ピカッ、バリリ!
ドカーン
雷が鳴り響いた瞬間、ウチは通称ふくろうハウスに戻っていた。白い小鳥、シマエナガとして。
パパとママは相変わらずウチをはさんで寄り添ってくれてイル。
ピカッ、バリリリリ!
パシャーン
再び雷鳴が轟き、ウチは自分の教室に戻っていタ。ニンゲンの島江凪とシテ。
あの時――コウイチと花火を見た時――と一緒ダ。
今になってようやくわかったンダ。
ウチはまだ死んでなかったんだ……でも、今にも死にそうではあるケド。
ウチは生まれ変わっていた訳じゃなかったノダ。
たまたま、偶然。
『島江 凪』という、ニンゲンの女子高校生に『乗り移っていた』だけだ。
ごめん、島江凪さん。
ウチは知らなかったんだ。
アナタの体と記憶を奪っていたことヲ。
でも、もうすぐ。この『乗り移り』も終わろうとしている。
シマエナガのウチは、ソロソロあの世に旅立たなければいけないんだカラ。
パパやママが言うには、ソコは、小さな鳥さんばかりの幸せな楽園ラシイ。もちろん、二人とも行ったことはナイ。
例えそうだとシテモ……あと少し、もう少しだけこのままでいさせてホシイ。
コウイチにちゃんと、アリガトウ、サヨウナラって言える時間ダケ。
○
島江さんは、教室に一人でポツンと座っていた。終業のベルが鳴っても彼女は珍しく僕の教室にも玄関の下駄箱あたりにも現れなかった。
「島江さん、ひょっとして傘忘れた?」
彼女はびっくりして振り返ったが、すぐにまた前を向いた。
「ああ、そうダガ、もうすぐ雨も止むでアロウ」
「そうかな、けっこう本降りっぽいけど……よかったら、僕の傘に入って帰らない?」
少し沈黙が続いた。
普段なら二つ返事で「おう、相合い傘か! ぜひ一緒に帰るゾ」とか言いそうなのに。
「アリガトウ。でも今日は遠慮してオク。雨が止んだら一人で帰ル」
「遠慮なんかしなくていいのに」
「ゴメン。今日はそうしたい気分ナノダ」
「そうか、わかった……あ、こないだ忘れたビニールの傘が教室にあるから、この傘置いてくよ。使ってね」
僕は持っている傘を島江さんの席の後ろに置いた。もちろんビニール傘の話は嘘だ。
「ああ、アリガトウ」
「じゃあまた明日」
島江さんだって、一人になりたい時ってあるんだろうな。最近少し寂しそうな表情を見せるのが気になってはいるが、正直、僕になにをしてあげられるのか、わからない。
せいぜい、言うとおりに一人にしてあげて、雨に濡れないように傘を貸すくらいしか。
○
僕はカバンを頭の上に載せ、下校する生徒達が刺している傘の合間を縫って、ジグザグに走った。雷は断続的に鳴り響き、それに合わせて雨は強くなったり弱くなったりした。結局家に着いた時は、全身びしょ濡れで、浴室に直行した。
○
翌日、熱が出て学校を休んだ。雨に降られて風邪を引くなんて単純すぎるけど、昨日帰ってすぐに浴びたシャワーの温度設定がいまいち低かったような気もする。
朝起きたときに頭痛と寒気がして熱を測ったら、三十八・二度。薬を飲んで寝て、昼に母がうどんを作ってくれたので、それを食べたらまた眠くなってしまった。
○
なにか気配を感じて、目を開ける。
焦点が定まらず、ぼんやり視界に入ったのは、黒いつぶらな瞳。近い!
「うわああ! 島江さん、なんでココに!」
僕はガバッと起きかけ、彼女のおでこと鉢合わせになってしまった。
「イテテ……ほら、無理に起きると風邪をぶり返すゾ……それから、まるで化物を見たように騒ぐでナイ……陣中見舞いと、それに傘を返しに来ただけダ」
そう言って島江さんは傘を振りかざし、僕の額に軽く『面』を食らわせた。見舞いに来たのではなかったのか?
