それからしばらく時が流れ――バザー当日がやってきた。
教会前のだだっ広い空き地には長机が配置され、その上に信徒たちが持ち寄った寄付品が並べられている。
年長の子どもたちが中心になり、売り子を手伝ってくれることになっていた。女児たちはお店屋さんごっこで鍛えたスキルを今こそ発揮すべきと鼻息を荒くしており、一部の男児たちはそのしもべと化しているようだ。
(普段は草や棒切れを石で売り買いしているのですから、夢のような時間でしょうね)
目を輝かせている子どもたちから視線を自分の手元に戻すと、急に現実に戻ってきたような気分になり、脈拍が狂い始める。空には清々しい青が広がり心地よい天気であるのは確かなのだが、私の体感温度ではまるで常夏の国にいるかのようだ。
なぜなら心優しいアンナ嬢がバザー当日の手伝いを申し出てくれ、売り子として私のすぐ横に立っているからである。
善良な、もとい面白がっている子どもたちが、私と一緒に売り子をするのはどうかと進言してくれたらしい。
「クッキー、たくさん焼いてきたので売れるといいんですけど……」
「キット皆サン喜ンデクダサイマス。私モ、アノ味ヲ忘レラレマセン」
「まあ、神父様ったらお上手なんですから」
彼女がくすくすと砂糖菓子のように甘い笑みと声をこぼしているうちに、自分に平手打ちして我を取り戻す。
「アンナ嬢。お忙しいでしょうに、今日はお手伝いくださりありがとうございます」
「いえ……そんな」
彼女は長机で売り子をしている小さな店員や、有り余った体力を消費するかのように走り回っているやんちゃ坊主たちを見回し、目を細める。
「生き生きとしている子どもたちの姿を見ていれば、神父様がどれだけあの子たちを大切にしてらっしゃるかわかります。……だから、私も少しでも力になりたいと思うんです」
「アンナ嬢……」
こちらを振り向いた彼女を、柔らかな午後の日差しが照らす。
「この子たちの笑顔を絶やしたくないと思うのは、あなただけではありません」
……私はこの方の、こういうところをお慕いしている。
誰かのために働くことを、何かを差し出すことを、損得で見ていない。徳を積もうとも思っていない。ただ、そうするのが当然だと信じている。
(彼女にとっての幸せは、一部の人だけのものではなく、全員で分け合うものなのでしょう)
「……なんて。ごめんなさい、神父様。知ったような口をきいて」
「とんでもない、あなたのような方がこの街にいらっしゃることを誇らしく思います。神に感謝ですね」
私たちは、微笑みを交わす。
彼女の慈愛に満ちた心に改めて胸打たれると同時に、こんな考えも浮かんできた。
(…………なんだか私たち、いい雰囲気では?)
そこで、はたと気づく。
(って、また下心が出てるじゃないですか!!)
私は長机から一歩下がり、煩悩を振り払おうとヘッドバンギングを始めた。
(しっかりしなさい、私! 先日、神に誓い直したばかりでしょう!)
頭を激しく上下に振り終わり荒い息をついてると、アンナ嬢が心配そうに声をかけてくださる。
「し、神父様どうされたんですか……? 首を痛めてしまいますよ」
「いえ、ご心配なく……悪魔祓いのようなものです」
「まあ、そんなお仕事まで? いつも大変ですね、本当にご立派です」
彼女は、気遣わしげな瞳を向けてくださる。
今すぐ心の目でシャッターを切り、『元気が出ない時に思い返したい脳内アンナ嬢コレクション』に加えたいところだが、この調子ではバザーの間、常に邪な心と理性の間をシャトルランしなければならないので、今だけはその優しさをしまっておいていただきたい。
見つめ合う私たちの元へ、隣の長机で衣類の売り子を手伝っていたリーナがとことこやってくる。
そして、私の長衣の裾を引いて言った。
「よろしい。だきなさい」
(な、なななな~にを言っとるんだぁぁ~~!?!?)
