裁判の2週間前、凛は川島法律事務所にいた。
今日は、証言のリハーサルだ。
応接室には、凛と川島、そして悠真が座っていた。
「それでは、始めましょう」
川島は、手元の資料を開いた。
「水瀬さん、法廷での証言は、この裁判の重要な鍵になります」
凛は、緊張で手が冷たくなるのを感じた。
「はい」
凛は、小さく答えた。
川島は、凛を見つめた。
「まず、大前提として、不正アクセスは認めます」
凛は、頷いた。
それは、避けられない事実だ。
「しかし、同時に、公益性を強く主張します」
川島の声は、力強かった。
「水瀬さんが行ったのは、患者の命を守るための、やむを得ない行為だったと」
凛は、唇を噛んだ。
本当に、それで通じるだろうか。
「では、実際に練習してみましょう」
川島は、立ち上がった。
凛も、立ち上がる。
川島は、応接室の一角を指差した。
「あそこが、証言台だと思ってください」
凛は、その場所に移動した。
川島は、反対側に立った。
「私が、相手方の弁護士だと思ってください」
凛は、深呼吸をした。
心臓が、激しく鳴っている。
「では、始めます」
川島の声が、急に厳しくなった。
まるで、別人のように。
「水瀬さん。あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、一瞬、言葉に詰まった。
「は、はい」
声が、震えている。
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、息を呑んだ。
「水瀬さん。声が震えています」
川島は、凛に近づいた。
「相手の弁護士は、あなたの動揺を見逃しません。少しでも弱みを見せれば、そこを突いてきます」
凛は、拳を握りしめた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「はい。アクセスしました」
今度は、少しマシだった。
でも、まだ声が小さい。
「もっと、はっきりと」
川島が、指摘した。
「裁判官に届くように。傍聴席の後ろまで届くように」
凛は、もう一度深呼吸をした。
「はい。アクセスしました」
今度は、声が大きくなった。
でも、まだ自信がない。
「いいですね。では、次の質問です」
川島は、資料を見た。
「それは、会社の就業規則に違反する行為ですね」
凛は、少し間を置いてから答えた。
「はい。違反します」
「不正アクセス禁止法にも、抵触する可能性がありますね」
「はい」
凛の声は、少しずつ安定してきた。
「では、なぜそのような違法行為をしたのですか」
川島の声が、さらに厳しくなった。
凛は、言葉を選んだ。
「患者さんたちを、救いたかったからです」
川島は、眉をひそめた。
「救いたかった? それで、違法行為が正当化されるとでも?」
凛は、息を呑んだ。
厳しい。
でも、これが本番なんだ。
もっと厳しい質問が来るかもしれない。
「正当化するつもりはありません」
凛は、震える声で答えた。
「でも、他に方法がなかったんです」
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、また止められた。
「水瀬さん。『他に方法がなかった』では、弱いです」
川島は、凛に近づいた。
「もっと具体的に。なぜ、他に方法がなかったのか。会社に正式に訴えることはできなかったのか。そこを明確に説明しなければいけません」
凛は、頷いた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「なぜ、不正アクセスという手段を取ったのですか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「会社は、副作用の報告を組織的に隠蔽していました。内部で訴えても、握りつぶされる可能性が高かった。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。だから、真実を外部に知らせる必要があったんです」
川島は、少し満足そうに頷いた。
「いいですね。その調子です」
凛は、ほっとした。
でも、まだ緊張は解けない。
「では、次です」
川島は、さらに厳しい表情になった。
「あなたの行為により、会社の株価は暴落しました。多くの社員が、職を失う可能性があります。その責任を、どう考えますか」
凛は、言葉に詰まった。
これは、難しい質問だ。
「私は……」
凛の声が、震えた。
「私は、それを望んでいたわけではありません。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
川島は、首を振った。
「弱いです。もっと強く」
凛は、唇を噛んだ。
もう一度、深呼吸をする。
「私は、患者さんたちの命を優先しました。会社の利益よりも、人の命の方が大切だと思ったからです」
川島は、頷いた。
「いいですね。その答えなら、裁判官の心にも届くでしょう」
凛は、少し自信がついてきた。
