「え……?」
返ってきたばかりのテストを手にして、わたしの体はピタリと固まる。
立花(たちばな)あかね、十二歳。わたしは人生最大のピンチを迎えていた──。
ここは私立英律学園。
財閥の御曹司や令嬢、大物政治家やハリウッド俳優の子ども、オリンピック選手、ありとあらゆるVIPが揃う中高一貫校。
有名大学への進学はもちろん、この学校を出た者の将来は約束されていると言っても過言ではない、超エリート学校。
全寮制となっており、国からの支援、裕福なOBや保護者からの寄付などにより成り立っているため、生活費学費共に負担はない。
わたしは猛勉強の末、ギリギリでなんとか合格し、無事に入学することが出来た……のだけど、早速退学のピンチ⁉
***
「先生、これって……」
「久しぶりにこんな点数見たわ」
「はぁー」と、大きくため息をつく先生。
わたしの手元のテストには赤ペンで二十八点の文字。
英律学園は全て善意の資金で賄っている学校。だからこそ、勉強に対しては特別厳しい決まりがある。
それは、中間や期末など大きなテストで三十点以下を取った者は退学になるというもの。
終わった……。
あれだけ一生懸命勉強して入学したのに。
全部、無駄になっちゃった……。
じわじわと涙が浮かんできて、顔を隠すように俯いた時だった。
「まだチャンスは残ってるわよ。パートナー制度があるから」
「パートナー制度……?」
パッと顔を上げたわたしに、先生はこくんと頷いた。
英律学園には、『プリンス』『プリンセス』と呼ばれ、特別待遇される生徒が数名いる。
選ばれる基準については詳しく知らないけれど、家柄も成績も、そして容姿についてさえも、全てにおいてトップクラスの生徒。
それほど特別な生徒だからこそ、自分ばかりが優れていても仕方ない。
優れた生徒だからこそ、優れた人材を育成出来る能力を。
……そんな理事長の考え方により、数年前に作ったとされるパートナーシップ制度。
『退学レベルの生徒が現れた場合、プリンスとプリンセスの中から誰かがパートナーになって、その生徒を育成するの』
さっき先生に教えてもらった情報のことを考えながら、先生に解放された廊下を歩く。
育成猶予は約一年間で、勉強はもちろん、学校行事や私生活においても共にし、トップクラスの生徒になれるよう努力しなきゃならないらしい。
とりあえず、すぐに退学になるわけじゃなくて助かったけど……。
「あかねちゃーん!」
わたしの名前を呼びながら、パタパタと走ってきたのは同じクラスの真央ちゃん。
席が隣で仲良くなって、英律学園で初めて出来た友達。
「先生からの呼び出しって何だったの?大丈夫?」
「あ、うん、大したことじゃなかったよ」
アハハと乾いた笑いを返す。
本当はめちゃくちゃ大した話だったけど、テストが二十八点で退学寸前なんて、とてもじゃないけど言えない。
パートナー制度のことだって、正式な発表があるまで誰にも言わないことって、先生にも言われたし。
そもそも、正式な発表っていつなんだろう……なんて、考えていると、
「見て!廉さまだよ!」
何かを見つけ、窓に張り付く女子生徒たち。
そして「きゃーっ!」と、黄色い声が上がる。
わたしと真央ちゃんは顔を見合わせ、つられるように窓の外を見た。
すると外を歩いていたのは、一人の男子生徒。
「九条くん、だっけ?」
真央ちゃんの質問に、こくんと頷く。
英律学園について、まだそれほど詳しくないわたしでも知っている。
同じ一年生の、九条蓮くん。
スーパーエリート生徒が集まる特進クラスの生徒で、1年生唯一のプリンス。
何でも入学した時からプリンスに選ばれるのは、学園始まってから初だそうで、それはそれはものすごい噂になっていた。
黒髪の彼はアイドル顔負けの容姿で、プリンスという絶対的な立ち位置にいて、正にみんなの憧れの存在。
だけどわたしは、ちょっぴり苦手かもしれない。
普通クラスのわたしと接点なんかないし、喋ったこともないけど、何となく冷たい雰囲気を感じて──って。
熱い女子達の視線を感じてか、不意に顔を上げた九条くん。
その瞬間目があったのは──わたし?