「傘は玄関に置いといてくれればよかったのに……風邪が移るといけないし。よくウチの母さんが家に上げてくれたな」
「コウイチのママさんは店が忙しそうだったからナ」
「黙って入ってきたのか⁉」
「まあ勝手知ったる、わが家でもあることダシ」
「いつのまにわが家になったんだ?……まあいいや、傘はそこに置いといていいから、風邪が移らないうちに帰って欲しい」
「ずいぶんと塩対応ダナ」
「いやそうじゃなくて」
彼女は落ち着きなく部屋の中を見回し始めた。
「前も言ったけど、ベッドの下に怪しいモノはないからな」
「ソウカ残念、ではなくて、今日はちゃんとコウイチにお礼をしておきたかったノダ」
「傘の件はいいよ、それで島江さんが濡れずに帰れたんなら」
「それだけではナイ。キミには色々とお世話になっている」
「他にお礼を言われるようなこと、あったかな?」
「まあ、コウイチにとっては些細なことなんだろうガ……まあ、これくらいしかできないガ、受け取ってクレ」
彼女はそう言うと、僕の両肩の脇に両手をつき、覆い被さった。
「こ、こら、風邪が移る!」
「移ってもヨイ」
島江さんの小さな唇が僕の唇に重なった。
そして、僕の顔の上にポタポタと雫が落ちてくる。
島江さんの涙だ。
そっと唇が離れると、彼女は僕のパジャマの胸元をぎゅっと力いっぱい握りしめ、顔をうずめたまま、しゃくり上げるように肩を震わせた。
「コウイチ……ごめんナ。ウチ、もうすぐ行かなくちゃいけないノダ」
熱に浮かされた僕の耳に、震える小さな声が届く。
「え……行くって、どこに?」
「いい場所ラシイ……そこには仲間がたくさんいて、ウチが来るのを待ってイル」
混乱する僕をよそに、彼女はギュッと僕の胸に顔を押しつけたまま、ぽそぽそと語り始めた。
「パパとママ、シマ姉ちゃん、シズクたちとぎゅっと体をくっつけて暮らした『ふくろうハウス』は最高にあったかかっタナ」
「ふくろうハウス?」
「外の世界も素敵ダッタ。キラキラな空の色、くすぐったくなる花の匂い、聞いてると眠くなる水の音、ウチはそこで家族と楽しく暮らしてきた……それなのにハイタカが……」
「いったい……なんの話?」
彼女の瞳からこぼれる雫が、僕のシャツを冷たく濡らしていく。
「初めて島江さんになって目が覚めたトキ、最初はワケがわからなかっタケド……こっちの世界には、あったかいものが、いーっぱい溢れてタ」
「島江さんって……」
「トニカク、コウイチを見つけたノダ。再び会うことがデキタ」
「……学食の話?」
「ソウダ。ごちそうになった甘くてウンマイお稲荷さん」
……あれは島江さんに強奪されたような気もするが……それは置いといて、どうも彼女の言っていることがよくわからない……いや、わからないわけじゃない……多分そうだとすると……僕はその先のことを考えたくない。
「チャイムと一緒に猛ダッシュして奪い合った、ナポリタンとヤキソバのハーフ&ハーフ。
ピンポン勝負……あの時、ウチがピンポン玉にウチの顔を描いてイタズラしたのに、コウイチは戻ってきてクレタ。スゴク嬉しかったんダヨ。
タマミやフウカたちとスイーツ&がーるずとーく。
西東京ドリーム温泉の、夫婦(メオト)ごっこと赤城しぐれ……」
食べ物の話が多いような気もするけど、涙と一緒にとめどなく溢れる思い出の数々。彼女の胸にぎっしりとつまった宝石を一つひとつ見せてくれるみたいに話してくれる。
「コウイチのお家、お花屋さん……ステキなお仕事、そして素敵なママさんとパパさん……ウチの家族に負けないくらい、いい場所。
体育祭は息がピッタリだったな……白組チームのみんな……そしてコウイチとウチ。あの日はちょっと暑かったケドナ。
