通された客間で、兄と希乃は少女の憧れのようなティーセットをご馳走になった。
白いレースの敷かれた円卓で、可愛らしく少しずつ盛り付けられたケーキやトリュフが出される。話の邪魔にならない程度に、使用人らしい給仕が白磁のティーカップに紅茶を淹れてくれた。
「気遣い感謝する。希乃もこれなら食べやすい」
兄が上機嫌で告げたとおり、これは大人の男性である兄向けのもてなしではなく、明らかに希乃を意識したものだった。その証拠に緊張で体を強張らせていた希乃も目を輝かせて、うれしそうにしていた。
藍紀はそんな希乃に優しく微笑みかけて言う。
「さやかも食が細いですから。……希乃さん、大丈夫ですよ。事前にアレルギーの食材はうかがっていますから、安心して召し上がってください」
「あ、ありがとう、ございます……先生」
希乃は初めてやって来た屋敷だったが、兄と医師の藍紀が一緒なら心もとない思いをしなくて済んだ。おずおずとフォークで一口大のケーキを取って、見た目に違わずおいしいそれを味わう。
希乃は藍紀によって部屋に戻されてしまったさやかのことが気になってはいたが、ティータイムは兄と藍紀の親しい雰囲気もあって、和やかに進んでいく。
藍紀は兄だけでなく、希乃にもたびたび話しかけてくれた。
「希乃さん、痛みは引きましたか? 急変したときに駆け付けられずにすみません」
「そんな……。私より、さやかさんは、よほど大変だったんですから……。私、ただの錯覚で……もうどこも、痛く、ないんです……」
あの夜藍紀はさやかを探すのに精いっぱいだったはずだ。実際、さやかは発疹で苦しんでいたのだから、藍紀がみつけたときはどれほど安心しただろう。
藍紀は希乃に微笑んでから、目を陰らせて言う。
「結局、無事さやかもみつかってよかったのですが……。あの夜、どうして私から隠れたのかは、話してくれないんです」
藍紀は迷惑をかけられたと怒っているのではなく、ただ心配でたまらない様子だった。白衣を脱いだ姿が見慣れないだけでなく、今日の藍紀は表情も一人の男性に見える。
「お前の愛情のかけ方が足りていないんだろう。何か不安にさせているんじゃないか?」
「やはりそう思われますか。高校生だからと一緒のお風呂をやめたのがよくなかったんでしょうか……。私はいいんですが、あの子も年頃ですし」
兄と藍紀の方向性は微妙に間違っている気もしたが、二人とも目線が庇護者であるのは同じで、希乃はなんだかくすぐったかった。
――さっちゃん、暖かくしてゆっくり寝てるんだよ。
藍紀がさやかにかけた言葉も声音も、そっと頭に触れた手も、優しい兄そのものだった。希乃もよく知っている、兄の慈愛と労わりの形だ。
――こんな情けない体……誰にも見られたくない。
けれどあの夜、さやかが自分を厭うようなことを言っていたのが気になった。自分なんかと哀しむ気持ちもまた、希乃はよく知っていた。
「風呂は俺も迷ったところだからな……」
そのうち兄が一緒に風呂に入ろうと言い出しそうな気がして、希乃はおもいきって言葉を切り出す。
「……わ、私も……もしアレルギーが起きたら、隠れたと思います……」
希乃の言葉に、兄と藍紀は同時に眉をひそめた。
「どうしてだ、希乃」
「理由を教えてもらえませんか?」
「えと……」
振り向いた二人の声音は真剣で、希乃はためらいながら言葉を続ける。
「体がぶつぶつで……弱い、自分が情けなくて。人に……特に親しい人には、見られたくない、です……」
その言葉に兄は憂えるように顔をしかめて、藍紀はため息をついた。
「にいさま……藍紀先生?」
希乃がそろそろと問い返すと、兄と藍紀は不穏なほど静かな声で言い合う。
「やっぱり愛情が足りてないな。べたべたに甘やかしていれば、そんなこと考えないはずだ」
「そうですね。愛されているとわかっていれば、真っ先に私を頼ってくるはずですから」
「あの……」
甘やかすのは、十分で……と希乃が言おうとしたら、兄はその静かな声色のままで藍紀に問う。
「で、従妹どもはどうするつもりだ?」
「それですが……」
