希乃は自分一人で遊びに行くことがなく、これまで友だちの家に行ったこともなかった。兄の家業を同級生が怖がるのはわかっていたし、希乃自身がひどく引っ込み思案で人の輪に近づくのさえ避けていたからだった。
「にいさま……私、変じゃないかな。お洋服、これで失礼じゃない……?」
自信なさげに兄を見上げた希乃は、白いブラウスとピンクパープルのスカート姿だった。大人しい格好はいつも通りだが、今回はお見舞いということもあって、いつもは必ず耳の辺りにつける花の髪留めも外している。
「希乃はパジャマでも、誘拐されないか心配なくらいかわいいぞ」
「子どもじゃないもの……」
兄は笑い声交じりにそう言って、今日は留めるもののない希乃の髪を優しく耳にかけてやる。
「大丈夫だ。あの子はとても大人しい子だし、意地悪なところもない。藍紀の従妹どもとは全然違う」
「さやかちゃん……にいさまは小さい頃から知ってるって」
兄から聞いて驚いたが、さやかという藍紀の妹は、希乃と同い年なのだそうだ。希乃も小学生ほどの体格だが、彼女もまた同じ小柄さだった。
希乃の言葉に、兄はうなずいて言う。
「ああ。連れ子で藍紀と血のつながりはないが、藍紀は目に入れても痛くないくらい可愛がってる。藍紀に連れられていろいろなところに出入りしてるから、よく知ってるよ」
「失礼がないようにしないと……」
「それはないだろうな。……俺も藍紀も、仲良くなりすぎないか心配してる」
「え?」
希乃が不思議そうに聞き返すと、兄は苦笑して希乃の頭をぽんと叩く。
「自分だけの宝物を見せたくないんだよ。さ、行くか」
兄に促されて、希乃は兄と一緒に迎えの車に乗り込んだ。
今日は招かれて訪問するために、藍紀が車をよこしてくれていた。それは黒塗りで兄が仕事で使っている高級車と似ていて、医師としての藍紀しか知らない希乃には意外に感じていた。
「わぁ……」
藍紀の屋敷に着いて、それは別の驚きに変わった。マリーゴールドの咲き乱れる庭の中に海外の貴族の邸宅のような、立派な洋館が佇んでいた。
兄の屋敷は伝統的な日本家屋で、広大な敷地の中にいくつもの建物が並ぶ。それに比べると藍紀の屋敷は小さめではあるが、由緒と気品が漂っていた。
「ようこそ、司さんに希乃さん。よく来てくれました」
入口に車が横付けされて、玄関から藍紀が姿を現す。今日の彼は、白いシャツ姿とブルーグレーのボトムスのラフな姿だった。いつもの白衣姿とは違って、雰囲気もくつろいでいるように見える。
藍紀に導かれて立ち入った屋敷内は、外観に違わず優美なところだった。白い石造りのロビーに吹き抜けの天井は花のシャンデリアが見下ろし、全体の色調を崩さないように風景画や骨董が飾られている。
客室までの道のり、兄は隣に並んだ藍紀に話しかける。
「妹の具合はどうだ」
「おかげさまで、発疹はすっかり消えました。まだ夜になると微熱っぽくなりますが、後遺症はありません」
「それはよかった。後遺症なんてあったら、さすがに血を見たな。お優しい藍紀先生?」
兄がからかうように告げたが、藍紀はふっと微笑んだだけで何も言わなかった。
藍紀が客室の扉を開くと、両開きの窓に白いカーテンが広がっていた。可愛らしいマリーゴールドの花々が窓の外に見えていて……その窓際で、所在なさげに立っている女の子がいた。
藍紀はさっと顔色を変えて、足早に女の子の元に歩み寄る。
「さっちゃん、どうしてここに。まだ寝てないとだめだろう?」
「お見舞いに来てくださったのに……お出迎えもしないなんて、失礼だもの」
彼女はおずおずと兄と希乃に向かって頭を下げる。
「来てくださって、ありがとうございます……。藍紀の妹の、さやかです」
淡く笑ったその表情は、心配なほど弱弱しかった。彼女はつぶらな瞳と小さな鼻と口をしていて、手足も折れそうなほど細い。深窓の令嬢そのものの華奢な姿に、希乃も慌ててぺこりと頭を下げ返す。
兄はそれを見て、年上の落ち着きでもって言う。
「寝ていていいぞ。まだ本調子じゃないんだろう?」
「でも……」
「お客様に甘えなさい、さっちゃん」
兄の言葉に続ける形で、藍紀はさやかに言う。その声音は甘いけれど庇護者としての力があって、そういうところも普段の医師としての彼とは違っていた。
「待って。……希乃さんに、渡すものが」
さやかは藍紀を制止して、希乃に歩み寄る。希乃がきょとんとすると、さやかはためらいがちに紙包みを差し出した。
「この間のお礼に、どうぞ。……私のお気に入りの、ミラベルのフルーツティーです。気に入っていただけると、いいんですけど……」
「あ……」
小さな手から差し出されたプレゼントに、希乃は頬を緩めて受け取る。
希乃はぺこぺこと頭を下げてから、手提げ袋を持ち上げる。
「……ありがとう、ございます。実は私も、お見舞いを……持ってきたんです。さくらんぼの紅茶……なんですけど」
「紅茶がお好きですか?」
「はい……」
希乃がうなずくと、さやかは花開くように微笑む。
「私も。おそろい、ですね」
その優しい笑顔に希乃は見惚れて、希乃もほっこりとはにかんだ。
兄の家業と自分の性格で、ずっと友だちを作るのに消極的だった。