でも、まだ不安だ。
「もう一度、最初からやりましょう」
川島は、そう言った。
凛は、頷いた。
そして、再び証言台の位置に立った。
何度も、何度も、練習を繰り返した。
同じ質問に、何度も答えた。
最初は震えていた声も、だんだんと安定してきた。
言葉に詰まることも、少なくなってきた。
2時間ほど経った頃、川島は言った。
「いいですね。だいぶ良くなりました」
凛は、椅子に座り込んだ。
疲れた。
でも、充実感もあった。
「本番では、もっと厳しい質問が来るかもしれません」
川島は、凛に言った。
「でも、今日練習したことを思い出してください。深呼吸をして、落ち着いて答える。それができれば、大丈夫です」
凛は、頷いた。
「ありがとうございます」
悠真が、凛の肩に手を置いた。
「お疲れ様です」
凛は、悠真を見て微笑んだ。
「頑張りました」
「はい。とても良かったですよ」
悠真は、優しく言った。
川島は、資料を片付けながら言った。
「次は、明後日、同じ時間に来てください。また練習しましょう」
「はい。わかりました」
凛は、答えた。
その後も、凛は何度も川島の事務所に通った。
証言の練習を、繰り返した。
質問への答え方。
声の出し方。
立ち方。
視線の配り方。
全てを、何度も練習した。
最初は震えていた声も、だんだんと力強くなっていった。
言葉に詰まることも、ほとんどなくなった。
裁判の前日、最後のリハーサルが行われた。
凛は、証言台の位置に立った。
川島が、厳しい質問を次々と投げかけてくる。
凛は、一つ一つに、落ち着いて答えた。
声は、震えていない。
言葉は、明瞭だ。
リハーサルが終わると、川島は満足そうに頷いた。
「完璧です。明日も、この調子で」
凛は、深く息を吐いた。
「はい。頑張ります」
悠真が、凛の手を握った。
「大丈夫。君なら、できる」
凛は、悠真の手を握り返した。
「ありがとう」
その夜、凛は自宅で貝殻を手に取った。
悠真がくれた、貝殻。
光にかざすと、虹色に光る。
凛は、その貝殻を握りしめた。
明日が、本番だ。
法廷で、真実を語る。
凛は、深呼吸をした。
もう、迷わない。
準備は、できている。
凛は、貝殻を胸に当てた。
悠真。
約束、守るから。
明日、必ず。
凛は、ベッドに横になった。
でも、なかなか眠れなかった。
緊張で、心臓が高鳴っている。
明日のことを、何度もシミュレーションする。
証言台に立つ自分。
裁判官の顔。
質問に答える自分。
何度も、何度も、頭の中で繰り返した。
いつの間にか、凛は眠りに落ちていた。
翌朝、凛は早く目が覚めた。
時計を見ると、午前6時。
裁判は、午前10時から。
まだ、時間がある。
凛は、ベッドから起き上がった。
シャワーを浴びる。
冷たい水が、体に当たる。
目が、覚める。
鏡を見る。
緊張した顔。
でも、以前のような疲れた顔ではない。
目には、強い意志が宿っている。
凛は、スーツに着替えた。
黒のスーツ。
きちんとした服装。
法廷にふさわしい服装。
髪を整える。
化粧をする。
全て、丁寧に。
準備ができると、凛はカバンを手に取った。
その中に、貝殻を入れた。
いつも持っていたい。
お守りとして。
凛は、部屋を出た。
駅へ向かう。
電車に乗る。
車内は、通勤客で混んでいた。
凛は、吊り革に掴まりながら、窓の外を見た。
流れる景色。
いつもの景色。
でも、今日は違う。
今日が、戦いの日だ。
裁判所に着くと、すでに悠真が待っていた。
「おはようございます」
悠真は、凛に微笑みかけた。
「おはようございます」
凛も、笑顔で答えた。
でも、その笑顔は、少し硬かった。
「緊張してますか」
悠真が、尋ねた。
「はい。少し」
凛は、正直に答えた。
悠真は、凛の手を取った。
「大丈夫。僕が、ずっとそばにいます」
凛は、悠真の手を握り返した。
温かい手。
その温かさが、凛の緊張を少しだけ和らげてくれた。
「ありがとうございます」
二人は、裁判所の中に入った。
廊下には、すでに多くの人がいた。
報道陣。
カメラを持った記者たち。
マイクを持ったアナウンサー。
凛を見つけると、何人かが駆け寄ってきた。
「水瀬さん、今日の裁判についてコメントを」
「会社との和解の可能性は」
「不正アクセスについて、どうお考えですか」
質問が、次々と飛んでくる。
凛は、何も答えなかった。
ただ、前を向いて歩いた。
悠真が、凛を守るように並んで歩いた。
「すみません。今はコメントできません」
悠真が、記者たちに言った。
二人は、法廷の前に着いた。
大きな扉。
その向こうが、法廷だ。
凛は、深呼吸をした。
「行きましょう」
悠真が、凛に声をかけた。
凛は、頷いた。
扉を開ける。
法廷に入った。
広い部屋。
高い天井。
前方には、裁判官の席。
その下には、原告席と被告席。
そして、傍聴席。
傍聴席は、すでに満席だった。
報道陣。
患者支援団体の人たち。
一般の傍聴人。
みんなが、こちらを見ている。
凛は、少し怯んだ。
でも、すぐに前を向いた。
被告席に座る。