どう言い訳するかは思いつかないまま慌ててリーナからアンナ嬢へ視線を移すと、幸いちょうど客が来たようで彼女はこちらの話を聞いていなかった。
私は、ここ1年の中で一番ほっとした。
(神よ、感謝します――)
まったく、リーナは一体どこであんな言葉を覚えてき…………私だな、参照元は。
客を見送ったアンナ嬢は、興奮気味に振り向く。
「神父様、早速ひとつ売れました……!」
「ははは、当然のことですよ、アンナ嬢が作られた最高のクッキーなのですから」
私がいろんな意味での安堵の笑い声を上げながらリーナを追い払った時、ふたり連れの男女が仲睦まじく腕を組みながら長机に近付いてきた。
「神父様、こんにちは」
男性の方はT.K君だった。と、いうことは?
「こんにちは。もしかしてお隣の方は……」
「はい。僕たち結婚しました!」
ふたりは手の甲をこちらに向け、左手の薬指につけた指輪を見せつけてくる。
よかった、どうやら運命の相手だったらしい。
「神父様のお導きのおかげです。本当にありがとうございます」
「いえいえ、おめでとうございます。おふたりの未来に、神のご加護がありますように」
両手を組んで祈りを捧げ終わると、T.K君の奥方が私とアンナ嬢を交互に見た。
「……おふたりって、なんだかお似合いですね」
「エッ!?!?」
「えっ……」
私とアンナ嬢の声が重なる。
(こ、こんなことをいきなり言われて、アンナ嬢がご不快になっておられなければいいのだが……!)
彼女は私の心のオアシス。たとえ結ばれることができなくとも、せめてこの乾いた心にこまめな水分補給くらいはさせてほしいと思っている。
(もしこれをきっかけに、気まずくて教会に顔を出してくださらなくなったら……いや、最悪の場合、寄付の打ち切りなんてことも……!?)
おそるおそる彼女の顔を覗き見た私の背中に、雷に打たれたかのような衝撃が走る。
(せ、赤面しておられる~~~~~~!?!?!?)
なんとアンナ嬢は、頬はおろか耳までも赤く染めていたのだ。
(えっ、待ってください。もしかして、ワンチャンあるんですか?)
彼女はもじもじしながら、右手の人差し指と左手の人差し指をつんつん突き合わせている。
私の脳内で、今度は特大の花火が打ち上がった。
(い、いえいえ、まず第一に、私は神父です。こんなことが許されるわけが……それに子どもたちもいますし……いや、アンナ嬢なら彼らを引き取ることにも積極的かもしれません……そもそも彼女は身分など気になさらない方でしょう。……もしやこれは、神の思し召し!?)
などと勝手に啓示を受けた気になっていると、彼女の父君・エーレンベルク卿がやってこられた。
「おやおや、アンナがこんなに頬を染めている姿は初めて見ました。神父様は罪なお方だ」
「っ、いえ、滅相もございません!」
「はは、冗談ですよ」
「もう、お父様ったら……そ、それに神父様は私のことなんて、なんとも思ってらっしゃらないですよ……」
(めちゃくちゃ思ってますが?)
思わず、アンナ嬢を穴が開きそうなほど見つめていた時――
「やあ、ルカ。達者でやっているかな?」
「っ、総司祭様!」
白のローブをまとった年配の男性を前に、私の背筋は勝手に伸びる。彼はソレラシー教の教会全体を統べる立場のお方だ。
「いらっしゃるならご連絡くださればよろしいものを……」
「いや、たまたま近くに来たものだからね」
私と軽い挨拶を済ませた総司祭様は、お父君に向き直る。
「エーレンベルク卿、いつも多大なご寄付に感謝しております」
「とんでもないことでございます、総司祭様。これは貴族である私どもの義務ですから」
神の代弁者の手が差し出され、エーレンベルク卿は恭しく両手で包む。握手を終えた我らが長は、再び私に目を向けた。
「それで、ルカ。随分楽しそうな様子だったが、なんの話をしていたんだい?」
(……このタイミングでのそれは最悪のフリです、総司祭様!)
