月のうさぎと地上の雨男

 今度こそリビングを出て、渡は自室に戻った。

 明かりもつけずにベッドに身を投げ出し、ぼんやりと天井を見上げた。

 どうやら、セクハラの前に身の程知らずだったらしいと渡はぼんやり思った。

 彼が身を挺して庇い、初めてキスした女の子は、文字通りの天上人だった。


「月詠って」


 日本人の頂点に立ち、天照らす天皇家。その分家が月の日本領を治める月詠家。

 その長子である凪は、いずれ月を象徴する人物となる。

 ……天照、晴原に次ぐ雨水家とはいえ、分家の次男坊に過ぎない渡の手の届く人物ではない。

 また会いたいとか、連絡先を聞けたらとか、あわよくば付き合えたらだなんて、とんだ身の程知らずだった。


「あー……マジかよ」


 渡は、思わず泣きそうになった。

 唇に触れた柔らかさも、渡を見上げて嬉しそうに細められる赤みがかった瞳も、はしゃいで渡を引いた華奢な指先も。

 何一つとして忘れられるわけがないのに、全部全部、渡の手の届くものではなかったのだ。

 ふと、渡は凪にクラゲ柄のスニーカーと靴下を買ったことを思い出した。月詠のお嬢様にあんなものを履かせて良かったのか、渡は愕然とする。

 先程テレビで見た凪は、人形のように美しく、優雅に微笑んで月詠氏を見送っていた。

 ちゃんと見ていなかったけれど、それにふさわしい服装をしていたのだろう。

 あの靴下とスニーカーを凪はどうしたのだろうか。

 もう捨ててしまったかもしれない。

 それならそれでいいと渡は思う。

 端から釣り合う相手ではないのだから、夢を見たって仕方ない。

 むしろ、夢を見せてくれたことに感謝した方がいいのかもしれない。


 渡は寝転がったまま手を伸ばし、カーテンを開けた。

 夜空には薄く雲がかかっていて、月も星も何も見えない。

 いつもどおりだと渡は息を吐き、カーテンを閉めた。