ぎゅうぎゅう詰めの自転車置き場を見て辟易する。
こうなったらただでさえ取り出しにくい自転車なのに、ママチャリだと余計始末が悪い。
もたれかかっている三台の自転車を力任せに押し戻し、何とか引っ張り出す。
いつのまにか随分と力がついたもんだ。
ホームルームが長引いて少し遅くなってしまった。
お迎えの時間までギリギリだ。
冷たい向かい風に対抗して、必死にペダルを漕ぐ。
もっとお金を出すから電動自転車を買ったらと親は言ってくれたが、さすがにチャイルドシート付き電動自転車は目立ちすぎる……と勝手にイメージしていたが、周りの子も何人か普通に電動アシスト付きで通学していて、意外とコンパクトなので少し後悔している。
“大丈夫、間に合うよ。ゆっくり”
わかってる。でも、一度迎えに遅れた時に感じた空気感。アレに耐えられないの。
“心配してくれてるだけだよ”
そうかもだけど。
頬に当たる冷たい風の感触が変わった。雪が混ざっている。
自転車を止め、制服の上からレインコートを着る。
雪はやだ。なるべく触れたくない。
空は私の気持ちなんかお構いなしで、舞い降ろす雪の量をだんだんと増やしていった。
「ミオママ、お帰り! リクちゃん、ママのお迎えだよ」
この保育所で一番若い保育士さん、ユナちゃん先生と向かい合って遊んでいたリクが振り返る。
まだおぼつかない足取りで私に駆け寄る。
部屋にはもう他の子はいない。
「ギリギリの時間になっちゃってすみません」
ユナちゃん先生に謝る。
「全然大丈夫よ……それより、雪降ってきたみたいだから気をつけて帰ってね」
リクにレインコートを着せながら、そう言葉をかけてくれた。
前乗せのチャイルドシートにリクを座らせ、ベルトをし、ヘルメットを被せる。
初雪のはずなのに、いきなり容赦ない降り方だ。
“押していきなよ”
私がサドルに跨ろうとしたら、そう注意された。
ありがとう。わかってる。
地面に落ちた雪はそのままスッと溶けて消え、積もる気配はないが、明日はどうなるんだろう。
徒歩で送り迎えと通学か。片道三十分はちょっときつい。
一歳になったばかりの息子は顔を上げ、空から降ってくる白いヒラヒラを嬉しそうに眺めている。
そういえば、この子が雪を見るのは初めてかもしれない。
リクは右手をあげ、それを掴もうとした。
「触らないで!」
自転車を止め、思わずその手を強くつかんでしまった。
私に振り向き、不思議そうな表情を見せる。
「ごめん」
その手を離し、再び自転車を押し始める。
食材の在庫は乏しいが、今日はこのまま真っ直ぐ帰ろう。
アパートの駐輪場に着き、リクを降ろす。
降ろした途端『キャッ』と嬌声を上げ、雪に向かってヨロヨロ歩きだす。
「待って!」
案の定、数歩も走らないうちにスッテンコロリンと転んだ。
泣き出すリクを抱きしめる。
抱きしめながら、私も泣きたくなる。
雪はね、
そんなにきれいなもんじゃないんだよ。
そんなに楽しいもんじゃないんだよ。
君からパパを奪った雪。
私から彼を奪った雪。
私は雪を赦さない。
“雪をそんな責めるなよ。いいとこもあるんじゃない?”
そう。何でもネガティブに考える私。そこにポジティブを見つけ出す彼。
私はそのバランスに心地よさを感じ、彼とつきあい、さらに惹かれていった。
夕ご飯を食べさせ、お風呂に入れ、パジャマを着せる。
窓の外が気になるのか、リクは少し興奮気味でなかなか寝ない。
今日は洗濯、諦めた。部屋の片づけと宿題だけはやらなければ。
「だっこ、だっこ」
どうしても外の景色が見たいらしい。
「寒いから、窓越しだよ」
そう言ってリクを抱き上げ、カーテンを開けた。
アパートの前の古い一軒家は取り壊され、最近空き地になった。
一面、真っ白に覆われている。まるで、雪野原に放り出されたような感覚に陥る。
その景色を見てリクは怖くなったのか、私の胸に顔をうずめた。
高校生の身で子供を産み、その父親を失った私に、みんな優しくしてくれた。
リクの世話をするから一緒に暮らそうと言ってくれる実の親。
気兼ねなく、甘えてくれていいんだよと声をかけてくれた義理の両親。
他のママ以上に気を遣ってくれる、保育士さんたち。
お産と育児で一年休学しても、普通に接してくれる新しい同級生と先生方。
でも、その優しさって、誰のため?