エーレンベルク卿が朗らかに笑い、言葉に詰まった私の代わりに答えてくださる。
「実はうちの娘が、神父様にどう思われているのか気にしていましてね」
「っ、お父様!」
「ああ……そういうことでしたか。アンナ嬢のような素敵な方ならば、ルカも聖職者でさえなければ諸手を挙げてお気持ちを受け入れたことでしょう。なあ?」
私は、顔で笑って心で泣きながら、思ってもないことを口にした。
「そ……そうですね……。私は聖職者ですので……特定の方に特別な感情は……抱きませんんん…………」
どうやら人間というのは、あまりにも自分の心とかけ離れたことを口にする際には、声帯をコントロールできず不自然に語尾を連呼してしまう生き物らしい。
「ええ、ええ。もちろんわかっておりますよ、神父様。……アンナ、これで心置きなく進められるな? シュヴァルツ家のご長男・ハインリヒ卿との婚約の話を」
(……え?)
アンナ嬢は俯き、固い声で頷く。
「はい……お父様」
そして私に向き直ると、どこか強張った笑みを浮かべて言った。
「私がハインリヒ様と結婚式を挙げるその時は……神父様、ぜひ祝福をお願いいたしますね」
――それからのことは、あまりよく覚えていない。
いつの間にかバザーは片付けまで終わっており、月と星が顔を出し、アンナ嬢やお父君、総司祭様の姿はなかった。
今の私はというと、祭壇に突っ伏しながら神に泣きついている。
「おお、ソレラシー教の神よ……私が何をしたというのです……!」
「毎日教会で煙草吸ってたでしょ」
「神父のくせに、貴族のお姉さんにガチ恋してたじゃん」
(うっ)
急所を的確に刺してくる年長の女児ならびに男児に続き、リーナが私の肩に手を置いて致命傷となりうる一言を放った。
「これでだめになるかんけいなら、うんめいじゃない」
「こんな伏線回収いりません……!」
子どもというのは変なところで記憶力がよくて困る。自分の言葉が本日二度目のブーメランと化して戻ってきた時、リーナは淡々と続けた。
「でも。けっこんしたら、アンナさま、ふこうになる。シュヴァルツけ、あくのそうくつ」
「は……? どういうことです?」
「だいの、おんなずきいっか。まいばん、しゅちにくりん」
「だ、大の女好き一家!? 毎晩、酒池肉林!?」
「くろいうわさ。まねーろんだりんぐ」
「黒い噂!? 資金洗浄!?」
(確かに、エーレンベルク家の皆様は、疑うの『う』の字も知らない方々……その手の情報に疎くてもおかしくない)
こんな辺境の領主を申し出くれた、善意が服を着て歩いているような方々なのだから。
「……しかし、どこでそんな情報を?」
「どくじの、じょうほうもう。リーナ、じんせい2しゅうめ」
「また訳のわからないことを……。しかし、そんな情報がある以上、シュヴァルツ卿について調べないわけにはいきませんね」
「えっ、信じんのかよ、神父様」
「火のないところに煙は立たない。信じる信じないではなく、アンナ嬢の幸せのために、怪しい噂は確認する必要があると言っているのです。……決して、『これは婚約が白紙に戻るチャンスかも?』なんて1ミリも期待していませんよ!」
「絶対思ってるじゃん」
頭の後ろに手を当て、疑いの目をこちらに向ける男児をぴしりと指さす。
「お黙りなさい! ソレラシー教の教えにもあるでしょう。『義を見てせざるは勇無きなり』!」
「読んでないから知らね」
「でもさ、なんだか面白そうじゃん。僕たちも手伝うよ、神父様!」
子どもたちはワイワイと勝手に盛り上がり、すでに凄腕の刑事やスパイにでもなった気でいるらしい。
「だけど、どうやって調べるの? そんな悪い人は、懺悔に来て罪を告白、なんてしないでしょ」
「ふっふっふ。ご心配なく、当てがあります」
ポケット越しに煙草に触れ、私は映画のダークヒーローよろしく思わせぶりな笑みを浮かべた。
「いるんですよ、私には……素敵な“お友達”がね」