悠真も、凛の隣に座った。
川島弁護士も、すでに席に着いていた。
「おはようございます」
川島が、凛に声をかけた。
「おはようございます」
凛は、答えた。
「準備は、できていますね」
川島が、確認した。
「はい」
凛は、力強く頷いた。
しばらくすると、原告席にエクセリア製薬の弁護士団が入ってきた。
5人ほどの男性。
全員、黒いスーツ。
厳しい表情。
凛は、その中に見知った顔を見つけた。
田中部長だ。
会社側の証人として、出廷しているのだろう。
田中部長は、凛に気づいた。
視線が、一瞬交わる。
でも、すぐに目を逸らした。
凛は、胸が痛んだ。
でも、今は感傷に浸っている場合ではない。
午前10時になった。
裁判長が、入廷した。
「全員、起立」
書記官の声が、法廷に響いた。
全員が、立ち上がった。
裁判長は、中央の席に座った。
60代くらいの男性。
厳格そうな顔。
「着席」
書記官の声。
全員が、座った。
裁判長は、資料を開いた。
「これより、原告・エクセリア製薬株式会社対被告・水瀬凛の口頭弁論を開廷します」
裁判長の声が、法廷に響いた。
凛の心臓が、激しく鳴り始めた。
始まった。
ついに、始まった。
裁判長は、両方の弁護士に確認した。
「原告側、準備はよろしいですか」
相手方の主任弁護士が、立ち上がった。
「はい。準備できております」
「被告側は」
川島が、立ち上がった。
「準備できております」
裁判長は、頷いた。
「それでは、まず原告側の陳述から始めます」
相手方の弁護士が、立ち上がり、陳述を始めた。
「被告・水瀬凛は、不正アクセスにより当社の機密情報を盗み出し、それを外部に漏洩しました。これは、明らかな犯罪行為です」
その声は、冷たかった。
凛は、唇を噛んだ。
犯罪行為。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「さらに、被告が漏洩したデータについても、信憑性に疑問があります。不正に入手されたデータは、改ざんされている可能性があります」
凛は、拳を握りしめた。
改ざんなんて、していない。
でも、声を出すことはできない。
今は、ただ聞いているしかない。
「被告の行為により、当社の株価は暴落し、企業価値は大きく毀損されました。その損害は、計り知れません。当社は、被告に対し、3億円の損害賠償を請求いたします」
3億円。
凛は、息を呑んだ。
そんな金額、払えるはずがない。
原告側の陳述が終わった。
今度は、川島の番だった。
川島が、立ち上がった。
「被告の行為は、確かに不正アクセスに該当します。しかし、それは公益のためのやむを得ない行為でした」
川島の声は、力強かった。
「原告・エクセリア製薬は、新薬メディアジールの重篤な副作用を隠蔽していました。被告は、患者の命を守るために、真実を明らかにしたのです」
凛は、川島の言葉を聞きながら、手を握りしめていた。
「公益通報者保護法の精神に照らせば、被告の行為は保護されるべきものです。原告の請求は、棄却されるべきであると考えます」
川島の陳述が終わった。
裁判長は、資料をめくった。
「それでは、証人尋問に移ります」
凛の心臓が、さらに激しく鳴った。
証人尋問。
凛が、証言台に立つ番だ。
「被告側、証人を」
裁判長が、川島に促した。
川島は、立ち上がった。
「証人、水瀬凛を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
凛は、立ち上がった。
足が、震えている。
でも、前に進んだ。
傍聴席を通り過ぎる。
みんなの視線が、凛に集中している。
凛は、証言台に着いた。
裁判長の前。
一段高いところ。
凛は、そこに立った。
深呼吸をする。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、声は震えさせない。
練習した通りに。
落ち着いて。
裁判長が、凛を見た。
「証人、氏名を述べてください」
凛は、裁判長を見つめた。
そして、はっきりと答えた。
「水瀬凛です」
声は、明瞭だった。
震えていない。
法廷に、しっかりと響いた。
裁判長は、頷いた。
「生年月日は」
「1993年4月15日です」
凛は、一つ一つの質問に、落ち着いて答えた。
「住所は」
「東京都渋谷区神山町〇丁目〇番〇号です」
凛の声は、安定していた。
練習の成果が、出ている。
「宣誓をしてください」
書記官が、凛に宣誓書を渡した。
凛は、それを受け取った。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
凛は、はっきりと読み上げた。
宣誓書にサインをする。
書記官に返す。
裁判長は、川島に促した。
「被告側、尋問を始めてください」
川島が、立ち上がった。
凛を見る。
その目には、励ましの色があった。
「水瀬さん」
川島が、穏やかに尋ねた。
「あなたは、エクセリア製薬で何をしていましたか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「広報部で、企業広報を担当していました」
