― 二年前
『…っぅく‥ひっ』
『…心?‥どうしたんだよ、こんな所で』
弓道場から少し外れた建物裏にあるベンチ。
もともと人気は無いところだし、加えて今日は日曜日。
誰も人は来ないと踏んでいた。
だから思いっきり泣いてたのに…・・・。
な・の・にっ!
人が‥・・・・しかもコイツが来るなんてっ‥・!
とはいえ、今ここから立ち去るほどの気力も体力もなかった。
『‥なん‥の・よぉ‥よっ?』
『今リーグ戦終わって帰って来たんだよ』
普通は試合会場で解散する。わざわざ学校の道場に帰ってくる部員はそういない。
『‥なんで‥?』
疾風とはケンカ相手だけど、弓は上手くて密かにあたしはライバル視している。
勝手な話だけどそんな奴に泣いている所を見られて悔しい気持ちでいっぱいだった。
『・・・負けた。そっちも負けたんだろ?』
あたしは答えず足を抱え顔を伏せて黙った。疾風はあたしの隣に勝手に座り息を吐く。
その後、何かを推し量るように短く言った。
『そっか・・・・・・』
その声は平静を保っているが、あたしには負けた事実を更にかみ締めるが如く先ほどの光景が蘇る。
負けたときの三回生先輩の顔。
今日の試合で勝たなければ、第一部リーグの昇格は消える。
僅差での敗北。あんなに厳しかった先輩達は・・・化粧が落ちるのも・・・後輩がいるのも忘れて、人目を憚らず泣いていた。
あたしは一回生で、弓もまだ始めて半年。せいぜい的前に立てるくらいだ。
当然、試合になど出られるはずもなく、控えで見守るものだった。
スポ根はまっぴらゴメンと思っていたし、出場できなくても次がある・・・なんて安易な気持ちでいたあたしに、先輩の涙はとても純粋で美しいものに見えすごく揺さぶられた。
――・・・恥ずかしい
・・・・・・そんな気持ちでしか弓を引いていなかった自分が恥ずかしい・・・
・・・悔しい
・・・・・・何も出来なくて、ただ応援することしか出来なかった自分が悔しい・・・
あたしは先輩たちの姿に・・・涙に胸を締め付けられた。
『俺さ・・・心のどっかで俺ってイケるって思ってた。ところが全然・・・イケるも何も弓道を・・・ナメてたんだろな。いつだったか師範が言ってただろ?『弓の道は一生かかっても極められやしねぇ、常に己との向き合いなんだ』って。今回のリーグ戦でよくわかった』
疾風が言った…師範の言葉が重くのし掛かる。
一緒だったんだ・・・あたし達。
『疾風と・・・同じこと考えてた・・・・・・あたし・・自分が恥ずか・・・しい・・』
『俺もだ、心だけじゃねーよ』
頭上にある木々が何か語りかけるように騒ぎ出した。
少し風が出てきて髪の毛が乱れる。
『・・・お前、顔もぐしゃってるけど髪の毛までとは・・・可哀相なくらい酷ぇな』
哀れむような目を向け疾風が言うので、あたしは思い切り頭を叩いてやった。
『ってー!何すんだよっ!!慰めてやってんのに!!』
『ふざけんなっ!今のどこが慰めてんのよっ!!』
もう一度叩いてやろうと振り上げた右手首を掴んだ疾風がニヤっと笑う。
そして、その掌に何かが仕込まれた。
『それは今日の悔しさを忘れない為に・・・それと新たな誓い』
開くと、ちょこんとのったチョコレート。
そういや疾風いつもこれ食べてたっけ・・・。
『・・・チョコじゃん・・・』
『分かり切ったことを言うなっての』
疾風は前に立ち、腕を掴んであたしを無理矢理に立ち上がらせる。
そして拳を突き出して言った。
『俺らの代でリーグ優勝して男女ともに第一部へ昇格しようぜ!』
疾風の瞳は内なる闘志を湛えながらも澄んでいて、あたしは目を奪われてしまった。
表面上は何とか理性を保ちつつ拳を合わせる。
『うん・・・絶対に!』
そのときあたしのココロに芽生えた小さな二つの蕾。
- この人のトナリにたって一緒に駆け抜けたい