藍紀は目を細めてから、ふいに奇妙に優しく希乃に言った。
「……希乃さんは植物が好きでしたね。この季節にはちょうどいい、高山植物用の冷温室があるんですよ。使用人に案内させましょう」
希乃はその声音には覚えがあった。兄が仕事のために、希乃に席を外させるときに同じことを言う。
「はい……ありがとう、ございます」
そういうとき、希乃は決して逆らわない。兄の仕事の邪魔をしたくなくて、そして……そこから先は不穏な話題につながると、わかっているからだった。
希乃が席を立つと、使用人が近づいて来て希乃を部屋の外に誘う。
去り際、藍紀と兄が薄く笑って椅子を近づけたのが見えた。希乃は決して振り返らないまま、心は怯えに震えていた。
(藍紀先生は、優しい……けど、にいさまと同じ世界の人、なんだ……)
それを実感しながら、使用人に連れられて廊下を歩く。
この屋敷も、どこもかしこも整っていて雅だけれど、一介の医師がそこまでの財力を持っているのはおかしい。
「……希乃さん」
胸を押さえて回廊を抜けたところで、声をかけられた。その声に先に振り向いたのは希乃ではなく、前を歩く使用人だった。
「お嬢様、お休み中とうかがいましたが……」
「体はもうすっかりいいの。それより」
立っていたのはさやかで、彼女はやんわりと使用人を制止するように言う。
「冷温室にお連れするのでしょう? 私がご案内するね」
「ですが……」
「私だって何かしたいな。……だめ?」
そう優しく言って、さやかは希乃の隣に並ぶ。
そのまま使用人を置いて、希乃を誘導するように歩き出す。慌てて希乃も後に続いた。
「さやかさん、体は……大丈夫、です……か?」
希乃はそう問いかけたが、さやかはしばらく何も言わずに歩き続ける。
やがて二人は建物を出て、さやかは慎重に扉を閉めた。
耳を澄ませて使用人がついて来ていないことを確認してから、さやかは小声で言う。
「……あなたと二人きりで話したかったのです。希乃さん」
そう言って希乃を正面から見た彼女は、ひどく心細そうなのにどこか決意を持って希乃を見ていたのだった。
白いレースの敷かれた円卓で、可愛らしく少しずつ盛り付けられたケーキやトリュフが出される。話の邪魔にならない程度に、使用人らしい給仕が白磁のティーカップに紅茶を淹れてくれた。
「気遣い感謝する。希乃もこれなら食べやすい」
兄が上機嫌で告げたとおり、これは大人の男性である兄向けのもてなしではなく、明らかに希乃を意識したものだった。その証拠に緊張で体を強張らせていた希乃も目を輝かせて、うれしそうにしていた。
藍紀はそんな希乃に優しく微笑みかけて言う。
「さやかも食が細いですから。……希乃さん、大丈夫ですよ。事前にアレルギーの食材はうかがっていますから、安心して召し上がってください」
「あ、ありがとう、ございます……先生」
希乃は初めてやって来た屋敷だったが、兄と医師の藍紀が一緒なら心もとない思いをしなくて済んだ。おずおずとフォークで一口大のケーキを取って、見た目に違わずおいしいそれを味わう。
希乃は藍紀によって部屋に戻されてしまったさやかのことが気になってはいたが、ティータイムは兄と藍紀の親しい雰囲気もあって、和やかに進んでいく。
藍紀は兄だけでなく、希乃にもたびたび話しかけてくれた。
「希乃さん、痛みは引きましたか? 急変したときに駆け付けられずにすみません」
「そんな……。私より、さやかさんは、よほど大変だったんですから……。私、ただの錯覚で……もうどこも、痛く、ないんです……」
あの夜藍紀はさやかを探すのに精いっぱいだったはずだ。実際、さやかは発疹で苦しんでいたのだから、藍紀がみつけたときはどれほど安心しただろう。
藍紀は希乃に微笑んでから、目を陰らせて言う。
「結局、無事さやかもみつかってよかったのですが……。あの夜、どうして私から隠れたのかは、話してくれないんです」
藍紀は迷惑をかけられたと怒っているのではなく、ただ心配でたまらない様子だった。白衣を脱いだ姿が見慣れないだけでなく、今日の藍紀は表情も一人の男性に見える。
