💬コウイチ君、具合はどう? ちょっと出て来られる?
風邪で休んだ翌日土曜の午後、LINEでそうメッセしてきたのは、私文クラスのフウカだ。
風邪はもう大丈夫。どうかした?💬
💬会ったとき話すから。じゃあ、三時に駅前のマックで
あと十五分しかない。理由は教えてくれなかったけど、彼女からLINEが入ったのは初めてだったので、きっと大切な用事なんだろう。僕はチャリを飛ばしてマックに向かった。
カウンターでコーラのLを買い、二階のイートインコーナーに上がる。店内は家族連れや私服姿の学生たちで混雑していたが、窓側の四人がけのテーブル席に腰かけているフウカが手を振って合図してくれた。彼女は黒のデニムに茶色の七分袖のカットソ―というカジュアルなスタイル。
そして、彼女の隣りにもう一人、女の子がいた。
島江さんだ。
彼女はベージュ色のワンピース姿。
よかった。
昨日見た夢は、ただの夢だ。風邪で調子が悪かったから、変な夢を見ただけだ。
近づく僕を島江さんは不思議そうに見つめている。
フウカに促されて、テーブルを挟んで二人の向かいの席に座った。
島江さんの前に置かれているトレーを見て、ちょっと違和感を覚えた。
そこには、Sサイズのオレンジジュースが載っているだけだったからだ。
僕は冗談めかして言ってみた。
「島江さん、ジュースだけなんてめずらしいね。てっきり、ギガビッグマックセットとか頼んでるのかと思ったけど……それとも、もう食べちゃったのかな?」
「え?」
彼女は細い眉を怪訝そうに動かした。
「え?」
その反応に戸惑う僕。
フウカは僕たちのやりとりを黙って見ていた。
「あの……あなたは?」
僕は少し嫌な予感がした。だから、「島江さん、僕をからかってるの?」とは言えなかった。
「沢村 宏一……だけど?」
「はじめまして、多分学校で会ったことがあると思うけど、一応」
いったい、なにが起きている?
「やっぱり、そうか……」
フウカがつぶやく。
島江さんは、恐るおそるオレンジジュースのストローに口をつけた。
僕は二人の顔を見比べ、疑問を口にする。
「フウカ、いったいどういうこと?」
「……順を追って話すわね」
そう言って彼女もアイスティーらしきドリンクのストローに三秒ほど口をつけてから切り出した。
「ナギちゃんとアタシはね。一年の時は同じクラスだったの……二年のコース別クラス分けになってから、この子は私文A、アタシは私文Bに別れちゃったけど」
隣りで島江さんが軽く頷く。
「でね、一年のころはナギちゃん、すごくおとなしくて、おしとやかだったのよ」
「え、そうなの?」と僕。にわかに信じがたい。
「そう……今、まさにここに静かに座っているナギちゃんみたいにね」
そう言えばそうだ。いつもの島江さんなら、座っていても体のどこかを動かしている。
「でさ、二年に上がって夏の少し前くらいからかな? 隣のクラスで見てても随分この子、キャラが変わったなって思ってたわけ。話し方もね……ちょうどそのころよね? ナギちゃんとコウイチ君がよくつるむようになったの」
島江さんが僕のことをじっと見つめて反応をうかがっている。
「ちょっとキャラ変わり過ぎじゃない? って思ったけど、ナギちゃん、楽しそうにしてるし、ボーイフレンドができてよかったねって、アタシ最近までニマニマしてた」
「つ、つまり、僕が彼女のキャラを変えてしまったと?」
「そうなんだけどね……実は」
そう言ってフウカは島江さんの顔を覗き込んだ。
「昨日、学校の廊下でナギちゃんに会ったから声をかけたら、不思議そうな顔して『久しぶり』って言うから、おかしいなって思ったの」
そうだ。僕たち学年横断リレーチームは、体育祭の後もカラオケに行ったり、一緒に昼飯を食ったりしてちょくちょく顔を合わせている。
「なんだかすごくおとなしいし、喋り方も普通だったから、『どうしたの? さてはコウイチ君と喧嘩でもしたかな?』って冗談言ったら、『コウイチ君って誰?』って聞いてくるの……ハハン、これは本当に大喧嘩したなって思ってさ」
「どうしてそうなる⁉」僕は慌てて否定するが、構わずフウカは続ける。
「なにか、この子と話が噛み合わないのよね。リレーの話しても、それなに? って感じでさ」
島江さんは、オレンジジュースのカップを両手に持ったまま話し始めた。
