橘若頭と怖がり姫

 帰りの車の中、希乃はなぜ司が怒っているのか理解できなかった。
 庇護している子どもが風俗店に入ろうとしたのは、確かに体裁が悪い。でも希乃は何の役にも立たない子どもで、むしろ風俗店に売るくらいしか価値がない。
 何より幼い日、希乃は司に全部をあげると約束した。それが自分を換金することだと理解したのは、まちがっていただろうか?
 頭の中がぐしゃぐしゃで、無力感に体も心も疲れ果てていた。風俗店で見た光景、かけられた言葉が怖くて、体の芯も麻痺していた。車が屋敷に着いたときも、車から降りるなりぺたんと地面に座りこんでしまったくらいだった。
「希乃、抵抗するな。もうどこも逃げられない」
 司は奇妙に波のない声音で言って、希乃を抱き上げた。
 そのぬくもりに無意識に安堵してしまうのは、彼に慈しまれて育った時間があまりに長かったから。
 逃げると言うけれど、希乃は逃げたつもりはなかった。お金を持って、戻って来るつもりだった。……その後は父とその妻がいるところに行くつもりだったけれど、自分を換金した後なら司も希乃を自由にしてくれると思っていた。
 懐に入れた子どもに、保護者のような怒りを抱いてくれたんだろうか。そうだとすると、希乃は司の優しさを裏切ったのかもしれなかった。
 でも、他にどうしたら全部をあげられるの……? 出口のない輪のような思考に囚われていると、司の足は浴室に向かっていた。
「害虫どもの匂いがついてる。この服は燃やすからな」
 浴室に着くと、司は希乃の服を下着まですべて脱がせて放り捨てた。不機嫌極まりない仕草に、まだ彼が怒っているのを知る。
 匂い……煙草や香水だろうか。そう思って希乃は自分の手を引き寄せてすんと匂いをかいだ。
「すぐ落ちるさ。落としてやる」
 司はそう言うと、彼自身は服を着たまま、腕をまくってスポンジで希乃を洗い始める。
 その洗う手だけは、いつもの司だった。たっぷりと泡を含ませたスポンジで希乃の肌を傷つけないよう、優しくこすっていく。そこに欲望などなく、ただ小さな子どもを慈しむ仕草で、隅々まで清める。
 けれど司の手が希乃の胸をかすめたとき、一瞬希乃はびくりとしてしまった。あの風俗店の男が言っていた、聞くに堪えないような言葉を思い出したからだった。
「希乃。……ここ、触られたか?」
 希乃はとっさに首を横に振る。けれど司はまだ安心した様子もなく、希乃の髪に手を触れて問いを重ねる。
「ここは?」
 希乃がまた首を横に振ると、司の手は頬を滑って、裸の肩に、お腹に、足に、至るところに触れながら、ここはと問い続ける。
 ももの内側に司が触れたとき、希乃はとっさに足を閉じた。いつもだったらそこだって洗ってもらう。でも今は、ざわっとした感覚が体に走った。
 だけど司は手を引かなかった。希乃のももから中心に向かって手を動かして……とん、と奥まったところに指を触れる。
「……ここを、触れさせなかっただろうな」
 希乃はどうしてそんなことを司が言うのかわからなかった。なぜだかじわりと涙がにじんで、声が出せないのがもどかしく思った。
「そうか」
 希乃がやっとの思いで首を横に振ると、司は足から手を離してくれた。その代わりに希乃を浴室の壁に押し付けて、顎をつかんだ。
「それなら。……もう一生、俺だけだ」
 頭上からシャワーのお湯が降り注ぐ。司の服も半分以上濡れていた。
 ……けれどそれよりずっと、司に重ねられた唇の熱さだけが世界のすべてだった。
 何が起こったのかわからなかった。これは……なに?
 キス……という言葉が頭に浮かんだときは、舌を捕まえられて、食べるように口内を荒らされていた。
 シャワーのお湯は止まることがない。外はしんとした静まり返った秋の深夜、それに反して浴室の中はむせるように暑い。
 長いキスが終わって口を解放されたとき、希乃はふぅふぅ、と子どものように息を切らしていた。
 そんな希乃を唇を舐めて見下ろした司は、慈しみとは別の目で希乃を見ていた。それはとても野蛮で、ずっと庇護者だった彼とは別人のようにも見えた。
「希乃。仕置きだと思ってるのか」
 頬に触れた手も熱くて、希乃は反射的に後ずさった。けれどその腰ごと引き寄せられて、小さな希乃では司の腕の中に収まってしまう。
「違うよ。……約束、覚えてるな。おまえの全部をもらう」
 司は希乃の目を見て、あのときと同じようにぞっとするほど美しい笑みを浮かべた。
「始めよう。おまえが狂うくらい……一生愛してやるからな」
 司はそう言って希乃を組み敷くと、もう一度深く口づけた。