「お前の愛情のかけ方が足りていないんだろう。何か不安にさせているんじゃないか?」
「やはりそう思われますか。高校生だからと一緒のお風呂をやめたのがよくなかったんでしょうか……。私はいいんですが、あの子も年頃ですし」
兄と藍紀の方向性は微妙に間違っている気もしたが、二人とも目線が庇護者であるのは同じで、希乃はなんだかくすぐったかった。
――さっちゃん、暖かくしてゆっくり寝てるんだよ。
藍紀がさやかにかけた言葉も声音も、そっと頭に触れた手も、優しい兄そのものだった。希乃もよく知っている、兄の慈愛と労わりの形だ。
――こんな情けない体……誰にも見られたくない。
けれどあの夜、さやかが自分を厭うようなことを言っていたのが気になった。自分なんかと哀しむ気持ちもまた、希乃はよく知っていた。
「風呂は俺も迷ったところだからな……」
そのうち兄が一緒に風呂に入ろうと言い出しそうな気がして、希乃はおもいきって言葉を切り出す。
「……わ、私も……もしアレルギーが起きたら、隠れたと思います……」
希乃の言葉に、兄と藍紀は同時に眉をひそめた。
「どうしてだ、希乃」
「理由を教えてもらえませんか?」
「えと……」
振り向いた二人の声音は真剣で、希乃はためらいながら言葉を続ける。
「体がぶつぶつで……弱い、自分が情けなくて。人に……特に親しい人には、見られたくない、です……」
その言葉に兄は憂えるように顔をしかめて、藍紀はため息をついた。
「にいさま……藍紀先生?」
希乃がそろそろと問い返すと、兄と藍紀は不穏なほど静かな声で言い合う。
「やっぱり愛情が足りてないな。べたべたに甘やかしていれば、そんなこと考えないはずだ」
「そうですね。愛されているとわかっていれば、真っ先に私を頼ってくるはずですから」
「あの……」
甘やかすのは、十分で……と希乃が言おうとしたら、兄はその静かな声色のままで藍紀に問う。
「で、従妹どもはどうするつもりだ?」
「それですが……」
藍紀は目を細めてから、ふいに奇妙に優しく希乃に言った。
「……希乃さんは植物が好きでしたね。この季節にはちょうどいい、高山植物用の冷温室があるんですよ。使用人に案内させましょう」
希乃はその声音には覚えがあった。兄が仕事のために、希乃に席を外させるときに同じことを言う。
「はい……ありがとう、ございます」
そういうとき、希乃は決して逆らわない。兄の仕事の邪魔をしたくなくて、そして……そこから先は不穏な話題につながると、わかっているからだった。
希乃が席を立つと、使用人が近づいて来て希乃を部屋の外に誘う。
去り際、藍紀と兄が薄く笑って椅子を近づけたのが見えた。希乃は決して振り返らないまま、心は怯えに震えていた。
(藍紀先生は、優しい……けど、にいさまと同じ世界の人、なんだ……)
それを実感しながら、使用人に連れられて廊下を歩く。
この屋敷も、どこもかしこも整っていて雅だけれど、一介の医師がそこまでの財力を持っているのはおかしい。
「……希乃さん」
胸を押さえて回廊を抜けたところで、声をかけられた。その声に先に振り向いたのは希乃ではなく、前を歩く使用人だった。
「お嬢様、お休み中とうかがいましたが……」
「体はもうすっかりいいの。それより」
立っていたのはさやかで、彼女はやんわりと使用人を制止するように言う。
「冷温室にお連れするのでしょう? 私がご案内するね」
「ですが……」
「私だって何かしたいな。……だめ?」
そう優しく言って、さやかは希乃の隣に並ぶ。
そのまま使用人を置いて、希乃を誘導するように歩き出す。慌てて希乃も後に続いた。
「さやかさん、体は……大丈夫、です……か?」
希乃はそう問いかけたが、さやかはしばらく何も言わずに歩き続ける。
やがて二人は建物を出て、さやかは慎重に扉を閉めた。
耳を澄ませて使用人がついて来ていないことを確認してから、さやかは小声で言う。
「……あなたと二人きりで話したかったのです。希乃さん」
そう言って希乃を正面から見た彼女は、ひどく心細そうなのにどこか決意を持って希乃を見ていたのだった。