「フウカ、ごめん……でもね、最近のこと、よく覚えていないの。なんか記憶が抜け落ちちゃったみたいで……昨日、家でお母さんにも同じようなことを言われた。あなた少し前からちょっと変よって。お医者さんに行こうかって」
僕は、まじまじと目の前に座っている島江さんを見る。直感的というのか、なんというのか、確かに佇まいが僕の知っているそれとは全然違う。
小鳥のように頻繁に小首をかしげる動作も見られない。
その視線に気づき、島江さんが話しかけてきた。
「沢村……君、フウカの話によると、私たち随分一緒にいたみたいだけど……ごめんなさい。なにも覚えてないの……でも一瞬、一緒に花火を見ていたような……」
ああ、あの時か……
「別に気にすることないよ、調子がよくなったら思い出すかもしれないし」
そう言いながらも、そうは都合よく行かないんじゃないかと思った。
この人は島江凪さんだけど、僕の知っている島江さんじゃない。僕は彼女の視線から目を背けた。そしてそれをごまかすようにコーラのストローをくわえた。
昨日の朝、熱にうなされながら夢の中で島江さんはこんなことを言っていた。
“ウチはただ、ニンゲンの島江凪という人に憑依していたダケダ”
“島江凪さんニハ、悪いことをシタ”
“デモ、ウチがいなくなったら、あの子はもとに戻レル”
“ドウカ、ホンモノの、島江凪さんとも、仲良くしてやってクレ。ウチのためにも”
涙がこぼれてきた。それもごまかすように、カップの中の氷をストローでガラガラとかき回す。ニンゲンの島江さんが心配そうに僕を見つめる。
“チチチッ ピーピーー チュリリリリリッ”
僕の頭の中で小さな白い鳥の鳴き声が響く。その鳥は、青空と白い雲をバックに、僕を仲間のところへ導いてくれたのだ。
僕はガタッと席を立った。
驚いて見上げる二人。
「ごめん、僕、急用ができた」
そう言って階段を降り、店を出た。
「ちょっとコウイチ君!」
フウカが追ってきた。
「いったいどうしたの?」
「だから、用事ができたって」
彼女は僕のパーカーの袖を引っ張る。
「ねえ、本当のこと、教えて……だって、ナギちゃんだって、コウイチ君だって、なんか変なんだもの」
「言っても、信じてもらえないし、おかしいんじゃないかって言うに決まってる。いや、笑うに決まってる」
「笑わないよ!」
フウカは真剣に僕を見つめた。
「ホントよ……だから、お願い」
僕は、ちゃんと伝えなくちゃいけないと思った。
「明日、北海道に行く」
「ほ、北海道? 北海道のどこに?」
「修学旅行で一日だけ選択制のコースがあっただろ? 僕はトレッキングコースを選んで、クラスの班と滝野すずらん公園に行った。そこに行きたい」
「……行ってどうするの?」
「……小鳥……シマエナガを探す」
「え!……探してどうするの?」
「怪我をしてるんだ……なんとか助けたい」
「どうやって?」
「わからない」
「それって、ナギちゃんと関係があることなの?」
「僕はあると思っている」
なんとかそこまで話し、僕はじゃあね、と言ってチャリに跨った。
〇
日曜の午前のうちになんとか滝野すずらん丘陵公園までたどりついた。
飛行機代で貯金は吹っ飛んでしまったが、そんなことはどうでもよかった。今ここに来ないと、ずっと……一生後悔するって思ったから。
公園内の草原に立った。いや立ちすくんだ。公園の敷地はやたら広く、さらにその先に森がうっそうと茂っている。修学旅行でここに来た時は、陽ざしが柔らかく、暖かかった。しかし今、風自体は弱いが、ひんやりとした空気が混ざっている。
シマエナガが森の中でいそうなところをネットで探してみたが、木の上か巣の中。巣の形状はフクロウにそっくりだが、保護色になっていて、樹木と見分けがつきにくい。
でも探すしかない。
「お~い、島江さーん」
無駄とは思いつつも、呼んでみる。
「「お~い」」
公園の入口方面から声が聞こえ、僕に向かって走ってくる、複数の人影。
距離が五十メートルほどになってそれが誰だかわかった。
リレーチームの仲間、三人。
私文クラスのフウカ。
国文クラスでリーダー的存在のタマミ。
そして理系クラス、長身のヒロト。
「お、おまえたち……なんでココに?」
「いや、フウカから一大事だってメッセが飛んできてね」