「きゃーっ!こっち見た!今こっち見たよね!?」
ワイワイと盛り上がる隣の女子達。
当の九条くんはというと、もうこっちを見ておらず、前を向いて歩き出しているけれど。
「ね、ねぇ、あかねちゃんのこと見なかった?」
真央ちゃんが、少し興奮した様子でクイクイとわたしのブラウスの袖を引っ張って、声をかける。
確かに一瞬、わたしも目が合ったような気がした。だけど……。
「き、気のせいだよ」
わたしは何故だか咄嗟に、真央ちゃんにそう返事していた。
そして、それはすぐ翌日のこと──。
「なにここ、すごっ……」
わたしの目の前には、レンガ調で西洋風の今までに見たことのない大きなお屋敷。
ここはわたし達が住む学生寮よりもっと学園の奥にある、特別寮。
プリンス、プリンセスが住むところ。
塀で囲まれているのに、上からわたしを見下ろすその大きさに圧巻される。
一体何坪くらいあるんだろう。
ていうか、ここに住んでるのって三人くらい……だったよね?
なんて、かなり引き気味に考えていると、塀のインターフォンからガチャガチャッとノイズ音が聞こえて。
『1年生の立花様でいらっしゃいますか?』
きっと、カメラでこっちの様子を見ているんだろう。名前を呼ばれて「はいっ!」と慌てて返事した。
「すみませんっ、先生にここに行くように言われてっ」
場違いすぎて、まるで言い訳するみたいに話す。
でも、本当にそう。放課後、少し慌てた様子の先生に言われて、ここまで来た。
『お話は伺っております。今、開けますね』
優しい声と同時に、閉まっていた門扉が自動で開く。
『どうぞそのままお入りください』
「はっ、はいっ!」
勢いよく返事したものの、何となく足を踏み入れるのが躊躇われて。
ドキドキしながら、一歩足を出そうとした時だった。
「まって、待ってー!」
後から突然、大きく聞こえてきた声。
びっくりして振り返ると、同じ制服を来た女の子が走ってきた。
「一年の百瀬っ、百瀬結愛です!」
あっという間にわたしの横に立ったその子は、息を切らしながらインターフォンに喋りかける。
少し巻いてあるんだろうか、ふわっふわの茶色っぽい髪。
パッチリした二重に、白い肌にピンクの唇。
アイドルとかやっているのかなって思うくらい、とても可愛い女の子。
『百瀬様ですね、伺っております。どうぞお入りください』
「はーい」
軽く返事をして、何でもない様子で中に入ろうとする女の子……百瀬さん。
動じないその様子をキョトンと見ていると、
「入らないの?あなたもでしょ?」
百瀬さんは足を止め、わたしを見て不思議そうに首を傾げた。だけどすぐに「あぁ」と、何か納得したような声を上げ、
「緊張してるのね。結愛が連れてってあげる」
そう言うと、百瀬さんはわたしの腕を掴んで歩き出した。
「あ、あのっ」
百瀬さんはまるで敷地内のことを知っているかのように、どんどん進んでいく。
さっき『あなたもでしょ?』って言われた。
それが何のことなのか、何となく分かる。
先生には詳しく聞けなかったけど、昨日の今日で特別寮に呼ばれたんだもん。
たぶん、きっと【パートナー制度】のことで──。
「あのっ、百瀬さんも、そのっ、テストで……」
自分のことだけならいいけれど、他人にはっきり言うのは躊躇われて言葉を濁す。すると、
「うん、そう。結愛の場合わざとだけど。でもあなたは、単純にバカだったんでしょ?」
「ば、バカっ!?」
思いがけない暴言に口をパクパクさせる。
「あ、ごめん。名前聞いてなかったね」
いや、謝るのそこじゃないと思うんだけど……。
「……立花あかねです」
「あかねちゃんね。結愛のことも名前で呼んで?」
言いたいことはあるけれど、百瀬さんのペースに乗せられるように自己紹介をする。
「あかねちゃんは普通クラス?」
「うん。あの……結愛ちゃんは?」
「結愛は特進クラス」
「えっ⁉」
サラッと言われた言葉に、思わず大きな声を上げた。
だって、特進クラスということは、それなりに成績も良いはず。
それなのにどうして……って、そういえば『わざと』って、さっき言っていたような気がする。
「結愛ちゃん、わざとって言ってたのは……」
一体どういう意味なのか聞こうとするけど、
「待って」
ピタッと足を止める結愛ちゃん。わたしも足を止め、目の前を見ると三メートル近くはありそうな大きな扉。
いつの間にか、プリンスプリンセスが住むお屋敷の前まで到着していた。
そして、足を止めて数秒、扉はゆっくりと開いた。
「お待ちしておりました。ようこそいらっしゃいました」
わ……!