リクのためでしょ?
私のことはどうなの?
この子を幸せにしてあげたい。それが彼からも託された私の役目なんだ。
そう思う一方、心のどこかに潜む、ネガな感情。『私は置き去りにされているのだ』という。
今日は、上の部屋からも両隣からも生活音が聞こえず、しんと静まりかえっている。
閉ざされた場所にいる私とリク。
彼と住む予定だった、この場所にリクと住むこと選んだのは私自身だ。
意地を張って周りの人々の優しさを頑なに拒んできた罰だ。
“二人で楽しんでみたら?”
……どうやって?
“君とリクが一緒に楽しめそうなことをひとつずつ、試してみる”
できるかな?
“うん、あせらずに、ゆっくりと”
……わかった。でも、手始めに何をすればいいかな。
外の空気に冷やされた窓にポツリポツリと小さな水滴が浮かび始めている。
「リク、見てごらん」
私は、ハーッと窓に息を吐き、曇らせる。
外の景色が少し隠れた。
そこに雪だるまの絵を描く。
私の子は手を伸ばし、雪だるまの隣りにペタッと手をついた。
その小さな手形が無性に愛おしかった。
冷たくなった手を包み込み、温める。
そうか、こういうことなんだな。
私はきっと、これからもずっとネガの毒を吐き続ける。
彼はきっと、これからもずっとそれを中和してくれる。
私の腕の中で、『かふっ』と小さなあくびをするリク。
今日はもう寝てしまおう。
片づけと宿題はちょっとだけ早起きして、朝やればいい。
小さな布団にリクを寝かしつけ、その隣りに自分の布団を敷く。
電気を消し、布団に入り、リクの掛布団の上に手を乗せる。
しんと静まりかえった場所。
彼が空からかけてくれた白いヴェールで守られた場所。
窓に残った小さな手形は、まるでハイタッチを求めているようにも見えた。
「ねえ、君にも見えているかな?」
雪を赦せる日が来るかもしれない。
そして、
私を赦せる日も。
- おしまい -
こうなったらただでさえ取り出しにくい自転車なのに、ママチャリだと余計始末が悪い。
もたれかかっている三台の自転車を力任せに押し戻し、何とか引っ張り出す。
いつのまにか随分と力がついたもんだ。
ホームルームが長引いて少し遅くなってしまった。
お迎えの時間までギリギリだ。
冷たい向かい風に対抗して、必死にペダルを漕ぐ。
もっとお金を出すから電動自転車を買ったらと親は言ってくれたが、さすがにチャイルドシート付き電動自転車は目立ちすぎる……と勝手にイメージしていたが、周りの子も何人か普通に電動アシスト付きで通学していて、意外とコンパクトなので少し後悔している。
“大丈夫、間に合うよ。ゆっくり”
わかってる。でも、一度迎えに遅れた時に感じた空気感。アレに耐えられないの。
“心配してくれてるだけだよ”
そうかもだけど。
頬に当たる冷たい風の感触が変わった。雪が混ざっている。
自転車を止め、制服の上からレインコートを着る。
雪はやだ。なるべく触れたくない。
空は私の気持ちなんかお構いなしで、舞い降ろす雪の量をだんだんと増やしていった。
「ミオママ、お帰り! リクちゃん、ママのお迎えだよ」
この保育所で一番若い保育士さん、ユナちゃん先生と向かい合って遊んでいたリクが振り返る。
まだおぼつかない足取りで私に駆け寄る。
部屋にはもう他の子はいない。
「ギリギリの時間になっちゃってすみません」
ユナちゃん先生に謝る。
「全然大丈夫よ……それより、雪降ってきたみたいだから気をつけて帰ってね」
リクにレインコートを着せながら、そう言葉をかけてくれた。
前乗せのチャイルドシートにリクを座らせ、ベルトをし、ヘルメットを被せる。
初雪のはずなのに、いきなり容赦ない降り方だ。
“押していきなよ”
私がサドルに跨ろうとしたら、そう注意された。
ありがとう。わかってる。
地面に落ちた雪はそのままスッと溶けて消え、積もる気配はないが、明日はどうなるんだろう。
徒歩で送り迎えと通学か。片道三十分はちょっときつい。
一歳になったばかりの息子は顔を上げ、空から降ってくる白いヒラヒラを嬉しそうに眺めている。
そういえば、この子が雪を見るのは初めてかもしれない。
リクは右手をあげ、それを掴もうとした。
「触らないで!」
自転車を止め、思わずその手を強くつかんでしまった。
私に振り向き、不思議そうな表情を見せる。
「ごめん」
その手を離し、再び自転車を押し始める。
食材の在庫は乏しいが、今日はこのまま真っ直ぐ帰ろう。
アパートの駐輪場に着き、リクを降ろす。
降ろした途端『キャッ』と嬌声を上げ、雪に向かってヨロヨロ歩きだす。
「待って!」
案の定、数歩も走らないうちにスッテンコロリンと転んだ。
泣き出すリクを抱きしめる。
抱きしめながら、私も泣きたくなる。
雪はね、
そんなにきれいなもんじゃないんだよ。
そんなに楽しいもんじゃないんだよ。
君からパパを奪った雪。
私から彼を奪った雪。
私は雪を赦さない。
“雪をそんな責めるなよ。いいとこもあるんじゃない?”
