【完結】月から帰り君に会えたら

 私はかぐや姫計画のパーツになる。

 一月前、私は主治医の先生から余命一年と告げられていた。私はそれを(そうなんだなあ)とぼんやり聞いていた。最初から進行が早い病気だとは聞かされていたし、治療法もない。それでも、ギリギリまで学校には行けるように投薬は続けられていたから、私は単に(まだ学校に行けてるし……)とあまり実感がなかったのかもしれない。

 両親の方はやはり子供が自分たちよりも早く死ぬことを嘆いていたのだろう。気持ちはわかる。病気が発覚した時も、余命を告げられた時も、崩れそうなほど泣いていたお母さん。お父さんはその身体を支えつつも、目には涙がにじんでいたのだった。その姿を見て、さすがに私も申し訳ないと思い、ちょっと目が潤んだ。

 そういった事情があって、両親は私をかぐや姫計画に参加させることにしたのだ。

 かぐや姫計画──それは、脳を取りだして機械に繋ぎ、それを連ねて、生体コンピューターとして使用するという研究計画である。成果は月での探索活動に役立てるのだという。いわば、脳の延命で、脳だけが生き、私は脳の寿命まで生きることができる。今は第二世代の募集がかかっていて、私のように病気で亡くなりそうな人や、事故で寝たきりになった人、宇宙を夢見ている人や地球での生活に飽きた人間を集めている最中なのだ。

 私が死ぬことを恐れた両親は、私の脳をその計画に送り出すことに決めたのだ。時折、月に渡航して私に会えるらしい。

 それを聞かされた時も私は(ふーん)と思ってあまり実感を持てなかった。少なくとも、自分が一年後に死ぬといった事実の方が現実味があった。脳だけで生きるということは、毎日髪の毛がうねっていないか気にしなくてもいいことになるのだろうか。お箸を使ってご飯を食べるということもなくなるだろうし、ご飯はどうやって食べればいいんだろう。そもそも、脳だけになるとご飯は食べる必要があるのだろうか……などと、思っていたのだった。

 直樹にそれを話したのはかぐや姫計画について聞いた翌日の事だった。

「かぐや姫計画に?」
「そう。死んだら? ……いや、死ぬ前にか。私、脳だけで月に行くみたい」

 直樹は二年生になってから隣の席になった男の子で、帰る方向が同じだとわかってからよく一緒に帰宅している男子だった。たまにどこかにも出かける。私が余命一年だと知っても「ふーん」というくらいの反応をして、多分動揺はしていたと思うのだけど、大げさにしなかったので私は好感を持っていた。

「まあ、子供が長生きするのは親の望みらしいからな。明日香も断る気がないんだろ?」
「そうだなあ。言われてもよくわかんなくて、ご飯の事ばかり考えてた」
「あれじゃん。SFみたいに脳だけ水槽に入れられるんじゃないの」
「そうかもね。じゃあ、ご飯はいらないのか」

 私たちはその話題から、前期のアニメの話になり、来期の続きの話になり、冬になって私がまだ動けるようだったらイルミネーションを一緒に見に行こうという約束をしていた。

 先生に宣告されたのと大体同じ経過で私の容体は徐々に悪化し、半年後には入院してその一か月後にはベッドの上から全く動けなくなっていた。イルミネーションなんて夢のまた夢である。

 頭はしっかり動いているからなかなか身体を動かせないことがわりと歯がゆい。本を読んだり、スマホを長い時間見ることもできず、私は暇つぶしにつまらないテレビを見ていることになってしまった。

 動画の配信サイトを教えてくれたのは直樹だった。

「じゃあ、お前ずっと寝てばかりなの?」
「起きてはいるけどずっと身体を起こしてるのはつらいの。指もあんまり動かせないからメールの返信を返すのも大変」

 たまにお見舞いに来てくれる直樹に暇だと伝えると、いくつか映画やドラマを見られるサービスを教えてくれた。アニメもバラエティもあったし、操作がタップするだけだから身体への負担も少なかった。直樹がお父さんに声をかけてくれて、私は動画配信サービスを楽しむことができた。寝ながら画面を見られる道具も買ってきてくれて、私の暇つぶしは充実し始めたのだった。

 直樹は他にも音読サイトとか、旅行や暮らしの配信なんかも教えてくれて、私は直樹のことを優しいなと思っていた。

 それから数か月後を過ぎると、私は配信のボタンも押すことができなくなっていた。身体は寝たきりで全く動かない。お母さんがベッドサイドでぽろぽろ泣いているような音も聞こえる。私はそれを見るために首を動かすこともできないし、外の様子を見ることもできなくなっていた。看護師さんが朝教えてくれる日付と、直樹の話で今は春先であるとわかった。

 直樹は相変わらずお見舞いに来てくれていた。配信サイトを解約したと言ったら、「なるほどね」と返事をして毎日来てくれるようになったのだ。

 それから、徐々に目を開けられなくなってきた。先生からもう一度説明があって、そろそろ意識はあるけれど完全に身体を動かせなくなるだろう、と言われた。両親のすすり泣きが聞こえる。私は頷けないまま、瞼を半分くらい開いて先生を見た。目の動きでわかった、が伝わればいいなと思った。

