鬼同期が家だとオカンだったし、その後スパダリに進化した

三森(みもり)。ここ、数字違う」

「ご、ごめん、長谷川(はせがわ)。すぐ直す」

「ったく、何年営業事務やってんだよ」


 ぶつくさ言う同期の長谷川(はせがわ)紫月(しづき)の背中を見送りながら、渡された書類に目を落とした。

 これ……なんだっけ。

 パソコンを叩いて案件のデータを引っ張り出す。

 ああ、原価が変わったのが反映されてないんだ。それ、私じゃなくて製造部の伝達ミスですね……。

 そんなことを長谷川に言ったところで意味はないから、さっと直して印刷し、再確認する。


「長谷川ー直しといたよー」

「気いつけろよ」

「ごめんねえ。原価変動の周知出しとくわ」


 言われっぱなしなのも腹が立つから、さらっと言い返して席に戻った。

 ついでに類似案件の数字も確認して、他に間違いがないかをチェックする。大丈夫そうだ。

 製造部の担当者に釘を刺し、営業部内に要確認の周知をして、この件はおしまい。

 何年やってるも何も、同期なんだから同じ八年だっての。

 私が長谷川に渡した書類が間違っていたんだから、仕方ないけど。

 引き出しに入れてあるチョコを一粒口に放り込んで、次の仕事に取りかかった。




 その後も長谷川があちこちで「印刷部数間違ってる」「これ、本当にお客様にお出しするつもりで作ったわけ?」「あと百回読み直してこい」なんて、カリカリ怒っているのが聞こえた。


「なに、しづちゃんはご機嫌斜め?」


 課長がコーヒー片手に半笑いで声をかけてきた。


「みたいですね」

「彼女にフラれでもしたんかな」

「長谷川、彼女とかいたんですか? あのキツい性格で? ていうかそれ、セクハラですよ」

「そうでした」


 笑いながら課長は去って行って、そのまま長谷川に声をかけていたから、少しはイライラを自覚してくれるといいんだけど。

 まあ、課長には言わなかったけど、長谷川はいつもあんな感じだから、自覚もなにもないと思うけどね。



「三森さん、申し訳ないけどお先失礼しますね」


 午後三時。産休から時短で復帰したばかりの戸部(とべ)先輩に、ささやくように声をかけられた。


「ぜーんぜん大丈夫です。むしろ戸部先輩が半日でもいてくれるおかげで、めっちゃ助かってます」


 これはお世辞でも何でもなく、本当に助かっていた。

 長谷川に指摘された後輩の質問が全部私に飛んできていたのが、半分以上、先輩に流れるようになったからね。他にも細かい申請系や、確認などを漏らさず拾ってくれるから、感謝しかない。

 それでも先輩が申し訳なさそうにしてるのは、長谷川のイライラがこっちに向くことを懸念してのことなんだろう。

 なんだかなー。

 そんなのお互い様だし、そういう雇用形態なんだから、どっちも気にしなくてもいいと思うんだけど。

 戸部先輩から、やり残しのタスクを引き継いだ。

 それだって、すごくきれいにまとまってるから、私は中身を確認してメールしたり、書類にコピペで足していくだけでいい。

 ほんと、みんな気にしすぎなんだ。

 その後も、長谷川に指摘された後輩が涙目で修正してるのを助けたり、長谷川がカリカリ叱ってるのを、あんまりだったら割って入ったりしていた。

 ……私が忙しいの、長谷川のせいな気がしてきたな。


「三森せんぱーい」


 後輩の(ゆかり)くんが書類片手にやってきた。


「なに?」

「さっき先輩がメールしてた原価が変わったってやつ、これも対象になります?」

「自分で……あ、権限なくて見られないのか。ちょっと歌って待ってて」

「何歌います?」

「もののけ姫」

「はりつめたーゆみのー」

「めっちゃ上手い。ああ、これだ。えっとね、それは大丈夫だけど、同じお客様のこっちの製品が……」


 こういうバカなことばっかりやってるから、長谷川に怒られてる気がしなくもない。



 二時間くらい残業してから、席を立った。

 長谷川はまだカタカタとパソコンを叩いていた。


「お先でーす」

「おー、おつかれ」

「……長谷川も適当に切り上げなよ」

「んー」


 顔が死んでるなあ。

 焦点が合ってなさそうな目を見て、なんとなく仏心が湧いたから、引き出しからチョコを二粒出した。


「よかったら食べなよ」

「……なんで?」

「目が死んでるから」


 やっと目があって、長谷川は何度か瞬きをした。


「ありがと」


 今日初めて、私の顔を見たみたいな表情だった。




 帰宅して、カバンを玄関に置き、そのまま風呂に向かった。

 シャワーを浴びて、冷蔵庫からビールを出して飲む。

 あー、疲れた。

 空きっ腹にアルコールが染みて、めっちゃ美味しい。金曜日の夜用の、本物のビール美味しい!

 もう一度冷蔵庫を見たけど、ビールとチューハイの缶がいくつかしか入っていなかった。

 今週は忙しくて帰りに買い物もできなかったし、調味料すらない。そもそも、一人暮らしをしてから自分で調味料を買った覚えがないもんね。

 飲み終えた缶をシンクに置いて、歯を磨いた。

 ふわふわした頭でベッドに倒れこんだら、一瞬で意識が溶けた。



 翌日、目が覚めたら昼過ぎだった。


「……さすがにお腹空いたな」


 身支度をして部屋を出たら、お隣さんが引っ越しをしていた。


「その箱は奥の部屋に運んでください」


 なんか、聞き覚えのある声がした。

 引越し屋さんの台車を避けようとしたとき、隣の部屋から男の人が出てきた。

 エプロンをつけた、背の高い人だ。


「あ、すみません、今日越してきた者で……」


 目が合って、お互い固まった。

 長谷川だった。


「……そっくりさんかな?」

「んなわけあるか!」


 このキツい感じ、本物の長谷川じゃん。


「えー、なんで長谷川がエプロンつけて隣に?」

「今言っただろ。今日引っ越してきたんだ。どうぞ、よろしく」


 長谷川はお客様に見せる、愛想のいい顔を私に向けた。私が嫌々頷いた途端、それがすっと凍ったみたいに冷たくなった。


「あ、俺のイメージが崩れるから、会社でエプロンのこと言うなよ」


 ドスの効いた声に、今すぐ引っ越したくなった。