「コウイチとナギちゃんを助けてくれって」
僕は半ばあきれる。
「そんでわざわざ北海道まで⁉
……だって飛行機代だって、高っかいだろ!」
「リレーチームの他の連中も来たがってたんだけどさー、さすがに昨日の今日じゃムリだって……でも、飛行機代、カンパしてくれるって」
「え!……みんなにそこまでしてもらうのは悪いよ」
「なに言ってんだよ。目的が達成されたら、コウイチからみんなに成果報酬払いに決まってんじゃん」
「……まあ、いいけど」
「アハハ、冗談。さあ探すよ」
そう言って、タマミはスマホでこの付近の地図を示したり、シマエナガの巣や枝に止まっているシマエナガの群れの写真を見せ、探すエリアを分担してくれてた。
「この辺、スマホの電波の入り具合が良くないね……もし見つけてもスマホがつながらなかったら、大声で呼ぶしかないか……それから、集合する時間と場所を決めておこう」
「タマミ、キミはほんとできる女子だな! 末は社長か大臣か?」とヒロトが感心する。
「すごいだろ。……でも褒め殺しは無事に見つかったらでいいから、さあ、捜索開始!」
「「「「オー」」」」
「おーい、島江さーん」
やっぱり無謀だったか? 丘陵公園とそこから延びる森は、さすが北海道とうならずにいられないほどの膨大な樹木の数。そもそもシマエナガは天敵に見つからないような所に巣を作ったり、潜んだりしているわけなので、奇跡でも起きない限りみつからないのではないかとだんだん弱気になる。
一旦の集合時間となり、公園の敷地内のベンチに戻る。フウカが自宅でたくさん拵えて持ってきてくれたお結びを頬張る。
これだけの数があれば、島江さんもきっと満腹になるだろうなと涙がこぼれそうになった時、パシンと背中をタマミに叩かれ「さあ、捜索再開するわよ」と発破をかけられた。
日が傾き、風に混じる冷気が強くなり始めた。今日はそろそろ断念しよう。みんなには東京に帰ってもらい、僕は宿をとって(学校もサボって)明日また探そうと考えた時。
「ジュルリ、ツリュリュ」
頭上から鳥の鳴き声が聞こえた。
一生懸命ホバーリングしているのは、シマエナガだ。
でも、僕は直感した。あの鳥は島江さんじゃないって。夢の中に出てきた彼女の様子からすると、弱っていて動けないはずだ。
「ジュルリ、ツリュリュ」
そう鳴きながら、少しずつ前に進み始めた。どうやら、ついて来いって言っているようだ。修学旅行の、あのシーンを思い出した。
〇
“おーい、島江さーん ”
また、頭の中でコウイチの声が響いタ。幻聴か……でも、ウチ、まだ生きてたんダナ。
“おーい、島江さーん ”
その声⁉
巣穴の上で心配そうにウチを見つめていた四女のシズクにも聞こえたノカ? 彼女はパッと飛び立っていった。「シズク、単独行動は危険ダゾ!」と叫んだが、声にならなかっタ。
〇
巣穴のてっぺんから射す光が遮られタ。シズク、戻ったカ。ヨカッタ。
彼女の姿が消えたと思うと、再び光が遮られた。
「島江さん、ここにいるのか?」
今度は至近距離でコウイチの声が聞こえた。
巣穴の入口に影を作ったのは、ニンゲンだった。見えるのは、目だけ。でもワカル。それはコウイチの目だ。
「ヒリリリ! ピリピリ!」
パパとママが威嚇の声をあげる。
「パパ、ママ。大丈夫ナノダ。このニンゲンは、ウチのトモダチダ」
〇
一羽のシマエナガに導かれ、草原から百メートルほど森の中に入る。そこで小鳥はさっきみたいにホバーリングを始めた。
その下をよくよく見ると……木の股のところにそれはあった。シマエナガの巣。確かにフクロウに似ている。それがあるのは地上から二メートル半ほど。近くの枝には、シマエナガが数羽止まっている。でも、彼女はそこにはいない。夢の中の彼女は、巣の中でうずくまっていた。
「おーい、来てくれー!」
僕はリレーの仲間を大声で呼んだ。
最初にタマミ、少し遅れてヒロトがのっそりと姿を現した。フウカの姿はない。
僕が巣を見上げていると、タマミも僕の視線を追って巣を見つけたようだ。
「あの中にいるの?」
「多分」
「でも高くて確かめようがないね」
「まあ、このために僕がいるようなもんだ……コウイチ、乗れ」
そう言ってヒロトがしゃがんだ。
「あ、悪い……じゃあお言葉に甘えて」
ヒロトは僕を肩車するとゆっくりと膝を伸ばした。
