているのだろうか。
俺にはわからない料理のことで盛り上がっているし、お互いを信頼し合っているようだった。
アネシスに好きな人ができるまで。
あるいは、俺のことを好きになってくれるまで。
そんなふうに婚約期間を自分の中で決めていた。
もし、アネシスに好きな人ができたら……。
いや、まだ間に合うはずだ。
アネシスを、焼き菓子が美味しいという甘味処に誘った。
とても楽しみだと、嬉しそうに喜んでくれたことにほっとした。
昼食はアネシスが作ってくれることになり、俺も本当に楽しみにしていた。
けれど……。
「アネシス? アネシス?!」
約束の時刻になってもベンチにアネシスは来ず、昼食の準備をしているのかと食堂に行ったが、そこにもいない。
ただ、出来上がったスープのいい香りがしていた。
俺の好きなニシンと山菜のサンドイッチもある。
こんな状態のままどこへ行った?
なにか良くないことでもあったのか?
俺は食堂を出て必死にアネシスを探す。
街へ行き、公園へ行き、以前魔物と遭遇した丘へも登った。
でも、どこにもいない。
どうして? どこにいる? もしかして、少し出ていただけで今はベンチで待っているのか?
俺は急いで食堂に戻った。
けれど、やはりどこにもいない。
力なくベンチに座る。
また、探しに行こうか。でも、むやみに探したところで見つかるだろうか。
その間にアネシスが戻ってきたら?
考えているうちにしばらくの時間が過ぎた。
「クラージュ様っ」
その時、アネシスの声がした。
俺は反射的に立ち上がり駆け寄るとぎゅっと抱きしめる。
「アネシス! どこにいたんだ。厨房の鍋もそのままで姿は見えないし、どこを探しても見つからなくて、すごく心配した」
「すみません、私――」
「でも何事もないようで良かった。一体どこに行っていたんだ」
いつも通りのアネシスに心底安心した。よかった、本当によかった。
「すみません、実はフレドリックさんに忘れものを届けに行っていたんです。その後、少し事情がありまして、そのままフレドリックさんのお手伝いを……」
「……フレド、リック」
その名前を聞いた途端、体の力が抜け、背筋に冷たいものが走る。
この感情は恐怖だ。アネシスはもう他の男のところへ行ってしまうという恐怖だ。
俺との約束を反故にし、フレドリックのところへ行った。
それが全てなんだと思った。
きっともう二人は特別な関係になっているのだろう。
「そうか……大変、だったようだな。今日はもう遅くなったし帰ろうか」
「あの、スープとサンドイッチ作ってあるんです。よかったら今から一緒に食べませんか?」
「いや、アネシスも疲れてるだろうし、悪いから。……じゃあ」
「え?! クラージュ様?」
大人げなかっただろうか。せっかく作ってくれた料理を無駄にしてしまう。けれど、今は何も喉を通りそうにない。
呼び止める彼女を背に、俺は宿舎へと戻った。
アネシスは今も俺の願いを聞いて婚約者として尽くしてくれている。
でもそれは義務としての振る舞いなのだろう。
一緒に領地にも行き、共に過ごす時間も増え、親密な関係になっていたと勘違いしていた。
俺はもう、自分の勝手な想いを押し付けたまま婚約を続けるべきではないのかもしれない。
じゃあどうする? 俺から、婚約破棄を告げるのか? そんなこと――。
◇ ◇ ◇
なんの気持ちの整理もつかないまま数日が経っていた。
アネシスはいつものように昼食に誘ってくれるが、こんな気持ちのまま一緒に食事をすることができなかった。
なにより、アネシスから婚約を解消したいと告げられたらどうすればいい?
フレドリックのことが好きだと言われたら?
そんな恐怖からまともにアネシスの顔を見ることができなかった。
「あの、ちょっといいですか?」
訓練終わり、宿舎に戻ろうとしていた時、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこには今一番会いたくない人物がいた。
「フレドリック……」
「あ、名前知ってくれてるんですね」
「毎日食堂で顔を合わせてるんだ。名前くらい知っているだろう」
「そのわりに目は合わせてくれませんよね。最近はアネシスさんとも」
「っ……」
会話をするのは初めてなのに、フレドリックはどこか威圧的で悪びれもなくアネシスの名前を出す。
二人がもう恋仲なのだとしても、まだ俺の婚約者なのに。
なんて醜く身勝手な感情が湧く。
そんな俺の葛藤をよそにフレドリックはアネシスの話をする。
「なんで、最近アネシスさんのこと避けてるんですか」
「別に、避けてなんか」
「噓言わないでくださいよ。毎日毎日クラージュ様の好きなものを作っては悲しい顔で一人ベンチに座って昼食を食べる姿を見るこっちの身にもなってくださいよね」
一人で、ベンチで食べている? なぜだ?
もしかすると、真面目で優しいアネシスのことだ。誘った手前、そうしなければいけないという義務感だろうか。
だったら……いや、それは俺じゃない。
「君が、アネシスと一緒に食べればいいだろう」
「俺だってそう思って誘いましたよ。でもアネシスさんがあなたを待ってるって言うんだからしょうがないでしょ」
アネシスが、俺を待っている? フレドリックの誘いを断って?
それは、どんな想いで?
今更都合のいい考えが頭を巡る。
「だが君とアネシスは、想い、合っているのではないのか……?」
「俺とアネシスさんが?! あー、そういうこと。まあ別にそう思ってくれててもいいですよ。クラージュ様がそれでいいなら」
「いいわけないだろう! 俺はっ――」
「じゃあ、ちゃんとそれをアネシスさんに伝えてくださいよ。少なくともアネシスさんは俺のこと想ってるわけじゃないですよ」
どういうことだ? アネシスはフレドリックのことを想っているわけではない?
あんなに親しくしていて、信頼していて、俺よりも優先していて……。
違う。これは、俺がただ嫉妬していただけではないか?
俺はちゃんと彼女の話を聞こうとしていたか?
「本当は二人のことに口出しすべきではないかもしれないですけど、たぶん俺のせいでもあるんで。あの日、クラージュ様との約束を破ってしまったのは俺が不甲斐なかったからです。アネシスさんは悪くありません」
「君は、アネシスのことを――」
思わず口からでそうになり、思い留まる。
俺はアネシスが困っていたところに婚約を申し込んだだけだ。
なのにこんなことを聞くのはおこがましい。
アネシスのことを、どう思ってる、だなんて。
「アネシスさん、明日はクラージュ様と以前一緒に食べた梨のパイを作って誘ってみるって、下準備するのにまだ食堂でいますよ」
「どうして、そんなことをわざわざ教えてくれるんだ?」
「あなたのためじゃありませんよ。アネシスさんの悲しそうな顔をこれ以上見たくないかからですよ。クラージュ様も、そうじゃありませんか? 早く行ってくださいよ」
「っ……」
フレドリックの言葉に俺は走り出していた。
アネシスを幸せにしたいと、そう強く思っていたはずなのに、俺が彼女を悲しませてどうするんだ。
もう一度ちゃんと話をしよう。
話も聞かずに避けるようなことをしたことを謝ろう。
君のことが大切だと伝えよう。
そして俺は食堂の扉を開けた。
「アネシス――」



