初恋は、終電の先に

 やがて、電車がホームに滑り込んできた。

 風が巻き起こり、私の髪をふわりとなびかせた。

 先輩は、乗っていない。

 唾を飲み込んで、電車に乗り込んだ。

 疲れた顔のサラリーマンたちが座席に埋もれ、うとうとしたりスマホをいじったりしている。

 足が痛いから私も座りたいけど、座ったが最後、車内のぬくもりに負けて寝てしまう。先輩が乗ってくるなら、ちゃんと起きて待っていたい。

 ドアが閉まり、電車がゆっくりと走り出す。……そのとき、ふと気づいた。

 私、そもそも先輩がどこで乗ってくるのか知らない!

 先週もその前も、寝て起きたら先輩が隣にいたから、どこで乗ってくるかも、どこで降りるかも知らないのだ。

 それこそ、聞いてみればいいんじゃないかな。

 握りしめたままだったスマホを持ち上げた。……いや、でももう日付が変わっている。こんな時間に連絡するのはご迷惑では……そうやって言い訳ばかり上手くなって、嫌になる。

 車窓には夜の街が静かに流れ、そのガラスに情けない顔の私が映っていた。スマホを持つ指先の桜色も一緒に。


 意を決してスマホをタップし、ニャインの画面を開く。

 先輩の名前に触れた瞬間、電車が大きく揺れた。

 ドアが開いたから横に避ける。なのに乗ってきた人は奥へ進まず、私の前で立ち止まった。

 顔を上げると、スーツ姿の男性が穏やかな笑顔で私を見下ろしていた。


「こんばんは、秋谷」

「……こんばんは、山田先輩」


 先輩は柔らかい笑みを浮かべて、私を覗き込んだ。


「もしかして、待っててくれた?」

「……はい、待ってました。先輩のこと」


 胸が詰まって、言葉が出ない。

 泣かないように、歯を食いしばった。

 先輩はそんな私に、やさしく声をかけた。


「降りるまでもう少しかかるし、座ろうか」


 小さく頷き、揺れる電車の中を先輩の後についていった。

 座席に並んで座ると、思ったより距離が近くて、そわそわして仕方ない。


「あ、あの、山田先輩って前からこの路線を使ってましたか?」


 何とか話題を思いついて先輩を見上げると、先輩もこちらを見ていた。近い……!


「いや、最近転職したんだよ」

「そうだったんですね」

「IT系なんだけどさ。秋谷は今どんな仕事してるの?」

「私は営業事務です。私の会社もIT系で……」


 仕事の話をしていると、先輩が目を細めた。


「秋谷は昔から気が利くし、書類を片付けるの得意だったもんな。司書の先生が積んでた申請書の片付けも手伝ってたし」

「よく覚えてますね」

「いや、そもそも俺が転職した理由は、前の会社の総務がすごく杜撰でさ……」


 先輩が少し困ったように苦笑した。

 私も笑って口を開きかけたら、電車が減速して、私が降りる駅名がアナウンスされた。


「あ、秋谷ここで降りるんだっけ」

「……はい」


 降りたくなくて、つい声が低くなってしまった。

 先輩はふふっと笑って、私を覗き込んだ。


「相変わらずわかりやすいな」

「す、すみません……」


 立ち上がって先輩の方へ振り返る。なぜか先輩も立ち上がって、ドアの前までついてきた。


「先輩?」

「俺、今炎上案件に突っ込まれててさ」

「えっ、はい……?」

「明日もたぶん終電になりそうなんだ。そっちは?」


 電車が小さく揺れた。

 アナウンスが流れ、ドアが開いた。


「私も、たぶん明日も終電です!」


 先輩の骨張った手が伸びてきて、私の頭にそっと乗った。


「おやすみ、秋谷。また明日」

「はい、おやすみなさい、山田先輩。また明日」


 電車を降りて、振り返った。

 ドアが私と先輩を隔てる。でも、不思議と寂しくなかった。

 手を振ると、先輩も笑顔で振り返してくれた。