でもこの小鳥のような女の子なら、友だちになれるのかもしれない……そう素直に思った。
「にいさま……私、変じゃないかな。お洋服、これで失礼じゃない……?」
自信なさげに兄を見上げた希乃は、白いブラウスとピンクパープルのスカート姿だった。大人しい格好はいつも通りだが、今回はお見舞いということもあって、いつもは必ず耳の辺りにつける花の髪留めも外している。
「希乃はパジャマでも、誘拐されないか心配なくらいかわいいぞ」
「子どもじゃないもの……」
兄は笑い声交じりにそう言って、今日は留めるもののない希乃の髪を優しく耳にかけてやる。
「大丈夫だ。あの子はとても大人しい子だし、意地悪なところもない。藍紀の従妹どもとは全然違う」
「さやかちゃん……にいさまは小さい頃から知ってるって」
兄から聞いて驚いたが、さやかという藍紀の妹は、希乃と同い年なのだそうだ。希乃も小学生ほどの体格だが、彼女もまた同じ小柄さだった。
希乃の言葉に、兄はうなずいて言う。
「ああ。連れ子で藍紀と血のつながりはないが、藍紀は目に入れても痛くないくらい可愛がってる。藍紀に連れられていろいろなところに出入りしてるから、よく知ってるよ」
「失礼がないようにしないと……」
「それはないだろうな。……俺も藍紀も、仲良くなりすぎないか心配してる」
「え?」
希乃が不思議そうに聞き返すと、兄は苦笑して希乃の頭をぽんと叩く。
「自分だけの宝物を見せたくないんだよ。さ、行くか」
兄に促されて、希乃は兄と一緒に迎えの車に乗り込んだ。
今日は招かれて訪問するために、藍紀が車をよこしてくれていた。それは黒塗りで兄が仕事で使っている高級車と似ていて、医師としての藍紀しか知らない希乃には意外に感じていた。
「わぁ……」
藍紀の屋敷に着いて、それは別の驚きに変わった。マリーゴールドの咲き乱れる庭の中に海外の貴族の邸宅のような、立派な洋館が佇んでいた。
兄の屋敷は伝統的な日本家屋で、広大な敷地の中にいくつもの建物が並ぶ。それに比べると藍紀の屋敷は小さめではあるが、由緒と気品が漂っていた。
「ようこそ、司さんに希乃さん。よく来てくれました」
入口に車が横付けされて、玄関から藍紀が姿を現す。今日の彼は、白いシャツ姿とブルーグレーのボトムスのラフな姿だった。いつもの白衣姿とは違って、雰囲気もくつろいでいるように見える。
藍紀に導かれて立ち入った屋敷内は、外観に違わず優美なところだった。白い石造りのロビーに吹き抜けの天井は花のシャンデリアが見下ろし、全体の色調を崩さないように風景画や骨董が飾られている。
客室までの道のり、兄は隣に並んだ藍紀に話しかける。
「妹の具合はどうだ」
「おかげさまで、発疹はすっかり消えました。まだ夜になると微熱っぽくなりますが、後遺症はありません」
「それはよかった。後遺症なんてあったら、さすがに血を見たな。お優しい藍紀先生?」
兄がからかうように告げたが、藍紀はふっと微笑んだだけで何も言わなかった。
藍紀が客室の扉を開くと、両開きの窓に白いカーテンが広がっていた。可愛らしいマリーゴールドの花々が窓の外に見えていて……その窓際で、所在なさげに立っている女の子がいた。
藍紀はさっと顔色を変えて、足早に女の子の元に歩み寄る。
「さっちゃん、どうしてここに。まだ寝てないとだめだろう?」
「お見舞いに来てくださったのに……お出迎えもしないなんて、失礼だもの」
彼女はおずおずと兄と希乃に向かって頭を下げる。
「来てくださって、ありがとうございます……。藍紀の妹の、さやかです」
淡く笑ったその表情は、心配なほど弱弱しかった。彼女はつぶらな瞳と小さな鼻と口をしていて、手足も折れそうなほど細い。深窓の令嬢そのものの華奢な姿に、希乃も慌ててぺこりと頭を下げ返す。
兄はそれを見て、年上の落ち着きでもって言う。
「寝ていていいぞ。まだ本調子じゃないんだろう?」
「でも……」
「お客様に甘えなさい、さっちゃん」
兄の言葉に続ける形で、藍紀はさやかに言う。その声音は甘いけれど庇護者としての力があって、そういうところも普段の医師としての彼とは違っていた。
「待って。……希乃さんに、渡すものが」
さやかは藍紀を制止して、希乃に歩み寄る。希乃がきょとんとすると、さやかはためらいがちに紙包みを差し出した。
「この間のお礼に、どうぞ。……私のお気に入りの、ミラベルのフルーツティーです。気に入っていただけると、いいんですけど……」
「あ……」
小さな手から差し出されたプレゼントに、希乃は頬を緩めて受け取る。
希乃はぺこぺこと頭を下げてから、手提げ袋を持ち上げる。
「……ありがとう、ございます。実は私も、お見舞いを……持ってきたんです。さくらんぼの紅茶……なんですけど」
「紅茶がお好きですか?」
「はい……」
希乃がうなずくと、さやかは花開くように微笑む。
「私も。おそろい、ですね」
その優しい笑顔に希乃は見惚れて、希乃もほっこりとはにかんだ。
兄の家業と自分の性格で、ずっと友だちを作るのに消極的だった。
でもこの小鳥のような女の子なら、友だちになれるのかもしれない……そう素直に思った。


