出勤して自分のデスクについてすぐ視線を感じた。
一番奥の独立したデスクに座る瀬川部長。
昨日の、兼森さんとのことが気になっているんだろう。
二人の昔の関係はなんとなく知っている。
彼女のことを知ろうとすればするほど『瀬川さん』の名前がついて回った。
けれどそんなことは関係ない。
彼女にあんな顔をさせる人に、俺は負けない。
午前中の事務作業を終え、デスクを立つ。
そして瀬川部長のところへ行く。
出勤してからずっとチラチラ見られていた。
言いたいことがあるならはっきり言ってほしい。
「瀬川部長。お昼、一緒に食べてもいいですよ」
顔を上げる部長は驚いた表情をする。
「それは、誘ってるの?」
「あんなに熱い視線を向けられていたら誘うしかないでしょう」
部長は小さくため息を吐くと立ち上がった。
誘いを受けるということだろう。
俺たちは社食へと向かった。
それぞれ定食を買って、隅の窓際の席に座る。
「で、なんですか。あんなに見られてたら気になります」
お互い箸を持ち食べ始めたところで声をかけた。
「……すみれと氷山って、いつから知り合いなの? 部署も違うし、インターンの時だって関りなかったよね」
「インターンのこと、覚えてたんですね」
「覚えてるよ。氷山、イケメンで目立ってたし」
「顔で目立っても嬉しくないですね。兼森さんは全く覚えてませんし」
「すみれは、あの頃仕事しか見えてなかったから」
「そうですね……」
◇ ◇ ◇
五年前、俺はインターンで二ヶ月間この会社にいた。
一ヶ月目は企画開発部で商品開発、後の一ヶ月は自分の企画した商品を営業部で販売のためのプレゼンをする、という内容だった。
就活はしていたけれど長期のインターンは初めてで、慣れない仕事に手間取っていた上に他のインターン生との熱意の差を突き付けられ、自信をなくしていた。
二ヶ月目に入って営業部でのインターンに移ったとき『氷山くんからは商品の良さを伝えようという意思が感じられない』プレゼン研修の場でそう言われた。
自分なりに頑張っているつもりだった。
昔から無理やり表情を作って、冷静に見られるように振舞っていた。
それがいけなかったのか?
でも、どうすればいいかわからなかった。
逃げ込んだ非常階段。
我慢しようと思っても溢れてくる涙に嫌気がさす。
半階下りた踊り場でうずくまっていると、後ろから声がした。
「きみ、大丈夫?」
顔を上げると、綺麗な女性がいた。
首から下げた社員証には『営業部 兼森すみれ』とかかれている。
こんな女性、営業部にいたんだ。
インターンには関りのない人なんだろうけど、見かけたこともなかった。
けど、こんな姿を会社の人に見られてはいけない。
「すみません、大丈夫です」
表情を作り立ち上がろうとしたけれど、肩をポンッと叩かれそのまま座らされた。
「泣いてたの? これ、うちの試供品のポケットティッシュなんだけど使って」
差し出されたティッシュで涙を拭くと、その柔らかさに手が止まった。
「優しい、肌触りですね」
「そうなの。特別感あるでしょ。頑張ってる自分へのご褒美だったり、大切な人に使ってもらうためっていうのがコンセプトなんだよね」
「そうなんですね……」
兼森さんはティッシュについて語りながら、自然と俺の隣に座った。
「インターンの子だよね。私もインターンのときすっごい悩んでたな。就活ってさ、大変だよね。体力的にも精神的にも。慣れないことばっかりで、本当に私社会に出られるのかなって。でも、案外なんとかなるもんなんだよね。先のことを考えると不安しか湧いてこないけど、今目の前のことに全力で向かい合ってたら、あれだけ不安だった未来が、気づけばなんでもなかった過去になってる。もし上手くいかなくてもいつかそれを『いい経験だった』って思えるようになるから。とにかく、目の前のことをやってみる。それが大事。なんて言ってもそう簡単にいかないよね。ごめんね、語っちゃって。でも、きみみたいに必死に頑張って、悩んで、戦ってる子、私は好きだな。応援してる」
