出生届けさえきちんと出したにもかかわらず、忍にはあの出来事を夢だと思うことはできなかった。母が言うには、娘は忍の赤ん坊のころににそっくりだというのに。
死産だった娘は、双子の片割れとして生まれてすぐ亡くなったことに変わっていた。死産届けではなく、戸籍を作ったうえでの死亡届に変わった。あの謎の何かと会った時、そうなればいいとぼんやり考えてたことが叶っていたのだ。
確かにあの子がいたという事実が形として残ったことに、胸の奥がどうしようもないくらいに震えた。
子どもたちの名前は、実母と姑が相談し、
「“いぶき”なんてどうかしら?」
と提案してくれたものだ。二人は親子ほどの年の差だったのに、とても仲が良かった。夫は名づけにも無関心だったが、母たちの提案は忍の好みにもあったのでそのまま名付けた。
いぶきは春の息吹。
七月生まれだったが、この子の人生に花が咲くように、緑あふれるように、幸せがたくさん訪れるようにと願った。
漢字の候補もあったが、あえて平仮名でつけた。
一方亡くなった娘には「心晴《こはる》」と名付けた。春の字は入れなくても、実際に亡くなったのが春だったことを、実の母も姑も心のどこかで覚えているのかもしれない。
離婚は悩んだ。一人で育てられるかということもあったが、まだ夫には愛情が残っていたのだ。いや、多分信じたかっただけだ。心から好きになり、一生を共にしたいと思った相手だから信じたかった。あのひどい言葉も、親になる不安から来る一時の迷いだと思いたかった。自分よりずっと年上でも、思っていたほど彼は大人ではないんだと考えるようになっていたし、漠然と自分がしっかりしようと考え始めていた。
だがそれでも、子どもの命を簡単に考えていた男が父親になれるのだろうか? との思いが常に心の中にあったのは確かだった。
母はそんな忍の気持ちに寄り添い、「縁あって一緒になったのだから、少し様子を見よう」と励ましてくれた。子どもと一緒に親も育っていくものなのだと。
だが子どもを育てながら忍が理解したことと言えば、夫だったはずの、頼れる年上の男だったはずの夫は、妻の関心が自分よりも子供に行くのが許せない幼稚な男だったことくらいだろうか。
それでも幸いなことに、夫の両親は忍の味方だった。
年を取ってからできた一人息子だったから甘やかしすぎたと、孫のような年の忍に何度も頭を下げた。
その後、美容師を諦め別の職種に働きに出たときも、保育園激戦区で幼稚園しか選択肢がなかった時も、相談に乗り助けてくれたのは夫ではなく、同じ町に住む姑たち。離れて暮らす実両親にかわり、幼稚園のお迎えも、忍が迎えに来るまで娘の面倒も見てくれた。
いい人たちだった。
たくさん助けてもらった。
いぶきもおじいちゃんおばあちゃんが大好きだった。
だからこそ、彼らから孫を引き離すことをためらった。
いぶきは大きくなるにつれ、夫……というより、老いても華やかな美人である姑に似てきた。夫は母親似だ。
「パパとママのいいとこどりって感じの美人さんだね。将来はモデルさんかな?」
周りがそう褒めてくれるせいか、夫は自分の「血」を感じはじめたいぶきに、少しずつ関心が出てきたようだった。
誰が見ても二人の子にしか見えない。それでも忍の理性はかたくなに、「この子は預かった大切な子」という意識を捨てないよう気を付けた。私を信じてもらって預かった大切な子どもなのだと。
「目元、俺に似てるよね」
「そうね」
本当によく似てる……。
このまま、本当の親子として幸せに暮らせるのではないかと、夢見た瞬間がいくつもあった。夫は娘が可愛いことだけは自慢だったらしく、時々店に連れて行っては、子どもを可愛がっているアピールをしていたものだ。
でも夫にとって一番大切なのは夫自身であることは変わらなかった。
死産だった娘は、双子の片割れとして生まれてすぐ亡くなったことに変わっていた。死産届けではなく、戸籍を作ったうえでの死亡届に変わった。あの謎の何かと会った時、そうなればいいとぼんやり考えてたことが叶っていたのだ。
確かにあの子がいたという事実が形として残ったことに、胸の奥がどうしようもないくらいに震えた。
子どもたちの名前は、実母と姑が相談し、
「“いぶき”なんてどうかしら?」
と提案してくれたものだ。二人は親子ほどの年の差だったのに、とても仲が良かった。夫は名づけにも無関心だったが、母たちの提案は忍の好みにもあったのでそのまま名付けた。
いぶきは春の息吹。
七月生まれだったが、この子の人生に花が咲くように、緑あふれるように、幸せがたくさん訪れるようにと願った。
漢字の候補もあったが、あえて平仮名でつけた。
一方亡くなった娘には「心晴《こはる》」と名付けた。春の字は入れなくても、実際に亡くなったのが春だったことを、実の母も姑も心のどこかで覚えているのかもしれない。
離婚は悩んだ。一人で育てられるかということもあったが、まだ夫には愛情が残っていたのだ。いや、多分信じたかっただけだ。心から好きになり、一生を共にしたいと思った相手だから信じたかった。あのひどい言葉も、親になる不安から来る一時の迷いだと思いたかった。自分よりずっと年上でも、思っていたほど彼は大人ではないんだと考えるようになっていたし、漠然と自分がしっかりしようと考え始めていた。
だがそれでも、子どもの命を簡単に考えていた男が父親になれるのだろうか? との思いが常に心の中にあったのは確かだった。
母はそんな忍の気持ちに寄り添い、「縁あって一緒になったのだから、少し様子を見よう」と励ましてくれた。子どもと一緒に親も育っていくものなのだと。
だが子どもを育てながら忍が理解したことと言えば、夫だったはずの、頼れる年上の男だったはずの夫は、妻の関心が自分よりも子供に行くのが許せない幼稚な男だったことくらいだろうか。
それでも幸いなことに、夫の両親は忍の味方だった。
年を取ってからできた一人息子だったから甘やかしすぎたと、孫のような年の忍に何度も頭を下げた。
その後、美容師を諦め別の職種に働きに出たときも、保育園激戦区で幼稚園しか選択肢がなかった時も、相談に乗り助けてくれたのは夫ではなく、同じ町に住む姑たち。離れて暮らす実両親にかわり、幼稚園のお迎えも、忍が迎えに来るまで娘の面倒も見てくれた。
いい人たちだった。
たくさん助けてもらった。
いぶきもおじいちゃんおばあちゃんが大好きだった。
だからこそ、彼らから孫を引き離すことをためらった。
いぶきは大きくなるにつれ、夫……というより、老いても華やかな美人である姑に似てきた。夫は母親似だ。
「パパとママのいいとこどりって感じの美人さんだね。将来はモデルさんかな?」
周りがそう褒めてくれるせいか、夫は自分の「血」を感じはじめたいぶきに、少しずつ関心が出てきたようだった。
誰が見ても二人の子にしか見えない。それでも忍の理性はかたくなに、「この子は預かった大切な子」という意識を捨てないよう気を付けた。私を信じてもらって預かった大切な子どもなのだと。
「目元、俺に似てるよね」
「そうね」
本当によく似てる……。
このまま、本当の親子として幸せに暮らせるのではないかと、夢見た瞬間がいくつもあった。夫は娘が可愛いことだけは自慢だったらしく、時々店に連れて行っては、子どもを可愛がっているアピールをしていたものだ。
でも夫にとって一番大切なのは夫自身であることは変わらなかった。



