島江凪は、二度恋をする。 ~飛べない鳥に、恋の歌~

「コウイチ、ドウダ、まいったカ?」

居間のドアを開け、浴衣姿の島江さんがサササササッと部屋の中に入って来た。

その後を母が好奇心丸出しにしながら続く。

「感想を聞かせてクレ」

「そうだな、せっかく浴衣を着せてもらったんなら、もう少し動作の速度を落とした方がいいんじゃないかな?」

ちょっと口をとがらせクチバシみたいにして、島江さんは僕の母に顔を向ける。
「ママさん、今の感想はどう評価すればいいと思いますカ?」
彼女は白い頬をぷっくりと膨らまし、なにやら『ご不満』の意思表示をしているらしいけど、その姿はまるで、雪景色の中で寒さを防ぐために膨らんでいるシマエナガみたいだ……要するに可愛い。


「そうねえ、あまり核心に触れてないから、ノーカンにしておいたら?」
「ママさんがそう言うのであれば、そういうことにしてオコウ。楽しみにとってオクゾ」
「?」

二人はいったい、なにを言っているのだ? 皆目見当がつかないが、いつのまにか、結託するほど二人が仲良しになったことだけは、よくわかる。

コトの起こりは、こうだ。

先週の学校帰り、島江さんは僕の家に寄って、居間でおやつを食べていた。貰いもののカリントウと美味しい煎餅があるから、ナギちゃんを誘いなさいと母から命令があったからだ。なぜか島江さんのことを気に入っていて、おやつタイムに誘ったのはこれが初めてではない。母曰く、『わたしの若い頃に似ている』らしい。そうなると、島江さんの行く末を案じないわけにはいかないが、彼女自身は嬉しそうだ。いやきっと、こうやっておやつを振る舞ってもらえるのが嬉しいだけだ。

その日も島江さんがカリントウと煎餅を根絶やしにしかけた頃、母がバーンとドアを足で開け入ってきた。両手を使って長方形の薄い木箱を持っている。

「ねえねえナギちゃん、今度の土曜、これ着てみない?」
そう言って母は箱の蓋を開け、中身を取り出した。

浴衣だ。僕が見るのは初めてだ。
「母さん、そんなの持ってたの?」
「そう、わたしが若い頃にね母、つまりコウイチのおばあちゃんに作ってもらったんだけどね、結局一回きりしか着なくてね、じゃあ女の子が生まれたら着せようと思ってたのよ……でもほら、生まれたのがコイツでしょ? ちょうど諦めかけてたところに、ナギちゃんが来てくれたじゃない? これは千載一遇のチャンスだと思ったわけよ」

『コイツ』とか、なんかスカ扱いされた……
島江さんは、渡された浴衣を広げると、黒い瞳をキラキラさせた。薄いブルー、多分青空をバックに、草原で群れなして咲くスズラン。確かにこれは美しい。そして、この風景、どこかで見たことがあるような……

「ママさん、これ着させてもらってもいいんですカ? ぜひゼヒ、着てみたいデス……でもウチ、着方わからないシ、下駄とか持ってないシ」
「大丈夫。道具は全部とってあるし、浴衣の着付けぐらいなら、わたしがやって差し上げましょう!」

「母さん、その浴衣、なんでそんなに島江さんに着せたがるの?」
母のテンションの高さがいまいち解せなかった。

それを聞くと、母は虚空を見つめ、不気味にニヤリと微笑んだ。
「これはね。リベンジよ……わたしの青春への」
意味がわからん。
「浴衣とリベンジの関係がよくわかんないんですが、もう少し詳しく……」
「そんな乙女の胸に秘めたる思いをあんたなんかに教える訳ないじゃない!……あとでこっそりナギちゃんに教えてあげるけどね」

そんな謎のやりとりがあって、今日、土曜日になった。
午後遅く、島江さんがやって来て、うちの母が浴衣を着付けてくれた。
浴衣姿の島江さんを見たとき、その可愛さ、可憐さに衝撃を受けたが、目の前にいる本人と母親にそれを伝える勇気はない。そういうのはちゃんと言ってあげた方が喜ぶっていうのもわかっているけど。

今日の行き先は多摩川の花火大会。家族で一度だけ見に行ったことがあるけど、当時は背が低かったし、人がいっぱいいて花火がよく見えなくて、音だけがドーン、ドドーンと響いていたのは覚えている。

「浴衣と下駄で歩きにくいんだから、コウイチがしっかりエスコートするのよ」
「うるさいなあ、そんなのわかってるって、さっさとお店に戻ったら?」
「ヘヘヘ! じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい!」

まさか、自分の交際に親がこんなに介入してくるとは思わなかった。
ん? 交際? 僕と島江さんはつきあっているのだろうか? 彼女からなにか意思表示されたこと、あったっけ?……その型破りで冗談とも思える言動から、多分、僕のことを好きなんじゃないかなとは思う。じゃあ、僕は? 僕がなにか意思表示をすれば、二人の関係は変わるのだろうか?