兼森さんはニコッと笑って戻っていった。
ずっと泣くことに罪悪感があって、泣いてはいけない、人に見られてはいけない、弱みを見せてはいけない、そう思っていた。
けれど、兼森さんは泣いている俺を否定しなかった。
『必死に頑張って、悩んで、戦ってる子、私は好きだな』
俺はその言葉に救われた。
その後、兼森さんが作った資料を見つけた。
わかりやすいデータに、商品の魅力、市場価値、様々な角度からアプローチする営業資料に衝撃を受けた。
自分に足りなかったのは、ただ熱く語ることだけではない。
それに気付けたとき、やるべきことがわかった。
無事にインターンを終え、一年後この会社に入社した。
けれど兼森さんは営業部にはいなかった。
指導係になった先輩に、噂のこと、倒れて部署が異動になったことを聞いた。
なかなか口を割ってくれなかったけど、絶対に他言しない約束で教えてくれた。
兼森さんが倒れからその話はタブーになっていたらしい。
瀬川さんのことはインターンのときに一度グループ研修で指導してもらったから知っている。
営業部のエースと言われていて、物腰が柔らかくそれでいて余裕のある雰囲気が営業にも生かされているんだろうと印象に残っていた。
あの時助けてくれた兼森さんと瀬川さんがそんな関係だったなんてことは知らなかった。
一緒に仕事ができることを楽しみにしていたし、ちゃんとお礼もしたかった。
でも、噂のことを聞いた後で部署の違う俺がどう話しかけていいかわからなかった。
仕事を頑張るしかない。
いつか胸を張ってお礼を言いにいけるように。
そのおかげか営業の成績はどんどん伸びていった。
けれどそれに比例するようにプレッシャーも大きくなるし、妬みも増えていく。
誰にも弱みを見せられずにいた時、彼女と再会した。
「大丈夫ですか?」
こんな情けない姿みられたくなかった。
でもあの時と変わらない頼もしい優しさに安心していた。
「――また泣きたくなったら私に言って。一人で抱え込むのがよくないんだと思う。私は迷惑だなんて思わないし、嫌いになったりしないから」
俺はいつだって兼森さんに救われる。
だから今度は俺が彼女を支えたい。
◇ ◇ ◇
「瀬川部長って兼森さんのことどう思ってるんですか」
「僕の質問にまだ答えてもらってないけど。すみれとはどういう関係なの?」
「プライベートでも親しくする仲ですよ」
「嫌な言い方だね。すみれのこと、好きなんだ」
「はい。好きです」
職場の先輩として、人として、そして女性として兼森さんのことが好きだ。
普段は頼もしくて明るく振舞っているけれど、涙活をしたときの憂いを帯びた泣き顔に、彼女の素が隠れていると思う。
優しくて、面倒見がよくて、それでいてどこか儚さを持っている彼女が愛しくて仕方がない。
「あっさり認めるんだね」
「そういう瀬川部長はどうなんですか」
「僕は……自分の気持ちを言える立場じゃないから」
「嫌な言い方ですね」
「許されるなら、もう一度すみれの隣にいたいと思ってるよ」
はっきりとは言わないけど瀬川部長はきっと兼森さんに特別な感情を抱いている。
じゃなかったら俺にこんな話はしてこないだろう。
噂の発端のことにしろ、昨日のことにしろ、わかりやすい理由がいくつもある。
それなのにいつまでも曖昧な態度で彼女を傷つけている。
気持ちを言える立場じゃないってどういうことなんだ。
瀬川部長はかっこいいし仕事もできる。
尊敬しているところもあるけれど、彼女のことに関しては絶対に負けない。
俺の気持ちを確認したことで納得したのか、午後からは視線を感じることはなかった。
