***
私は現実感のない日々を送っていた。
「寒いから、俺を待つなら部室の中でいいよ?」
という先輩の言葉はありがたかったけれど、どんな日も外で待つのが日課になっていた私はそれまでどおり先輩を待った。
如月先輩が私の姿を見つけて笑顔になり、手を振ってくれるのがとても嬉しい。
私と先輩は下校を一緒にするようになった。先輩は毎日私の電車の駅まで送ってくれた。
何を話したらいいかわからず困ってしまうときが多い私に、先輩はさりげなく話を振ってくれる。私がしどろもどろ話すのに、優しい笑顔で相槌をうってきいてくれる。歩幅を私の歩幅に合わせてくれる。車や歩行者からかばうように歩いてくれる。
そんな先輩の優しさがとても嬉しかった。
でも。
(なんだろう。こんなに一緒にいる時間が増えたのに、先輩のことがよくわからないでいる)
私にとって先輩は美術館の絵のようだった。表の綺麗な絵は見える。でも裏側も、描いた過程も見えない。
先輩は私の話はよく聞いても、自分については語らなかった。わざとなのか、そうでないのか私にはわからい。私は知りたいと思うも、自分からなかなか訊き出せないでいた。
(もう一月も下旬。もう少しで先輩と付き合いだして三週間かあ。二月はバレンタインがあるけど、先輩は欲しいものはないのかな?)
先輩は書道部員だ。
(書道道具がいいかな。手編みのマフラーとかだったら、重いと思われるかもしれないし)
なんとなく味気ない気もするが、書道が好きな先輩は喜んでくれるかもしれない。
(他に何かあるかな)
「どうかした?」
知らず知らず先輩の顔を見つめていたようだ。如月先輩が笑顔で私を見た。
「えっと、先輩は今何か欲しいものはありますか?」
直球になってしまった私の言葉に、先輩は少し首をかしげた。
「欲しいもの?」
そして、
「自分で言うのもなんだけど、俺って物欲少ないんだよね。それにもう手に入ったからいいんだ」
と言った。今度は私が首をかしげた。
「手に入った?」
すると先輩は形のいい鼻をかいた。
「うん、まあ」
「そうですか……」
私は困ってしまった。まあ、まだ先のことだ。もう少し先輩を知ったら、何が欲しいかわかるかもしれない。そう勝手に自分を納得させた。
***
如月先輩とは土日によく会っていた。
「どこに行きたい?」
会うと先輩は私にきいてくる。私はというと、先輩といられるだけで十分幸せなので返答に困ってしまう。結局先輩が提案したものになる。よく行くのは映画館だが、先輩は何のジャンルも楽しげに見る。動物園も。遊園地も。先輩は楽しみ上手なのだろう。
文武両道の噂は本当で、ボーリング、テニス、卓球、なんでも涼しい顔でこなしてしまう。武術も剣道、空手ができるそうだ。
(先輩って欠点はないのかな)
私は段々自分が先輩に不釣合いな気がして怖くなっていった。
ある日、私は思いつきで質問をしてみた。
「先輩はなんの動物が好きですか?」
「動物? みんなそれぞれ可愛くて好きだよ」
いつもの綺麗な笑顔で答えた先輩。私は不安にかられた。私もその一つなんじゃ……。
それに、私、先輩の笑顔しか見たことない気がする。怒ったり、悲しんだりする先輩を見たことがあるだろうか?
先輩は綺麗過ぎる。
(先輩は私が好きで付き合ってるのかな?)
付き合う前より少しだけ情報が増えて、そして少しだけ寂しくなったのはなぜだろう。
「恭子? どうかした?」
「いえ、大丈夫です」
私も不安を隠してる。
(初めて名前を呼び捨てしてくれたとき、本当に嬉しかったのに)
私は自分の名前が嫌いだった。でも、好きな人には名前を呼び捨てしてほしいと思っていて、付き合いだして最初にそれを告げた。すると思ったとおり、先輩は快諾をしてくれた。
(もっと先輩の本当の姿が見たい)
「くすくす」
隣から笑い声がふってきた。
「さっきから百面相してるよ? 大丈夫?」
「すみません」
「悩み事? 聞くよ?」
「えっと」
まさか先輩のことで悩んでいるなんて言えない。
「あ、あの、先輩。私、一度先輩が書道やっているところ見てみたいです」
とっさに思いついたにしては悪くない言葉が口から出た。
「いいけど、そんなに面白いものではないよ?」
「いえ、先輩が好きなことですから。見てみたいんです」
「わかった。じゃ、明日は俺の部室の方に見学に来て」
「はい、ありがとうございます」
先輩は思ったとおり、美しく柔らかな字を書いた。書くときの姿も凛としていてとても美しい。
先輩の顔は真剣そのもので、今までで最も綺麗だった。周りの空気まで澄んでいるような気さえした。
(本当に書道が好きなんだな……。やっぱりチョコレートと一緒に筆をプレゼントしよう)
私はやっと少しだけ先輩の素顔を見た気がした。だが、それは今までの柔らな雰囲気の先輩ではなく、やや近寄りがたさを覚えるようなものだった。
私は現実感のない日々を送っていた。
「寒いから、俺を待つなら部室の中でいいよ?」
という先輩の言葉はありがたかったけれど、どんな日も外で待つのが日課になっていた私はそれまでどおり先輩を待った。
如月先輩が私の姿を見つけて笑顔になり、手を振ってくれるのがとても嬉しい。
私と先輩は下校を一緒にするようになった。先輩は毎日私の電車の駅まで送ってくれた。
何を話したらいいかわからず困ってしまうときが多い私に、先輩はさりげなく話を振ってくれる。私がしどろもどろ話すのに、優しい笑顔で相槌をうってきいてくれる。歩幅を私の歩幅に合わせてくれる。車や歩行者からかばうように歩いてくれる。
そんな先輩の優しさがとても嬉しかった。
でも。
(なんだろう。こんなに一緒にいる時間が増えたのに、先輩のことがよくわからないでいる)
私にとって先輩は美術館の絵のようだった。表の綺麗な絵は見える。でも裏側も、描いた過程も見えない。
先輩は私の話はよく聞いても、自分については語らなかった。わざとなのか、そうでないのか私にはわからい。私は知りたいと思うも、自分からなかなか訊き出せないでいた。
(もう一月も下旬。もう少しで先輩と付き合いだして三週間かあ。二月はバレンタインがあるけど、先輩は欲しいものはないのかな?)
