「オヤ?」
「あっ!」
銭湯の暖簾をくぐって表に出た所で彼女と鉢合わせた。
島江さんだ。
「コウイチもココに来たのカ?」
「島江さんのお家もやられたのか。ほんと困るよなあ」
この近くの幹線道路で工事をやっていて、間違って上水道に穴をあけちゃったらしく、大通りは大噴水状態で、見物人が押しかけて、不謹慎にも嬉しそうに騒いでいた。かく言う僕もその一人だったけど。今も懸命に復旧工事をしている。この季節、風呂に入らないのはきついので、家からちょっと離れた銭湯に来たところ。で、ばったり島江さんに会った次第。
「今日中に水、出るのかな?」
「早く直らないとやばいナ。トイレとかトイレトカ……コウイチん家のお店は大丈夫ナノカ?」
「さすがに花屋は水が出ないと商売にならないから、父さんたちは早々と店を閉めたよ」
僕はじっくりと湯に浸かって、もう帰るところだが、彼女はこれから入るところらしい。
「島江さんは銭湯によく来るの?」
「……ここは、銭湯ではナイ、断ジテ。因みにココは初めてダ」
そう言って入口にかかっている暖簾を指さした。
“西東京ドリーム温泉 ”
確かに。前から思ってたけど、ヘンテコな名前だ。
「じゃあ、温泉にゆっくり浸かっておいで」
また明日学校で、と手を振って家に向かおうとした。
「オーイ」
暖簾の下で彼女が僕を呼んでいる。
「なにかな?」
「……あのダナ、せっかくだから、ここで『……ごっこ』をやらないカ?」
「なにごっこだって?」
「いいからイイカラ。ウチがお風呂代を出すから、コウイチも、もう一回温泉を楽しむノダ」
「いや、風呂代はいいけど、いったい、なにを?」
「ひとつだけ、お願いを聞いてもらってもイイカ?」
「?」
彼女は僕の耳に手をあて、モショモショと喋り、なんか妙なお願いごとを頼まれた。
「いいカナ?」
「ちょっとそれ、無茶苦茶恥ずかしいんだけど」
「再び問う。いいダロ?」
同意を求められたというより、半ば強制なのだが……選択の余地はない。彼女の強引さは今に始まったことではない。断ると、どんな反応をするか見てみたい気もするが、その勇気はない。
なんだかよくわからないけど、島江さんの言うがままに再び銭湯、いや温泉の暖簾をくぐり、再び券売機で入浴券を買い、怪訝そうな顔をしている番台のおばあちゃんに券を渡し、男湯に向かった。
「コウイチ、忘れてナイカ?」
「なにを?」
「プレイは既に始まってイルノダ」
あれ?『ごっこ』がいつのまにか『プレイ』に変わってないか?
「わ、わかったよ……『じゃあ、また後でな』」
「よくデキタ。『じゃあ、またあとでネ♥』」
脱衣所に入り、再び服を脱ぐ。彼女も今、同じことをやっているんだろうか?
ちょっとドキドキする。
再び洗い場で体を洗う。
彼女も今、同じことをやっているんだろうか?
ちょっとドキドキする。
湯舟に浸かる。
西東京ドリーム温泉と名乗るだけあって、『産地直送、天然温泉の湯』とか『ビリビリ刺激が快感! 電気風呂』『今宵も皆様を夢の世界へ誘うジェットストリームバス』とか、ちょっと怪しいけどバリエーションが豊富だ。
壁画は、お約束の富士山だけど、空が妖しい虹色で、『ドリーム温泉』らしく悪趣味な、いや幻想的な雰囲気を醸し出している。
さっき長湯をしたばかりなので、ジェットストリームバスで、段になっている所の上に腰かけ、半身浴状態にした。
彼女は今、どのお湯に浸かっているんだろうか?
ちょっとドキドキする。
壁に架かっている時計を見る。
なかなか針が進まない。
サウナに入って時間をつぶそうかとも思ったけど、今それやると死ぬ。死ななくても銭湯の関係者並びにレスキュー隊員の方々に多大な迷惑をかける。
浅い浴槽に移動してへりに腰かけ、足湯状態にする。
そしていよいよ。
約束の時間だ。
僕は持てる限りの勇気をふり絞る。
「おーい、そろそろ上がるぞー」
入浴中のおじいさん、小さい子供達が僕を見る。無茶苦茶恥ずかしい。
少し間を置いて、ややエコーがかかった声が壁の向こうの女湯から返ってきた。
「ゴメンネー、あと五分待ってくれルー?」
『あ、あの女の子の声はコイツのお連れか』と入浴者の注目が僕に集まり、恥ずかしさが倍増した。
でも……壁の向こうに島江さんが存在することをリアルに感じ、僕のドキドキはバクバクに変わった。
壁の隔たりが残念だ。
僕は目をつぶる。
見るんじゃない。感じるんだ。
「おまたセー、上がるカラネー!」
妄想のピークに達した時、再び壁の向こうから声が響いた。
「お、おう、ずいぶんおせーなー」
彼女のお願いでは、このセリフまでが『プレイ』のワンセットらしい。
ノボセ気味でフラフラしながら男湯を出た。
服を着て男女共用の広間に行くと、彼女がめずらしく嬉しそうにしながら待っていた。
「コウイチ、ありがとう。楽しかったナ」
「えー、やっぱり無茶苦茶ハズカシかったんだけど」
上気して、いつもに増してピカピカ光る彼女の頬っぺたに、またドキドキした。
彼女は両手を差し出した。その手に載っているものは……
「赤と白、どっちがいいカ?」
「え?」
「ハイ、ご褒美ダ」
左右それぞれの手には、赤城しぐれの赤と白のカップ。
僕は練乳ホワイトを選んだ。
ソファ席に並んで座り、食べる。
お風呂によるノボセは治ってきたが、別の意味でノボセが収まらない。
「コウイチ、たまにはこういうのもいいもんダナ。どうだ、毎週木曜日は『西東京ドリーム温泉の日』にシテハ?」
「なぜ木曜?……それに銭湯代五百円を毎週はちょっときつい。せめて月イチにして欲しいな」
「ワカッタ。その代わり、今日やったプレイは必須とシヨウ。それがウチたち二人の温泉ルールダ」
「エエー!」
赤城しぐれを食べ終わると、彼女は僕にもたれかかった。
「ちょっと、のぼせたかもシレナイ」
そうだ、確か島江さんは、暑さには弱かったはずだ。
僕は足先で扇風機をこちらに向け、彼女に風があたるようにした。
〇
銭湯を出て、途中まで一緒に帰る。
次の曲がり角で僕は右に曲がり、島江さんは左に曲がる。
「じゃあ、また学校で」
「またナ、コウイチ。『昭和の江戸っ子夫婦のプレイ』、楽しかったゾ」
「え⁉」
彼女、こんなプレイ、どこで仕入れてきたんだ?
手を振って珍しく笑っている彼女の歯と唇。
街灯に照らされ、イチゴのしぐれで、淡くピンク色に染まっていた。
今夜は島江さんに何度もドキドキした。