一番奥の独立したデスクに座る瀬川部長。
昨日の、兼森さんとのことが気になっているんだろう。
二人の昔の関係はなんとなく知っている。
彼女のことを知ろうとすればするほど『瀬川さん』の名前がついて回った。
けれどそんなことは関係ない。
彼女にあんな顔をさせる人に、俺は負けない。
午前中の事務作業を終え、デスクを立つ。
そして瀬川部長のところへ行く。
出勤してからずっとチラチラ見られていた。
言いたいことがあるならはっきり言ってほしい。
「瀬川部長。お昼、一緒に食べてもいいですよ」
顔を上げる部長は驚いた表情をする。
「それは、誘ってるの?」
「あんなに熱い視線を向けられていたら誘うしかないでしょう」
部長は小さくため息を吐くと立ち上がった。
誘いを受けるということだろう。
俺たちは社食へと向かった。
それぞれ定食を買って、隅の窓際の席に座る。
「で、なんですか。あんなに見られてたら気になります」
お互い箸を持ち食べ始めたところで声をかけた。
「……すみれと氷山って、いつから知り合いなの? 部署も違うし、インターンの時だって関りなかったよね」
「インターンのこと、覚えてたんですね」
「覚えてるよ。氷山、イケメンで目立ってたし」
「顔で目立っても嬉しくないですね。兼森さんは全く覚えてませんし」
「すみれは、あの頃仕事しか見えてなかったから」
「そうですね……」
◇ ◇ ◇
五年前、俺はインターンで二ヶ月間この会社にいた。
一ヶ月目は企画開発部で商品開発、後の一ヶ月は自分の企画した商品を営業部で販売のためのプレゼンをする、という内容だった。
就活はしていたけれど長期のインターンは初めてで、慣れない仕事に手間取っていた上に他のインターン生との熱意の差を突き付けられ、自信をなくしていた。
二ヶ月目に入って営業部でのインターンに移ったとき『氷山くんからは商品の良さを伝えようという意思が感じられない』プレゼン研修の場でそう言われた。
自分なりに頑張っているつもりだった。
昔から無理やり表情を作って、冷静に見られるように振舞っていた。
それがいけなかったのか?
でも、どうすればいいかわからなかった。
逃げ込んだ非常階段。
我慢しようと思っても溢れてくる涙に嫌気がさす。
半階下りた踊り場でうずくまっていると、後ろから声がした。
「きみ、大丈夫?」
顔を上げると、綺麗な女性がいた。
首から下げた社員証には『営業部 兼森すみれ』とかかれている。
こんな女性、営業部にいたんだ。
インターンには関りのない人なんだろうけど、見かけたこともなかった。
けど、こんな姿を会社の人に見られてはいけない。
「すみません、大丈夫です」
表情を作り立ち上がろうとしたけれど、肩をポンッと叩かれそのまま座らされた。
「泣いてたの? これ、うちの試供品のポケットティッシュなんだけど使って」
差し出されたティッシュで涙を拭くと、その柔らかさに手が止まった。
「優しい、肌触りですね」
「そうなの。特別感あるでしょ。頑張ってる自分へのご褒美だったり、大切な人に使ってもらうためっていうのがコンセプトなんだよね」
「そうなんですね……」
兼森さんはティッシュについて語りながら、自然と俺の隣に座った。
「インターンの子だよね。私もインターンのときすっごい悩んでたな。就活ってさ、大変だよね。体力的にも精神的にも。慣れないことばっかりで、本当に私社会に出られるのかなって。でも、案外なんとかなるもんなんだよね。先のことを考えると不安しか湧いてこないけど、今目の前のことに全力で向かい合ってたら、あれだけ不安だった未来が、気づけばなんでもなかった過去になってる。もし上手くいかなくてもいつかそれを『いい経験だった』って思えるようになるから。とにかく、目の前のことをやってみる。それが大事。なんて言ってもそう簡単にいかないよね。ごめんね、語っちゃって。でも、きみみたいに必死に頑張って、悩んで、戦ってる子、私は好きだな。応援してる」