 動けなくなってしばらくしてから、かぐや姫計画がスタートするらしい。私は一度眠らされて脳を取り出し、保存液につけられた後、月まで送られるのだ。月に行くまでに水槽から飛び出したらどうしようと、配信サイトで見た映画の一場面を思い出しながら思った。その時はその時で私は死ぬのだろう。

 目がまったく開かなくなり。とうとう私はかぐや姫計画を待つばかりである。数日前から直樹は来なくなっていた。

 病院の個室は静かだ。朝と夜には先生が来てくれて、時間になれば看護師さんが来てくれる気配がある。面会時間にはお母さんが病室にいた。ちょっとづつ話しかけてはくれるが、でも、それ以外の時間は何も聞こえなかった。耳をすませば、ガラガラと何かを動かす音が聞こえる気がしたが、もしかしたら目だけではなく、耳も聞こえなくなっているのかもしれない。

 その日、珍しくがやがやとたくさんの人が話しながら病室に入ってくるのがわかった。お父さんとお母さん、それから直樹の声がした。

 私は何も言えないし、何も合図ができない。

 直樹が私に話しかける。

「ごめん、しばらくこれなかった」

 お母さんが直樹に「聞こえてないかも」と言って、直樹の「そうかー」という声がした。

 それからちょっとして、私に話しかけながら、私の手のひらに何かを書き始めた。

「急にばあちゃんが入院して、葬式に行ってた。今日帰ってきた」

 近況を話してくれる直樹が嬉しかった。

 私はどうにかして直樹にそれを伝えたかったが頷くこともできない。

「お前、明日かぐや姫になるらしい」

 じゃあ、私は直樹と会うのはこれが最後に違いない。

 ありがとうと言いたかったが、やはりどこも動かなかった。

「またな」

 直樹が手のひらに書いた。またなんてないのに、直樹らしいなと私は思った。

 その夜から私は鎮静剤で眠りにつき、次に気が付いた時には月の探索室でいろいろな脳と繋がりながら、かぐや姫のパーツの一つになっていた。

 様々な人の記憶と思考が流れ込んでくる。私はその人たちと混ざり合いながら、かぐや姫になった。

 ***

 かぐや姫に画像センサーと音声集積マイクが付けられて数年が経つ。言葉の入力から情報整理をするだけだったかぐや姫は、視覚と聴覚を持ち、以前よりも格段に探索活動の補助ができるようになっていた。膨大な脳は死んでは補充され、さまざまな経験を蓄積したかぐや姫は今や月の探索だけではなく、遠隔で地球での作業もするようになっている。検索システムKaguyaは全世界で最も使われている検索サイトの一つだ。かぐや姫は人類にとってなくてはならないものになっていた。

 その日、かぐや姫の元にやってきたのはかぐや姫にとって見覚えのある男性だった。

「久しぶりだな」

 そう言って挨拶をした男性はかぐや姫を知っているようだった。

「覚えてるか? 平沢だよ。平沢直樹」

 高校の時に隣の席だった、と男性が付け足す。

『こんにちは直樹。あなたのことは見覚えがあります。記憶を検索するのでお待ちください』

 いくつもの脳の中で平沢直樹という名前が走る。見覚えがあるというならば、脳たちのどこかにあるはずだ。そのうちの一つが直樹という単語に反応した。

『平沢直樹。桜木高校の二年生。高槻明日香の隣に座っている男子学生で、彼女が入院中に動画配信サービスについて教えてくれました。彼女との最後に指でまたなと書いたことがあります』

 かぐや姫は明日香の記憶を要約して、目の前にいる男性に告げた。

「そうだよ。覚えていてくれて嬉しい」

 直樹がそう言った。笑顔のようだが、宇宙服越しでその表情はしっかりと見えない。

「明日香にまたなって言ったからな。この仕事に着くまでに二十年もかかった」

『平沢直樹。成績はやや下で、高槻明日香に宿題を教えられていました。高槻明日香の記憶の限りでは、平沢直樹は物理のテストで三回補講を受けています』

「なんだ。そんなことも覚えてるのか」

 直樹が恥ずかしそうに、今度は笑った声がした。

「想像していた明日香とは違ったけど、また会えてよかった。俺はまた渡航する予定があるから、その時に寄るよ。今、月探索チームで働いているんだ」

『わかりました。私たちの脳のメモリーに記憶しておきます。』

 ***

 いろんな人の脳にも私と直樹のことが流れてしまい、私はちょっと恥ずかしかった。かぐや姫は一個のシステムだから私と直樹は直接話すことはできない。喋ることはできなかったけれど、直樹が私に会いに来てくれたのは嬉しかった。

(でも、また言いそびれちゃったな)

 私の脳の寿命はそろそろ終わりだ。この二十年目まぐるしく働いてきた第二世代の脳たちには負荷がかかりすぎており、徐々になくなっていく脳が現れているのだ。二度目の人生のような物だし、いつまでもこんな状態だと困るから、私はまた(ふーん)と思っていた。でも、死ぬ間際に直樹が来てくれたのでちょっと惜しくなった。

 それでも、かぐや姫は総意として直樹のことをメモリーに残しておいてくれると言った。私がかぐや姫から離脱しても、きっと直樹に会った時にかぐや姫は再会を喜んでくれるに違いない。

 浮遊しながら去っていく直樹の白い背中を見ながら、私は(ありがとう)と念を送った。

 もしも死んだ後にどこかで逢うことができたならば、私は直樹に好きだと伝える。