慎重に巣の上部にある穴に顔を近づけ、そっと覗く。
「島江さん……ここにいるのか?」
しばらく沈黙が続いた。
「わ!」
不意に二羽のシマエナガが巣穴から飛び出してきた。
そして、枝に止まっている群れの両端に並んだ。一回り体が大きい。親鳥だろうか。
「コウイチ、来てくれたノカ? こんなところマデ」
巣穴から聞こえる、か細い声。でも間違いない。人間の声、島江さんの声だ。
僕は巣穴を覗く。でも中は暗くて姿は確認できない。
「コウイチ、ありがとうナ。ウチに会いに来てくれて。これでなにも思い残すことはナイ」
「ばか! なに言ってんだ。僕は島江さんを助けに来たんだ」
「そう怒るナ……ウチたちシマエナガは、こうやって命をつないできたんダカラ」
「……とにかく、君を獣医さんのところまで連れて行く」
「無駄ダヨ。だいたいどうやってここから連れて行くというノダ?」
その時、エンジン音が耳に入った。それはだんだんと近づいてきて、やがて木々の間から黄色く小さなオフロード車のボディが見えた。
バタンとドアが開閉する音が聞こえ、誰かが走り寄ってきた。フウカだ。
「獣医さん、連れてきたよ!」
「フウカにね、電波の届くところに行って近くの獣医さんに電話してって頼んどいたの」
と解説するタマミ。
「さすがリレーの優勝チーム、連携プレイが見事だねえ」
とヒロトが口笛を吹く。
フウカより少し遅れて現れた獣医さんは、若い女性だった。獣医さんと言っても白衣姿ではなく、ライトブルーのデニムパンツに白とピンクのギンガムチェックのネルシャツ姿。髪を後ろで一つに縛り、銀ブチの眼鏡をかけているところだけがお医者さんらしい。彼女は肩車しているヒロトと僕と、シマエナガの巣を順々に見て、顎に手を当てた。
「その中にいるのね?」
「はい」僕は確信をもって答えた。
「じゃあ、巣ごと降ろせるかしら」
「え⁉」
取り外しちゃっていいものなのか? 迷いながらも、枝に止まっているシマエナガ団子に目を遣ると、みんな、「ウンウンイイヨ」とうなずいてくれた……ような気がした。
僕はゆっくり巣を持ち上げ、木からはずし、ヒロトの肩車から降りた。
「じゃあ君、そのまま車に乗って」
言われるがまま、巣を抱え、スズキ・ジムニーの助手席に乗る。四人乗りだが、一人あぶれてしまうので、リレーチームとはここで別れることにした。
「「ナギちゃん、頑張って!」」
と女子二人が巣に向かって激励する。
「コウイチ、しっかり守ってやるんだぞ」
そう言ってヒロトがサムアップした。
「ああ! ありがとう。本当に助かった」
「飛行機代は成功報酬!」
「……わかってるって」
「じゃあ、車出すよ」と獣医さんがエンジンをかけた。
しばらく走っていると、巣の中からごく小さな声が聞こえた。
「アリガトウ……カ。ホントウにいい言葉ダ」
「またみんなに会ったら言ってやってくれ、島江さん」
十五分ほど走ったところで一軒家のペット病院に着いた。
獣医さんは処置室に巣ごと運び込んでドアを閉め、治療を始めた。
一時間ほどして、女医さんが屋根の丸い金網でできたケージを持って出てきた。
中では、一羽のシマエナガが止まり木にはつかまらず、目を閉じてケージの底にうずくまっている。
「ど、どうですか?」
「傷口を消毒して、縫って止血して薬も塗った。やれることはやったけど、なにせ小さくて華奢(きゃしゃ)な鳥さんだからね……回復するかどうか、後は神に祈るだけね」
「あ、ありがとうございます。日曜なのにすみませんでした」
「なあに、イキモノちゃんたちの急患の診察は、しょっちゅうだからね。気にしないでいいよ」
「あの、治療代はいくらですか?」
「それは後から考えよう……いずれにしても、連絡するわ」
『いずれにしても』という言葉が、こんなに色々な良くない想像をかきたてる残酷な言葉に聞こえたことはなかった。
僕は、その日札幌市内で一泊して翌日の月曜に東京に帰り、学校はサボった。両親には一応メッセージを残した。帰ったらどやされるかと思ったけど、母から「あんまりムチャしないのよ」と言われただけだった。
〇
それからしばらく、獣医さんからLINEも入らなかったし、携帯も鳴らなかった。二週間たっても連絡が無かったら、こっちから電話してみようと決めていたので、あの日から翌々週の土曜の朝に電話をかけようとした瞬間。