兼森さんはニコッと笑って戻っていった。
ずっと泣くことに罪悪感があって、泣いてはいけない、人に見られてはいけない、弱みを見せてはいけない、そう思っていた。
けれど、兼森さんは泣いている俺を否定しなかった。
『必死に頑張って、悩んで、戦ってる子、私は好きだな』
俺はその言葉に救われた。
その後、兼森さんが作った資料を見つけた。
わかりやすいデータに、商品の魅力、市場価値、様々な角度からアプローチする営業資料に衝撃を受けた。
自分に足りなかったのは、ただ熱く語ることだけではない。
それに気付けたとき、やるべきことがわかった。
無事にインターンを終え、一年後この会社に入社した。
けれど兼森さんは営業部にはいなかった。
指導係になった先輩に、噂のこと、倒れて部署が異動になったことを聞いた。
なかなか口を割ってくれなかったけど、絶対に他言しない約束で教えてくれた。
兼森さんが倒れからその話はタブーになっていたらしい。
瀬川さんのことはインターンのときに一度グループ研修で指導してもらったから知っている。
営業部のエースと言われていて、物腰が柔らかくそれでいて余裕のある雰囲気が営業にも生かされているんだろうと印象に残っていた。
あの時助けてくれた兼森さんと瀬川さんがそんな関係だったなんてことは知らなかった。
一緒に仕事ができることを楽しみにしていたし、ちゃんとお礼もしたかった。
でも、噂のことを聞いた後で部署の違う俺がどう話しかけていいかわからなかった。
仕事を頑張るしかない。
いつか胸を張ってお礼を言いにいけるように。
そのおかげか営業の成績はどんどん伸びていった。
けれどそれに比例するようにプレッシャーも大きくなるし、妬みも増えていく。
誰にも弱みを見せられずにいた時、彼女と再会した。
「大丈夫ですか?」
こんな情けない姿みられたくなかった。
でもあの時と変わらない頼もしい優しさに安心していた。
「――また泣きたくなったら私に言って。一人で抱え込むのがよくないんだと思う。私は迷惑だなんて思わないし、嫌いになったりしないから」
俺はいつだって兼森さんに救われる。
だから今度は俺が彼女を支えたい。
◇ ◇ ◇
「瀬川部長って兼森さんのことどう思ってるんですか」
「僕の質問にまだ答えてもらってないけど。すみれとはどういう関係なの?」
「プライベートでも親しくする仲ですよ」
「嫌な言い方だね。すみれのこと、好きなんだ」
「はい。好きです」
職場の先輩として、人として、そして女性として兼森さんのことが好きだ。
普段は頼もしくて明るく振舞っているけれど、涙活をしたときの憂いを帯びた泣き顔に、彼女の素が隠れていると思う。
優しくて、面倒見がよくて、それでいてどこか儚さを持っている彼女が愛しくて仕方がない。
「あっさり認めるんだね」
「そういう瀬川部長はどうなんですか」
「僕は……自分の気持ちを言える立場じゃないから」
「嫌な言い方ですね」
「許されるなら、もう一度すみれの隣にいたいと思ってるよ」
はっきりとは言わないけど瀬川部長はきっと兼森さんに特別な感情を抱いている。
じゃなかったら俺にこんな話はしてこないだろう。
噂の発端のことにしろ、昨日のことにしろ、わかりやすい理由がいくつもある。
それなのにいつまでも曖昧な態度で彼女を傷つけている。
気持ちを言える立場じゃないってどういうことなんだ。
瀬川部長はかっこいいし仕事もできる。
尊敬しているところもあるけれど、彼女のことに関しては絶対に負けない。
俺の気持ちを確認したことで納得したのか、午後からは視線を感じることはなかった。