扉が開いた先に現れたのは、まるで映画の中で見るお城のような大きなロビー。
黒いワンピースに白いエプロンのメイド服を着た使用人さんが並んで、わたしたちにゆっくりと頭を下げる。
退学崖っぷちで呼ばれてきたのに、こんな出迎え方をされるのは、何だか変な感じ。
思わずオドオドしてしまうわたしとは対照的に、結愛ちゃんはドンと構えていて……なんていうか、慣れていそう。
特進クラスって言っていたし、たぶんそれなりのお嬢様ってことだよね……。
でも、そんな人がどうしてわたしなんかと一緒なのか分からない。しかも『わざと』だなんて、益々意味不明。
「皆さまお待ちですので、どうぞこちらに」
一番中央に立った使用人さんに声をかけられ、「はい」と結愛ちゃんが返事する。
そして、歩き出した二人を追うようにして、一歩遅れたわたしも歩き出す。
「すごいね……ほんとお城みたい」
だだっ広い廊下には絨毯が敷かれてあって、壁には綺麗な風景画。全く詳しくはないけれど、見るからに高そうな壺みたいなものも置いてある。
まるで別世界に来たみたいで、ひとり感動していると、
「うーん、そうかな?柊ちゃんが住むなら、もっと近代的な方がいいと思うけど」
「柊ちゃん?」
「ああ……さっきの話の続き。また後で話すね」
結愛ちゃんはチラッと一歩前の使用人さんを見た後、ひみつとばかりに人差し指を口の前で立て、静かに言った。
テストで『わざと』悪すぎる点を取ろうとした理由と、結愛ちゃんの口から出てきた名前の人、何か関係してるのかな?
──そんなことを考えていると、
「到着いたしました。こちらになります」
玄関と同じくらい大きな扉の前で立ち止まり、使用人さんはドアハンドルに手をかけた。
ギイッと重たい音がして、中から光がこぼれ出す。
一瞬目を細めそうになるくらい明るかったのは、壁が一面綺麗な白だったから。
そして──。
間隔をあけるようにして、並んだ三つの椅子。
そこには、わたしたちと同じ制服を着た生徒が三人座っていた。
三人のうち名前は一人しか知らない。だけど知ってる。
ここにいる三人は、プリンスとプリンセス──。
「っ……」
圧倒的なオーラっていうのかな。あまりの存在感に言葉を失うわたしをよそに、
「柊ちゃん!」
「結愛?」
見るからにとても嬉しそうな顔をする結愛ちゃんに、戸惑った顔をするプリンス。
色素の薄い金髪寄りのふわっとした茶髪。座っていても身長が高いのが分かる、すらっと伸びた手足。
整った顔は小さくて、立ったら何等身になるのかな。
本当に王子様みたいなその人は……さっき、結愛ちゃんが口走った、柊ちゃん?
「何?もしかして知り合いなの?」
わたしも気になったことを代わりに聞いてくれたのは、腰まで伸びたサラサラの黒髪がきれいなプリンセス。
この人は図書室で、一度だけ見たことがある。
窓際で静かに本を読む姿があまりに綺麗で、思わず足を止めたから。
確か三年生だと、一緒にいた真央ちゃんが教えてくれた。
「知り合い……っていうか、妹みたいなものです。でも、なんで結愛が……」
柊ちゃんと呼ばれたプリンスも、どうやら状況が把握できていないみたい。
でも、結愛ちゃんが理由を説明することはなかった。
「理事長代理が到着いたしました」
一人の使用人さんが声を上げると、プリンス達はサッと立ち上がり、一瞬にしてしんと静まる。
そして、わたしたちが入ってきたのとは反対側の扉から現れたのは……二十代後半くらいの男性。
「ごきげんよう、久しぶり」
軽く片手を上げ、ニッコニコの笑顔で入ってきたその人は、スーツこそ着ているけれど、ネクタイはしておらず、シャツのボタンも空いていて、何だかチャラそう。
理事長代理……って言ったよね?
正真正銘の銀髪に、顔がイケメンなこともあって、どちらかと言うとホストと言われた方がしっくりくる。
だけど、本当に理事長代理みたい。
「いいよ、座って。君たちだね、数年ぶりの退学レベルの生徒は」
プリンス達を着席させ、こっちを向いた理事長代理。
顔は笑っているけれど、何だか雰囲気が怖くて、顔が引きつる。
「あー、緊張しなくていいよ。まずは自己紹介。僕は理事長の息子の財前豊。父が体調不良で、代わりに来させてもらってます。詳しい話は割愛しようと思うけど、パートナー制度については、先生方から聞いているよね?」
「はい」
結愛ちゃんもさすがに緊張してるのかな。
背筋こそ伸びているけれど、返事する声が少し震えている気がする。
「うん、説明された通り、本来なら退学なんだけど、君たちに一年間の猶予を与える。今からパートナーを発表するから、選ばれた者はしっかり面倒見てあげてね」
「それじゃあ」と、続ける理事長代理。
心の準備をする余裕もなかった。
「百瀬結愛のパートナーは湊柊、立花あかねのパートナーは九条廉。今回はなかなか大変そうだけど、二人ともしっかり頼むよ」
思っていたよりもずっとあっさりと、発表されたパートナー。
先生の話ではこれから約一年間、何かとパートナーと一緒に過ごさなきゃならないということだった……けど。
わたしの、立花あかねのパートナーは九条廉?