先輩は書道部員だ。
(書道道具がいいかな。手編みのマフラーとかだったら、重いと思われるかもしれないし)
なんとなく味気ない気もするが、書道が好きな先輩は喜んでくれるかもしれない。
(他に何かあるかな)
「どうかした?」
知らず知らず先輩の顔を見つめていたようだ。如月先輩が笑顔で私を見た。
「えっと、先輩は今何か欲しいものはありますか?」
直球になってしまった私の言葉に、先輩は少し首をかしげた。
「欲しいもの?」
そして、
「自分で言うのもなんだけど、俺って物欲少ないんだよね。それにもう手に入ったからいいんだ」
と言った。今度は私が首をかしげた。
「手に入った?」
すると先輩は形のいい鼻をかいた。
「うん、まあ」
「そうですか……」
私は困ってしまった。まあ、まだ先のことだ。もう少し先輩を知ったら、何が欲しいかわかるかもしれない。そう勝手に自分を納得させた。
***
如月先輩とは土日によく会っていた。
「どこに行きたい?」
会うと先輩は私にきいてくる。私はというと、先輩といられるだけで十分幸せなので返答に困ってしまう。結局先輩が提案したものになる。よく行くのは映画館だが、先輩は何のジャンルも楽しげに見る。動物園も。遊園地も。先輩は楽しみ上手なのだろう。
文武両道の噂は本当で、ボーリング、テニス、卓球、なんでも涼しい顔でこなしてしまう。武術も剣道、空手ができるそうだ。
(先輩って欠点はないのかな)
私は段々自分が先輩に不釣合いな気がして怖くなっていった。
ある日、私は思いつきで質問をしてみた。
「先輩はなんの動物が好きですか?」
「動物? みんなそれぞれ可愛くて好きだよ」
いつもの綺麗な笑顔で答えた先輩。私は不安にかられた。私もその一つなんじゃ……。
それに、私、先輩の笑顔しか見たことない気がする。怒ったり、悲しんだりする先輩を見たことがあるだろうか?
先輩は綺麗過ぎる。
(先輩は私が好きで付き合ってるのかな?)
付き合う前より少しだけ情報が増えて、そして少しだけ寂しくなったのはなぜだろう。
「恭子? どうかした?」
「いえ、大丈夫です」
私も不安を隠してる。
(初めて名前を呼び捨てしてくれたとき、本当に嬉しかったのに)
私は自分の名前が嫌いだった。でも、好きな人には名前を呼び捨てしてほしいと思っていて、付き合いだして最初にそれを告げた。すると思ったとおり、先輩は快諾をしてくれた。
(もっと先輩の本当の姿が見たい)
「くすくす」
隣から笑い声がふってきた。
「さっきから百面相してるよ? 大丈夫?」
「すみません」
「悩み事? 聞くよ?」
「えっと」
まさか先輩のことで悩んでいるなんて言えない。
「あ、あの、先輩。私、一度先輩が書道やっているところ見てみたいです」
とっさに思いついたにしては悪くない言葉が口から出た。
「いいけど、そんなに面白いものではないよ?」
「いえ、先輩が好きなことですから。見てみたいんです」
「わかった。じゃ、明日は俺の部室の方に見学に来て」
「はい、ありがとうございます」
先輩は思ったとおり、美しく柔らかな字を書いた。書くときの姿も凛としていてとても美しい。
先輩の顔は真剣そのもので、今までで最も綺麗だった。周りの空気まで澄んでいるような気さえした。
(本当に書道が好きなんだな……。やっぱりチョコレートと一緒に筆をプレゼントしよう)
私はやっと少しだけ先輩の素顔を見た気がした。だが、それは今までの柔らな雰囲気の先輩ではなく、やや近寄りがたさを覚えるようなものだった。



