【完結】それでは、ひとつだけ頂戴いたします


「あれ? いないなあ」


 グレゴリーと遊ぼうと思って、廊下を走ってきたのに、部屋の中はしんとしていた。

 大きな窓から午後のおひさまが入って、机の上の書類をぴかっと照らしている。紙はきちんと重ねられていて、ペンもまっすぐ。いつもと同じ、まじめなお部屋。

 でも、グレゴリーだけ、いない。


「どこ行ったのかな?」

 きょろきょろ見まわす。棚のうしろ? カーテンのかげ? もしかして、かくれんぼ?

 そう思ったら、なんだか楽しくなってきた。


「そうだ、わたしが先に隠れちゃおう」

 机の下にもぐって、グレゴリーが帰ってきたら、びっくりさせるの。

 そう思ってしゃがみこんだ、そのとき――。


「あれ?」

 机の引き出しが、ほんの少しだけ開いている。グレゴリーは、いつもきっちり閉めるのに。

 気になって、そっとのぞいてみる。書類の白い紙の下に、ちがう色が見えた。やわらかい色、きらきらした表紙。


「あれ? もしかして……絵本?」

 胸が、どくん、とする。そっと、もっと開けてみる。


「マ、マリエル様?」

 うしろから、あわてた声がした。振り向くと、ドアのところに立っているグレゴリーが、目を丸くしている。

「グレゴリー、これなあに?」

 引き出しの中から一冊、両手でひっぱり出す。


「トトの絵本だ!」

 まるいほっぺのトトが、そこにいた。『トトのお約束』だ。グレゴリーも持っていたんだ。

 あれ? 引き出しにまだある。『トトのお菓子づくり』?、知らないお話だ! 更に奥を見ると『トトの家出』『トトの挑戦』!!

 わあ、こんなにいっぱい! 胸がどきどきしてきた。


「グレゴリー、これ読んで!」

 思わず声が大きくなる。

「い、いえ、それは……」

 えー、グレゴリー、めいわくそう。


「なんで? だめ?」

 『トトのお菓子づくり』の絵本をぎゅっと抱きしめて、見上げる。グレゴリーは、ちょっと困った顔をした。眉が少し下がって、目がゆれる。それから、小さく息をついた。

 まるで、しかたないなあ、って言うみたいに。


「……分かりました。ただし、約束です」

「なあに?」

 グレゴリーは、少しかがんで、ちゃんと目を合わせて言う。


「読むのは、この部屋の中だけです。外には持ち出しません。それから、クロエ様たちにも言いません。約束できますか」

 ちょっと長い。でも、大事なことを言っているお顔。


「うん!」

 元気よくうなずく。

 やったあ! 絵本を胸にぎゅうっとする。絵本の角が体あたって、少しいたいけど、うれしい。

 トトの絵本は、寝る前にお母さんが読んでくれた。お母さんはいつも、頁をめくりながら優しく笑っていた。でも、読んでくれたのは、いつも同じ『トトのお約束』だった。

 なのに、まだ、こんなにあるなんて。グレゴリーの引き出しは宝箱だ!

