月のうさぎと地上の雨男

 夕方、授業を終えた渡は、一緒に授業を受けていた宗輔(そうすけ)と別れ、校門に向かった。

 宗輔は山岳サークルに入っているので、この後サークル仲間と登山グッズ専門店へ行くと言う。

 渡も入学時に一緒にサークルに勧誘されたが、「雨男はちょっと」と丁重に断られた。

 一人で校門をくぐり、駅の方へ顔を向けた瞬間、呼び止められた。


雨水(うすい)様」

「ん?」


 振り向いたときには、両脇から腕をつかまれていた。

 渡が抵抗する間も、声を上げる間もなく車に連れ込まれた。

 咄嗟に能力を発動させ、渡の上空にだけ雨を降らせる。

 これで雨水家、蛙前、滝草のどれかの家の人間なら足取りを追えるはずだ。


「申し訳ございません、雨水様」


 謝るくらいなら拉致(らち)なんかするな! と言い返そうとしたが、運転席から聞こえる低い声に聞き覚えがあった。

 渡は広々とした車の後部座席に座らされていた。運転席にはサングラスに黒スーツの分厚い体格の男性。助手席にも同じ格好の女性。どちらも姿勢が良く、どう見ても一般人ではありえなかった。


「これなら、少なくとも雨水の落ち度にはならないと思ったの」


 続く、高く透き通るような声音は、覚えがあるどころか、渡が求めていたものだった。


「……月詠様……?」


 振り返ると、口をへの字にした凪がセーラー服姿で脚を揃えて座席に座っていた。


「次に私的な場で私のことを『月詠様』なんて呼んだら怒りますよ」

「もう、怒ってるじゃないですか」


 渡が笑うと、凪も笑った。


「当たり前でしょう。凪って呼んで。敬語も禁止。渡くん、私より年上だし学校の先輩でもあるんだから」


 本当にいいのだろうか。

 渡が戸惑っていると、運転席から再び声がした。


「申し訳ございません、雨水様。お嬢様たっての願いですので、どうか」

「……そういうことなら。えっと、なんで凪は俺を拉致したんだっけ?」

「拉致だなんて失礼な。デートの誘いに来たの」


 普通の女の子は意中の男の子をデートに誘うのに、ボディガードを使って車に連行したりはしない。しかも月詠家の車だから、防弾仕様で窓ガラスもスモーク仕様の高級車だ。

 これが拉致でなくなんなのか……という台詞を、渡は二秒かけて全部飲み込んだ。


「デートは構わないけど、家に帰りが遅くなるって連絡していい?」

「もちろん。ついでに雨も止めてもらえる? 昨日、結婚式の前に猿渡(さるわたり)が熱心に車を磨いていたの」

「それは申し訳ないことをしました」


 猿渡と呼ばれたボディガードは構わないと笑って首を振った。

 渡はスマホを取り出して、ニャインの家族用グループにメッセージを送っておく。

 雫と歌帆から一瞬で『詳しく』と同じスタンプが送られてきたが、無視した。

 渡が雨を止めると、車が音もなく走り出した。