あの九条くん……!?
三人の中で、唯一名前まではっきり認知しているプリンス。
今まで何となく目を向けられなかったけれど、確認するように彼の方を見た。
すると、何だか不機嫌そうな顔をしていて、わたしは咄嗟に顔を逸らすように俯く。
あの顔は絶対ハズレって、気に入らないって思われてる……!
そうだよね、見るからに凡人だし、結愛ちゃんの方がいいよね。
そんなことを思いながら、結愛ちゃんの方をチラッと確認すると、
「……やった」
小声で小さく、呟いた声が聞こえた。
頬はほんのり紅く染まっていて、それは本当に喜びを隠せなかったといった感じ。
その瞬間、結愛ちゃんの『わざと』の意味が分かってしまったような気がした。
だけど──。
「じゃあ、僕は忙しいからこの辺で。適当に挨拶でもして帰ってもらったらいいから。また全校朝礼で正式に発表もしてね」
正直、あまりわたし達に関心がないといった雰囲気で、踵を返す理事長。
そのまま部屋を出て行くのかと思われたけれど、
「あ、そうそう」
身体半分を覗かせ、思い出したように足を止めて。
「百瀬さんと立花さん、君たち二人の成績が上がらなかった場合、蓮も俊もプリンス剥奪……は、分かってると思うけど、もうひとつ。
パートナー同士の恋愛は絶対禁止。もし、隠れて付き合ったりしたら、その時はプリンスだろうと、まとめて退学だからね」
にっこりと言い残して、理事長代理はバタンとドアを閉めた。
パートナー同士は絶対恋愛禁止。
そうなんだ……。
先生は、そんなこと教えてくれなかった。
わたしが九条くんとそんなことになることはまずなくて、まるで関係のない話。
でも、結愛ちゃんは──?
「柊ちゃんっ、よろしくね!」
「いや、ほんと意味分かんないんだけど。何で結愛がこんなことになんの?」
「んー、何でかな?結愛、思ってたよりバカだったみたい」
あ、あれ……?
いつの間にか、柊ちゃんこと湊先輩に駆け寄り、話をしている結愛ちゃん。
さっきの理事長代理の言葉に戸惑う様子もなく、ニコニコと親しそうにしている。
結愛ちゃんが『わざと』テストで悪い点を取った理由。
それは、先輩のことが好きだから……なんじゃないかと思ったけど、どうやらあの様子だと違うみたい。
まぁ、好きな人を退学まで追い込みたいわけないもんね。
じゃあ、一体どういう理由なんだろう……なんて、仲睦まじく話す二人を見ながら考えていると、
「い……おい」
前方から聞こえてきた声に、パッと前を向く。
すると、目の前にいたのは──九条くん。
「あっ、えっ!」
「さっきからずっと声かけてんだけど」
「えっ⁉」
どうしよう、全然気づいてなかった!
「ごめんなさいっ、あのっ、わたしっ」
声に気付いてなかったこと、わたしが九条くんのパートナーなこと、そもそもわたしの成績が悪いこと。もう何から謝ったらいいのか分からなくて、口をパクパクさせる。
そんなわたしを、九条くんはつまらなさそうにずっと見ていて。
結愛ちゃんのことを考えている場合じゃなかった。
わたしはわたしのことを考えなければならなかった。
「あの、えっと……」
目の前の九条くんを、恐る恐る見上げる。
サラサラの黒髪に、切れ長の二重、怖いほど整った顔立ち。
勉強もスポーツも出来て、家柄も良くて、一年生でプリンスに選ばれた、みんなの憧れの人。
そんな人が、わたしのパートナーだなんて。
もし万が一、成績が上がらなかったら……きっとタダじゃすまない。
いっそ、このまま退学した方が楽なんじゃないかと一瞬迷う。でも──。
「はじめましてっ!立花あかねです!これからどうぞよろしくお願いしますっ!」
絶対に退学になるわけにはいかないの。
わたしは大きな声で挨拶して、出来る限り深々と頭を下げた。すると──。
「やだ」
返ってきた言葉は、やだ。
やだ……。そっか嫌か……じゃあしょうがないか……って。
「えっ⁉」
びっくりして顔を上げると、九条くんは既にわたしに背を向けていた。
そしてそのまま、どんどん遠ざかっていく。
「あ、ちょっと、廉!」
プリンセスの先輩が九条くんを引き留めようとしてくれたけど、立ち止まってくれることはなく、そのままポツンと残されたわたし。
あれ……待って。
わたし、パートナー拒否された?
え、この場合ってどうなるの──⁉
立花あかね、十二歳。引き続き、人生最大のピンチです。