スマホが震えて、着信を知らせるウィンドウが表示された。獣医さんからだ。急に胸がドキドキし始めたのを感じながら、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「ああ、沢村君?」
「そうです、あの……」
「ごめんね。ちょっと忙しくなってなかなか連絡できなくって……でも安心して、シマエナガちゃん、元気になったよ」
思わずふぅーっと溜息が出た。胸のドキドキは収まらなかったけれど、それが心地いいものに変わった。
「それでね、もう飛べるみたいだから、丘陵公園に放鳥、つまり帰そうと思うんだけど、こっちでやっておこうか? 飛行機代も大変だろうし」
「いえ、行きます! 明日、日曜でもいいですか?」
「ええ、じゃあ待ってるわ」
僕はリレーチームの仲間に、小鳥は元気になったこと、北海道に行って放鳥に立ち会うことをLINEで伝えた。
〇
地下鉄の真駒内駅から外に出ると、黄色のジムニーが停まっていた。車の脇に獣医さんが立っていて、僕の姿を見つけると軽く手を振った。
「よく来たわね。さあ乗って」
彼女はケージをシートベルトからはずし、僕に渡した。
白い鳥がチョコンと止まり木に掴まり、黒い瞳が僕の顔をじっと見つめている。そしてクルリンと小首をかしげた。
「出発するぞ」
獣医さんに急かされ、慌てて助手席に座り、シートベルトを締めた。
僕の膝の上のケージの中から、黒い瞳が相変わらず僕の顔をガン見している。
「治ったんだな」
「……」
「本当によかったな」
「……」
僕が声をかけても、シマエナガはクルリンと小首をかしげるだけで、言葉も鳴き声も発しなかった。
ニ十分ほどで、滝野すずらん丘陵公園に到着。公園沿いの山道を走り、見覚えがある場所に出た。
「この辺だっけ? シマエナガちゃんの巣があったところ」
「多分そうだと思います」
「じゃあ、ここで放してあげようか」
「……はい。お願いします」
獣医さんは、木の切り株の上にケージを置いた。
「さあ、開けてあげて」
僕はケージの扉をそっと開いた。
小鳥はしばらく止まり木に掴まったままだったが、僕の顔を見ると扉の前までチョコン移動し、扉から頭をのぞかせる。そしてまた、クルリンと小首をかしげた。
さらに切り株の上に移動し、パタパタと羽を動かし。
そして、一気に空中に舞い上がった。
十メートルぐらいの高さで、ちゃんと飛べるか確かめるように何度か旋回し、やがてホバーリングしながら空中で静止した。
“チチチッ ピーピーー チュリリリリリッ”
その鳴き声は、確かに。
カラオケの帰りに、あの堤防で島江さんが『歌った』声といっしょだった。
季節が進み、濃くなった青空を背景に空中に佇む白い鳥。その白さが僕の涙で滲んでいく。
「ありがとう、島江さん!」
そう叫ぶのがやっとだった。
島江さんは、さらに高度を上げる。
すると……一羽、二羽、三羽、四羽、五羽、六羽、七羽、八羽……全部で九羽のシマエナガが現れ、彼女の周りを囲んだ。
そして、シマエナガの家族はあっという間に森の方に消えていってしまった。
僕は手を振るのを止め、獣医さんを振り返ると、彼女は微笑みながらまだ手を振っていた。
やがて手を降ろし、僕の方に近づいて来た。
「先生、本当にお世話になりました」
「ううん、でもよかったね。ちゃんと家族も迎えに来てくれたし」
「それから、治療代払います。いくらですか?」
「なに言ってんのよ。たまたま君が発見して、北海道の動物を守ってくれたんだから、お金なんか受け取れないわよ……それに二往復も飛行機代、大変でしょう?」
今回の旅費は、母親に土下座して借金させてもらっていた。リレー仲間の旅費も借金しなければ。
「お金の話は、これでおしまい……でも、不思議よねえ?」
「え、なにがですか?」
「シマエナガって警戒深い鳥だから、めったに人に向かって鳴いたりしないんだけど、あなたには話しかけるように鳴いてたじゃない? ……しかもさ」
「?」
「あの鳴き声はね、私の今までの観察によると、『求愛』の鳴き声よ……アナタガスキデス、ワタシトケッコンシテクダサイっていう」
僕はそれを聞いて、その場にうずくまって泣くしかなかった。



