初恋は、終電の先に

 月曜日の朝、いつもより少し早く起きて家を出た。

 三月末の早朝はまだまだ寒いけど、早足で歩いていれば、頬に触れる冷たさもすぐに薄れていく。

 いつものヒールをカツカツ鳴らして社会人に混じって駅に向かう。きっと私も、知らない人から見ればちゃんとした社会人に見えるし、先輩もそうなんだろう。

 そう考えると、十年ってやっぱり長い。

 それだけ長いのに、先輩は私に気づいてくれたし、私も先輩に気づけた。

 朝から私の頭の中は先輩のことでいっぱいだ。……十年前と変わらずに。


 会社の最寄り駅で電車を降りる。いつもはコンビニで済ませるけど、今日はカフェでコーヒーとサンドイッチを買って会社へ向かった。

 自分の席でメールをチェックしながらサンドイッチをかじり、朝礼前にはお手洗いで口紅を直して鏡をのぞき込む。

 ……うん……完全に浮かれてる。

 いつもより化粧のりがいいし、買ったばかりの口紅は発色がよくて、なんだか少しだけかわいく見える。

 口紅を持つ爪の先は、桜色に染まっていた。



 ――とはいえ、だからって仕事が減るわけではない。

 かろうじて昼ごはんは食べられたけど、結局いつも通りのコンビニごはん。朝に買ったコーヒーのカップは、ペットボトルのお茶と一緒に机の上に並べっぱなしになっている。

 はい、月曜から終電コースです。

 でも、ってことは、また先輩が乗ってきたりするのかな?

 「じゃあまた、終電で」って言ってたし。

 ソワソワしながら、何度も時計に目をやる。

 よく考えたら、私、先輩が電車に乗るところを見てない。

 二週続けて寝落ちして、先輩にもたれかかって眠っていたし。

 気づくのが遅すぎる。

 今さらになって恥ずかしくなってきた。

 どんな顔して先輩に会えばいいんだろう。


 まあ、そんなふうに悶えていても時間は容赦なく過ぎていく。

 あっという間に、会社を出ないと終電に乗り損ねそうな時間になっていた。


「ヤバ、急がなきゃ」


 またハイヒールで走るはめになった。

 なんで私、月曜日から深夜にハイヒールで走ってるんだろう、ほんと。

 なんとか終電前に駅にたどり着いた。

 七号車の乗り場まで歩き、最終電車のアナウンスを聞きながら息を整え、スマホを開く。

 先輩からの連絡はない。

 うーん、いないかな。……うん、いないんだ、きっと。

 そうやって予防線を張っておけば、本当に先輩がいなくてもダメージはないはず……たぶん。

 ちょっとくらいはショックかもしれないけど。

 ホームから、駅前の桜並木が見えた。

 夜桜が春の風に揺れている。心臓がドキドキとうるさいのは、走って来たからだけじゃない。

 先輩は、乗ってくるんだろうか。乗ってきたとして、私はどうすればいいんだろう。

 十年前の卒業式の日、泣くしかなかった私が、今さら先輩に言えることなんてあるんだろうか。

 卒業式のあと、当時使っていたガラケーに表示された先輩の名前を見つめたまま、ボタンを押せなかった。先輩はきっと呆れているだろうし、その上ダメ押しでフラれたらと思うと怖くて、なにもできなかった。


 ……じゃあ、今は。

 スマホを握ったままの手が、じっとりと汗ばんでいる。

 先週の先輩の顔が、ふと頭に浮かぶ。

 十年前と変わらない、メガネの奥で柔らかく細められた瞳とサラサラの髪、それから私を呼ぶ落ち着いた声。

 無理。好き。

 十年も経てば、いい思い出になるかなって期待してたけど、そんなことはなかった。

 たぶん私は百年経っても先輩が好きだし、千年経っても先輩を前にしたら緊張して告白の一つもできないんだろう……ダメじゃん!!