そう。何でもネガティブに考える私。そこにポジティブを見つけ出す彼。
私はそのバランスに心地よさを感じ、彼とつきあい、さらに惹かれていった。
夕ご飯を食べさせ、お風呂に入れ、パジャマを着せる。
窓の外が気になるのか、リクは少し興奮気味でなかなか寝ない。
今日は洗濯、諦めた。部屋の片づけと宿題だけはやらなければ。
「だっこ、だっこ」
どうしても外の景色が見たいらしい。
「寒いから、窓越しだよ」
そう言ってリクを抱き上げ、カーテンを開けた。
アパートの前の古い一軒家は取り壊され、最近空き地になった。
一面、真っ白に覆われている。まるで、雪野原に放り出されたような感覚に陥る。
その景色を見てリクは怖くなったのか、私の胸に顔をうずめた。
高校生の身で子供を産み、その父親を失った私に、みんな優しくしてくれた。
リクの世話をするから一緒に暮らそうと言ってくれる実の親。
気兼ねなく、甘えてくれていいんだよと声をかけてくれた義理の両親。
他のママ以上に気を遣ってくれる、保育士さんたち。
お産と育児で一年休学しても、普通に接してくれる新しい同級生と先生方。
でも、その優しさって、誰のため?
リクのためでしょ?
私のことはどうなの?
この子を幸せにしてあげたい。それが彼からも託された私の役目なんだ。
そう思う一方、心のどこかに潜む、ネガな感情。『私は置き去りにされているのだ』という。
今日は、上の部屋からも両隣からも生活音が聞こえず、しんと静まりかえっている。
閉ざされた場所にいる私とリク。
彼と住む予定だった、この場所にリクと住むこと選んだのは私自身だ。
意地を張って周りの人々の優しさを頑なに拒んできた罰だ。
“二人で楽しんでみたら?”
……どうやって?
“君とリクが一緒に楽しめそうなことをひとつずつ、試してみる”
できるかな?
“うん、あせらずに、ゆっくりと”
……わかった。でも、手始めに何をすればいいかな。
外の空気に冷やされた窓にポツリポツリと小さな水滴が浮かび始めている。
「リク、見てごらん」
私は、ハーッと窓に息を吐き、曇らせる。
外の景色が少し隠れた。
そこに雪だるまの絵を描く。
私の子は手を伸ばし、雪だるまの隣りにペタッと手をついた。
その小さな手形が無性に愛おしかった。
冷たくなった手を包み込み、温める。
そうか、こういうことなんだな。
私はきっと、これからもずっとネガの毒を吐き続ける。
彼はきっと、これからもずっとそれを中和してくれる。
私の腕の中で、『かふっ』と小さなあくびをするリク。
今日はもう寝てしまおう。
片づけと宿題はちょっとだけ早起きして、朝やればいい。
小さな布団にリクを寝かしつけ、その隣りに自分の布団を敷く。
電気を消し、布団に入り、リクの掛布団の上に手を乗せる。
しんと静まりかえった場所。
彼が空からかけてくれた白いヴェールで守られた場所。
窓に残った小さな手形は、まるでハイタッチを求めているようにも見えた。
「ねえ、君にも見えているかな?」
雪を赦せる日が来るかもしれない。
そして、
私を赦せる日も。
- おしまい -