そんな思いをよそに、島江さんは浴衣姿で機嫌よさそうに、歩幅を狭くしてシズシズと歩いている。『もう少し動作の速度を遅くしたら』と僕が言ったからなのかどうかわからないけど、いつもより落ちついていて、おしとやかだ。

混雑した電車の中では、自然に体を寄せてくる島江さん。周りから羨望の眼差しが感じられなくもない。彼女にとってはそれが当たり前のようだが、この子、スキンシップが半端じゃない。そういう家庭環境に育ったのだろうか。

「コウイチ、はぐれるとイケナイから手をつないでくれ」

二子玉川駅に着くと、そう言って僕に白くて小さな手を差し伸べてきた。ほら、こんな風に自然と自分のペースで僕を巻き込んでくれる。女の子の接し方に疎い僕にはちょうどいいのかもしれない。

お陽様が沈むまでにはまだ時間があったが、会場周辺はすでに大混雑だ。
「ヨシ、花火が始まるマデ、気合いを入れて食べ歩コウ!」
そう言って島江さんは果敢に、いい香りが漂う出店ゾーンに飛び込んで行った。慌てて僕は追いかける。
「焼きそばにタコ焼き、みたらしナッツに韓国風おでん、そして冷凍フルーツ、どれも美味でアッタ」

行列ができていなくても美味しい『穴場の店』を探し出す才能に長けているらしく、花火開始前までに、お祭りグルメを堪能して島江さんはご機嫌だ。

お陽様がだいぶ傾き、空の色が変わってきた。気のせいか、風も少し涼しくなったような。『あと十分で予定通り花火の打ち上げを開始します』とのアナウンスも入った。

有料席とその周りはもう人でいっぱいだ。いくら背が小さいからといって、さすがに浴衣姿の島江さんを肩車するわけにはいかない。僕は子供の頃の苦い経験から、花火大会の会場から少し離れた場所に移動することにした。

多摩川伝いに歩き、少し遠くまで来てしまったが、座るのにちょうどいい石組みがあって、僕らはそこに腰かけた。一応島江さんには、ヨレヨレだけど敷物代わりにハンカチを貸した。


カチッと閃光が輝き、それが上空に伸びていく。
やがて夜空に大きく鮮やかな花が咲く。

ドドドーンと遅れて花火大会の始まりを告げる音が聞こえた。

隣りの島江さんを見ると、文字通り、目が点になって上空を見つめている。まるで初めて花火を見た子供のように。


次々と打ち上がる花火に照らされて、浮かび上がる島江さんの浴衣姿。
見惚れてしまう。

僕の視線に気がついた島江さんが口を開く。
「コウイチ、花火が上がってるのはアッチの空ダゾ。コッチばっかり見てては損ではないカ?」

「いや、その……」
「ソウカ。では聞くべき時が来たようダナ」
「?」

「今一度、感想を聞かせてクレ」
「えっ……それって昼間の質問の続きかな?」
「ソノ通り」


多摩川の川原を伝って、少し涼しい風が吹いてきた。
それが僕の背中を優しく押す。


今、言わなくちゃいけないんだ。
そう思えた。
だから、言葉が自然に出てきた。

「スズランの浴衣を着て、花火に見とれている島江さん……本当に可愛く、綺麗だと思う」

「…それカラ?」

島江さんの真っ黒な瞳が僕を見つめる。

「……ますます好きになった……大好きだ」

それを聞いた島江さんは身を寄せ、僕に抱きついた。

「正解ダ!……こういう言い方はよくないナ。コウイチ……ウチも君のことが大好きだ」
「あ、ありがとう」
「こっちこそ。『アリガトウ』って、本当にヨイ言葉ダ。ソレに、コウイチから初めて聞いた言葉でもあるノダ」
「そ、そうだっけ?」
「そうナノダ」