カラオケのコウイチの歌、『飛べない鳥』はなかなかのもんだったゾ。アンコールに応えて川原のベンチで歌ってくれた。優しくてジーンとキタ」
「島江さん」
「……ナンダ、コウイチ?」
「……なんでそんなに思い出話をたくさん聞かせてくれるのかな? そんな急に話さなくても、これからもゆっくり話そうよ」
彼女の体が小刻みに震える。僕は熱で重い腕を動かし、彼女の華奢な背中にそっと手を添えた。
「みんな、みんな、優しくて、愛おしくて、ウチの宝物ダ。
でもナ……一番の宝物は、コウイチ、キミなんダヨ。
トモダチになってくれて。一緒に走ってくれて……。
花火大会の夜。ママさんがスズランの浴衣を着せてクレタ……そして、ウチのこと『綺麗だ、大好きだ』って言ってくれタ」
島江さんは顔を上げ、うるうると揺れる真っ黒な瞳が僕を見つめる。
「ウチはな、死ぬのはちっとも怖くナイ」
「死ぬって⁉ いったいなにを言い出すんだ?」
「ウチは命をつなげる……シズクに。シズクが生む子供たちに……だから、笑ってさよならできるって、ずっと思ってた。……デモ!……でも……デモ」
「島江さん……」
「お別れするのは……イヤダ。
コウイチに会えなくなるの、みんなの笑顔が見られなくなるの……さみしくて、さみしくて、たまらナイ! 死ぬのは怖くナイ、なんていうのはただの強がりダナ。やっぱり怖い。独りぼっちになるのが怖い……死んでも、怖いって気持ちは消えないんだろうカ? ウチ本当はずっと……ずっとコウイチのそばで、ニンゲンの女の子として隣にいたかった……っ!」
僕はたまらず彼女の小さな体を抱き寄せた。熱でぼんやりとした頭でも、彼女が今、本当にどこか遠くへ消えてしまうんだということは悟った。
行くな、行かないでくれ……喉の奥が熱く焼けるように痛む。
彼女は僕の腕の中で何度も何度もしゃくり上げ、僕のパジャマの背中をギュッと握り返した。
「ありがとう……コウイチ。私、人間になれて、恋をして、本当に奇跡みたいに幸せだった。ウチが消えたら、島江さんがきっと戻ってクル」
「なんで島江さんって?……自分のことなのに」
「コウイチ!」
島江さんは強く僕の名前を叫び、そうしたことを後悔するかのように小声で続ける。
「ホントウは、わかっておるのダロ?……うすうすデモ……ウチがナニモノなのか?……島江凪さんとウチの関係モ」
僕はそれに答えられなかった。心の片隅ではずっと思っていたけど、はっきりとさせたくなかったんだ。信じられる、信じられないの問題じゃない。
「島江さんは、島江さんだ……僕が好きなのは君なんだ!」
今度は僕から彼女に口づけた。ギュッと抱いて。
小さな唇は少しだけ温かくなったような気がする。
〇
いつまでそうしていたのか、わからない。
そして僕は、いつ寝てしまったのか、わからない。
ただ……遠のいた意識の中で、彼女はささやいた。痛切な祈り……それだけは、はっきりと鼓膜に焼きついている。
彼女の最後のわがまま。
“ウチのこと、ずっと好きでいてホシイ”
それは、花火大会の時にも聞いた。
そのあとの言葉。
”ウチがいなくなったあとの『島江凪』さんも、どうか、好きでいてクレ
……そうしてくれるナラ、ウチは喜んで二人の恋の、当て馬にナル
……ホントは鳥だけどナ、エヘヘ”
その言葉のあと。
僕はさっき、夢の中で……でも確かに見たんだ。
傷ついた、一羽の小さな白い鳥が、ほの暗い空間の中でうずくまっているのを。
「島江さん……なんで⁉」
僕は慌てて起き上がり、問いただす。
しかし。
島江さんの姿は見当たらなかった。
夢を見ていた?
僕の机に傘が立てかけられていた。