 お母さんが読んでくれたトトの絵本は、お母さんがとても大事にしているのを知っているから、「ちょうだい」って言ったことはない。

 だって、大事なものを、むりやりほしいって言うのは、いけないことだもの。

 でも、何回も何回も読んでもらったから、ほとんど覚えてるの。トトが泣くところも、笑うところも。


 グレゴリーが椅子に座って、『トトのお菓子づくり』を開く。

「では、読みますよ」



ーートトのお菓子作りーー
 狐さんが、ラベンダー畑の蜂蜜をおみやげに持ってきてくれました。

 ふたを開けると、花の香りがふわりと広がります。お母さんはうれしそうに言いました。


「せっかくだから、蜂蜜のお菓子を作りましょう。近所のみなさんにもおすそ分けしましょうね。もちろん、狐さんにも」

 狐さんは、実は大のお菓子好き。それは、みんなが知っている“ひみつ”でした。

 トトも、蜂蜜のお菓子が大好きです。

 お母さんとミミが粉をはかり、卵をわって、台所は大いそがし。トトは、かまどに火を入れる大事な役目です。

 そのとき、机の上の蜂蜜びんが目に入りました。とろりと光る金色が、まるで「おいで」と呼んでいるみたいです。


「こんなにたくさんあるんだもの。ちょっとくらい、いいよね」

 そっと指につけて、ぺろり。

「あまい……やっぱりラベンダーの蜂蜜は、ちがうなあ」

 もう一度。そして、もう一度。気づけば、びんの中身が思っていたより減っていました。


「……ねえ、これ、減ってない?」

 ミミの声に、トトはどきりとします。

「そ、そんなことないと思うけど」

 言いながら、背中に汗がにじみました。


「お母さん、見て……」

「あら? ふふ、トト?」

 やさしい声に、もうごまかせないと分かります。


「……ごめんなさい」

 トトはうつむきました。

「蜂蜜が好きすぎて……がまんできなかったんだ」

 お母さんは少しだけ考えてから、言いました。


「好きだからこそ、大事にしなくちゃいけないのよ」

 トトのお母さんはそう言って笑いました。

「どういうこと? ちょっとずつ味わえばいいってこと?」

 お母さんは微笑みました。

「それもあるけれど……そうね、“だれと食べるか”も、大事なの」

 トトは、お母さんが言っていることがあまり分かりませんでした。

 やがて、蜂蜜入りのクッキーが焼きあがります。あたたかな甘い香りが、家じゅうに広がりました。

 ミミの目がきらきらしています。本当は、ミミも蜂蜜が大好きです。お母さんがみんなに分けようと言ったのも、みんなが笑顔になるのを知っているからでした。

 トトは、静かに考えます。


「ぼくは、蜂蜜も好きだけど……みんなのことも好きなんだ。だから、大事にしなくちゃいけなかったんだ」

 クッキーは、袋に分けられ、きれいに包まれました。


「さあ、これはあなたたちの分」

 お母さんは、二人に五枚ずつ渡しました。

「お母さんは食べないの?」

「作っているうちに、匂いでおなかいっぱいになっちゃったわ。気にせずどうぞ」

 けれどトトは知っています。お母さんも、蜂蜜のお菓子が大好きなことを。

 トトは、ちょっと迷ってからそっとクッキーを差し出しました。お母さんとミミに二枚ずつ。


「ぼく、さっき蜂蜜をなめちゃったから。これはお母さんに。これはミミにあげる」

 残った一枚を見つめ、少しだけしょんぼりしました。でも、ちょっとずつよくかんで味わえばいいと、自分に言い聞かせました。

 お母さんとミミは、顔を見合わせて笑いました。


「わたし、こんなに食べたら太っちゃう。でも、せっかくだから1枚の半分もらうわね。ありがとう」

「お母さん、形がくずれたクッキーをさっき味見したのよ。だからミミと同じ1枚の半分だけもらうわ。トト、ありがとうね」

 二人はクッキーを半分こにして、口に入れます。

 トトの前には、三枚のクッキーが戻ってきました。トトは、二人がうれしそうに食べるのを見ながら、自分も一枚を口に入れました。

 さくり、と音がして、甘さが広がります。不思議なことに、さっきこっそりなめた蜂蜜よりも、ずっと甘くて、ずっとあたたかい味がしました。

 トトは、お母さんの言葉が少し分かった気がしました。好きなものは、ひとり占めしないで、だれかと分けあうと、もっと好きになるのだと。



 ぱたん、と本を閉じる音。お話はおしまい。私は拍手をする。

 グレゴリーは、にこっと笑っている。でも、なんだか、ほんのちょっとだけ、目がさみしそう。

「どうしたの? グレゴリー、悲しいお話じゃなかったよ?」

 トトは、ちゃんとごめんなさいしたし、はちみつも好きだけど、みんなのことも好きだから分けたんだよね? だから、悲しくない。


「ええ、そうですね」

 やさしい、いつもの声。

「じゃあ、もう一回読んで」

「いいですよ、喜んで。ですが……本当に、本当に内緒ですよ」

 “本当に”が二回。そんなに? 変なグレゴリー。


「うん! 大丈夫。任せて」

 にっこり笑う。でも、クロエ様“たち”って、だれだろう。“たち”ってことは、いっぱい。

 絵本が好きな人たちかな。それとも、トトを知ってる人?

 あ! 分かった!! グレゴリー、絵本取られちゃうって思ってるんだ。

 ちょっとだけ、けち。

 『好きだからこそ、大事にしなくちゃいけない』って、見つからないように隠すことじゃないのに。大人って難しく考えちゃうのね、きっと。

 教えてあげた方がいいかな?


「マリエル様、実は、もうすぐ新しいトトの絵本が出るそうです」

「え? 本当! それも読んでくれる?」

 グレゴリーは優しく頷く。

 けちって思ったのは、やっぱり、なしね。教えてあげるのも、また今度でいいかな。読んでもらえなくなったら困るもん。

 あっ! そうだ。いいこと思いついた。

 お父さんには言おう。そして、お誕生日に、トトの絵本、全部、買ってもらうの。みんなにも『読んでいいよ』って言うんだ。

 だって、『好きなものは、ひとり占めしないで、だれかと分けあうと、もっと好きになる』んだから。お母さんも一緒に読めて、嬉しいよね。



END