もうひとつは決して疾風にだけは知られてはいけない・・・蕾。
- 疾風の事が好き
あたしはこの気持ちを押し込め、チョコレートと一緒に引き出しに仕舞い込んだのだ。
――それから二年。
あのチョコレートを引き出しにしまったまま、時間は流れた。
そして始まったリーグ戦。
男女別に行われていて、共に辛勝ではあるがリーグ優勝も視野に入ってきた。
今日を含めて残り二試合。気合い充分で今回の試合会場の大学に向かった。
対戦相手の主将と挨拶を交わしていると、本日の審判担当の大学2名がやってきた。
その部員を見て唖然とする。
「今日の審判校が急遽、大野井大学さんになったそうですよ」
相手主将もさっき聞いた情報で呆れ気味だが、あたしは別の意味で動揺した。
「古川さん・・・」
まだこちらに気付いておらず、後輩と思しき人物に色々と教えている。
あたしの中で複雑な感情が去来するも、と笑みを浮かべて彼女と一緒に挨拶に向かう。
「今日は宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願い致します」
済ませたあと、素早く試合準備に向かった相手。あたしも皆に声をかけようとすると古川さんに呼ばれた。
「岡崎さん、終わったあと少し時間をもらえませんか」
内容なんて聞かなくても分かる。
あたしは「わかりました」と頷き部員達のもとに戻った。
――今は試合に集中しろ、心。あたし個人の問題で迷惑かけるとかありえないからっ!
心の乱れは射に現れる。
あたしは落ち着かせようと深呼吸をしていると、雫が笑顔でやってきた。
「はい、肩の力をぬいてー。色んな意味で気になる相手だろうけど、心ちゃんは心ちゃん」
「雫・・・」
「堂々と大前にたって、いつもの心ちゃんみたいに皆を奮い立たせてよ」
にんまりと目を細めた雫が思いっきり背中を叩く。
「痛いって、雫」
「当たり前でしょ?それだけ私は気合い十二分なんだもの」
雫はそう言うと部員を集めて整列させた。
「さぁ、主将。開戦ののろしを」
含みを持たせ悪戯っぽく片目を瞑った雫に苦笑する。
そのやりとりは緊張していた部員をほぐしていたようで、あたしは皆を見渡して円陣を組ませる。
かけ声にのり、あたし達は試合に臨む。
――なんとしてもここで一勝をもぎ取る。あたしの為にも、部の為にも。
目の前の彼女ではなく、その先にある霞的を見据え、あたしは弓を引き分けた。
「お疲れ様でした。さすが・・・凄い的中でしたね」
「審判ありがとうございました。お疲れ様でした」
勝利の余韻に浸る部員を一喝し反省会をして解散した後、待ち合わせていた公園に行った。
道着姿の女子とスーツ姿の女子が並んでブランコに座る図はシュールすぎる。
好奇の目線を感じつつあたしは古川さんの言葉を待った。
「・・・いろいろ考えてましたがやっぱりダメですね。単刀直入に聞きます。疾風と付き合ってるんですね」
「は・・・ぃ・・・え?!」
我ながら変な声が出たと思ったけど、それはどうでもよくて。
「え・・・今、なんと」
「だから、疾風と付き合ってるんでしょ?」
あたしは瞬きを繰り返しながら脳裏で疾風とのやりとりを思い出していた。
――ちょっとまて・・。恋人のフリをするって・・・あれ、リーグ終わってから・・だよね?
考えに没頭していて黙ったままのあたしを肯定と受け取った彼女は軽く溜息をついた。
「やっぱり。そうだろうと思いました・・・」
「ちょっとまって!付き合ってるって現在進行形なんですか?つかっ・・・誰からそんな話を聞いたんですか?!」
古川さんは慌てること無く落ち着いた表情で、あたしの目を見て言った。
「疾風本人から聞きました」
――そんなはず、ない。
胸の奥で、あの日のチョコレートが鈍く溶けた。



