月のうさぎと地上の雨男

 静かな声が渡の耳に響いた。

 つないだままの凪の手が、キュッと強く渡の手を握る。

 小さくてか弱く、渡が握ったら見えなくなって潰してしまいそうな手が、渡の手に食い込みそうなくらい強く掴んでいた。


「俺も男だからね、かわいい女の子に誘われて嫌なわけがない」


 渡はなんとか言葉を選ぶ。

 じわじわと辺りが暗くなり、空と海の境がぼんやりしてきた。

 でも、そこに確実に境界線がある。


「もちろん何の気負いもなくとはいかないよ。家のことがある」


 そのことはきっと凪だって分かっていて、その上でこのお嬢様は自分の手を掴んで離さないのだと思いたい……ただの願望だけど、と渡は目を伏せた。


「でも、俺だって凪とまた会いたかったし、並んで歩いて、他愛もない話をして、最後にキスして別れを惜しみたい」


 凪が渡の方を向いた気配がした。

 渡もゆっくり、隣に座る凪を見た。

 赤い目が月の光を反射してキラキラ光って見えた。


「こちらこそ、ありがとう凪。また一緒に月を見てくれて」

「ううん。無理言ってごめん。わがまま言ってごめん。……ありがとう、私に会いたいって言ってくれて。渡くんがそう言ってくれたから、私はわがままが言えた」


 凪が微笑んで目を閉じた。

 渡は前回より少しだけ長く顔を寄せた。


「……帰ろうか」

「うん。ねえ渡くん。別れを惜しんでくれた?」

「もちろん。帰りたくないよ。でも帰る」

「私が帰らないでって言っても?」


 暗い中、顔を寄せてひそひそ話す。

 凪はいたずらっ子みたいな顔で渡を見上げた。


「帰るよ。そうした方が、きっと、ずっと長く凪と一緒にいられる」

「渡くんは大人だねえ」

「本当に大人だったら、初めて会った女の子にキスしない」


 渡は笑って立ち上がった。

 凪も手を引かれて立ち上がる。

 ビニールシートが音もなく片付けられて、二人は手をつないで車まで戻った。

 渡の手を握る凪の手は、さっきほど強くは食い込んでいなかった。