島江さんは顔を上げた。
「これで、コウイチのママさんのリベンジもかなったナ」
「?」
そうだ。さっき母がそんなこと言ってた。
「コウイチが大正解してくれたので、褒美にママさんの恋愛秘話を聞かせてあげヨウ」
「え!」

こうやって、僕は鮮やかな光がきらめき、爆音が響く合間合間に自分の母親の恋バナを聞く羽目になってしまった。

島江さんが来ている浴衣の胸の辺りをつまむ。
「この浴衣はナ、ママさんと彼氏の初デートの時に着ていったものだそうダ」
「……お祭りかなんかに?」
「奇しくも、このたまがわ花火大会」
「そうなんだ……で、なんでリベンジ? そこでフラれたとか?」
「急かすでナイ。ここからコウイチにした質問につながるのダカラ」
「母がその、彼氏に浴衣姿の感想を聞いたのかな?」
「ご名答! コウイチ、今日は冴えているナ」
「……で、なんて答えたって?」

「『そのスズランの浴衣、綺麗だね』って言われたそうダ」
「んー、なにか間違ったことを言ったとは思えないけど?」
「乙女ゴコロをわかってクレ……スズランの浴衣そのものよりも褒めてほしいものがあるダロウニ」
そうか、さっき僕は『スズランの浴衣を着ている島江さん』が可愛くて綺麗だと褒めたんだった。
セーフ! というところか……でも。

「あの、その彼氏が言いたかったことって、『浴衣をきた君』と拡大解釈してあげてもいいんじゃないかな?」
「何事も伝え方がスベテだ」
「厳しいなあ」
「それにママさん、彼氏の言葉を聞いて気づいてしまったんだソウダ」
「なにに?」
「彼氏は、浴衣姿の女の子と花火大会デートをすることに恋シテタ」
「?」
「ママさん自身も、可愛い浴衣を着てカレシと花火大会デートする、というイベントに恋シテタ」
「?」
「要は、お互いのことをちゃんと思っていなかった、というコトダ」

「厳しいなあ」というのが僕の率直な気持ちだ。

もう一つ、聞いておかなければならないことがある。ちょっと怖いけど。
「で、なんやかんやあっても結局、二人の恋は成就したのかな?」
成就していれば『彼氏』とは父である可能性が高い。していなければ『元彼』になる。

「ウチも気になってママさんに聞いたところ『もし成就していたらコウイチはこの世には生まれてくることなく、イケメンな男の子が生まれてきただろう』とおっしゃってタ」
そういうオチか……最後まで聞かなきゃよかった。

身内の恋バナを聞きながらも、花火はどんどん上げられた。
それに照らされて、ややあどけなさを感じる島江さんの頬に思わず見入ってしまう。


「いよいよ、この花火大会もラストになります」
そうアナウンスが入り、すぐ目の前の河原でシュパンッという鋭い音がした。数秒遅れて。



ドーーーーーン

という轟音が鳴り響き、大輪の花が咲いた。
尺玉というやつだろうか?

「すごかったね!」
感動を分かち合おうと島江さんの顔を見たら……

フリーズしていた。

その状態が数秒続き、彼女は我に返ったが、辺りを見まわし、不安そうな顔をした。


「あの、ここはどこですか……あなたは……どなた?」
自分が着ている浴衣を見回したあと、僕にそう尋ねる島江さんは……いつもと違う島江さんだった。
表情も。言葉遣いも。
僕の顔を見ながら怯えている。

返答に困っていると、再び。

ドーーーーーン
という轟音が鳴り響いて、周囲が眩しく輝いた。

咄嗟に僕に抱きつく島江さん。
花火の残像が残る中、彼女は顔を上げて僕を見た。

「なにかあったノカ?」

「いや、その……さっき一瞬島江さんがいつもと違って見えた」

「……そうだったのカ」

それだけ呟き、彼女は黙ってしまった。

花火大会のフィナーレを飾るスターマインが始まると、島江さんは顔を上げ、呆然とそれを見ていた。

アナウンスが花火大会の終わりを告げ、周りの見物客が動き出す気配を感じる。

島江さんは僕にしがみついたままだ。


「ねえ、コウイチ」

「どうした?」

「ウチのこと、ずっと好きでいて欲しイ」
「もちろん」

「花火が終わっちゃっテモ」

「……もちろん」

彼女がなにを言いたかったのか謎ではあったが、僕にはそう答えるしかなかった。