声は、落ち着いている。
「そこで、どのような仕事を」
「新薬のプロモーション、記者会見の準備、SNSの管理などです」
凛は、一つ一つ答えていった。
川島は、頷きながら次の質問をした。
「あなたは、メディアジールという新薬について、副作用の報告があることを知りましたか」
凛は、頷いた。
「はい。知りました」
「どのようにして」
「偶然、コピー機の上に置かれていた報告書を見つけました」
凛は、あの日のことを思い出しながら答えた。
「その報告書には、何が書かれていましたか」
「メディアジールの副作用症例が、89件報告されていました。重篤なケースも含まれていました」
傍聴席が、ざわついた。
裁判長が、静粛を求めた。
川島は、続けた。
「しかし、会社の公式発表では」
「軽微なもの数件のみ、と発表していました」
凛は、はっきりと答えた。
「つまり、会社は事実を隠蔽していたと」
「はい。そう認識しました」
凛の声には、力があった。
もう、震えていない。
真実を、語っている。
それが、凛に力を与えていた。

川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の主任弁護士が、立ち上がった。
50代くらいの男性。
鋭い目。
厳格な表情。
凛は、その弁護士を見つめた。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、表情は崩さない。
「水瀬さん」
弁護士の声は、冷たかった。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
練習した通りに。
「はい」
凛は、はっきりと答えた。
声は、震えていない。
「それは、会社の許可を得ていない行為ですね」
「はい」
凛は、認めた。
事実だから。
「つまり、違法行為です」
弁護士は、凛を見据えた。
凛は、その視線を受け止めた。
「不正アクセス禁止法に違反する、犯罪行為です」
凛は、少し間を置いた。
そして、答えた。
「違法行為であることは、認識していました。でも、伝えるべき真実がありました」
傍聴席が、ざわめいた。
弁護士は、眉をひそめた。
「伝えるべき真実? それで、犯罪が正当化されるとでも?」
凛は、首を振った。
「正当化するつもりはありません。でも、会社は重大な副作用を隠蔽していました。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。それを放置することはできませんでした」
凛の声は、力強かった。
もう、震えていない。
練習の成果が、出ている。
弁護士は、資料をめくった。
「あなたが提出したデータですが、これは不正に入手されたものです。信憑性に疑問があります」
凛は、唇を噛んだ。
「改ざんされている可能性も、ありますね」
弁護士の声が、さらに厳しくなった。
凛は、真っ直ぐに弁護士を見つめた。
「改ざんは、していません。あのデータは、会社のデータベースからそのまま取得したものです」
「それを、どう証明できますか」
弁護士は、凛に詰め寄った。
凛は、少し迷った。
でも、すぐに答えた。
「専門家による鑑定で、証明できます」
弁護士は、鼻で笑った。
「鑑定? 不正に入手されたデータを、どう鑑定するというのですか」
凛は、何も答えられなかった。
弁護士は、続けた。
「あなたの行為により、当社の株価は暴落しました。多くの社員が、不安に陥っています。その責任を、どう考えますか」
凛は、深呼吸をした。
この質問も、練習した。
「申し訳なく思っています。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
凛の声は、落ち着いていた。
「患者さんたちの命と、会社の利益。私は、命の方を優先しました」
傍聴席が、また ざわめいた。
裁判長が、静粛を求めた。
弁護士は、不満そうな顔をした。
でも、それ以上は追及しなかった。
「以上です」
弁護士は、席に戻った。
凛は、ほっとした。
でも、まだ気を抜けない。
裁判長が、凛に言った。
「証人、席に戻ってください」
凛は、証言台を降りた。
自分の席に戻る。
足が、少し震えていた。
緊張が、やっと解けてきた。
悠真が、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
川島が、凛に小声で言った。
「よくやりました」
凛は、少し微笑んだ。
裁判長は、資料を確認した。
「次の証人を」
川島が、立ち上がった。
「証人、宮下悠真を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
悠真が、立ち上がった。
凛の横を通り過ぎる時、悠真は凛を見た。
その目には、励ましの色があった。
悠真は、証言台に立った。
白衣ではなく、スーツを着ている。
でも、その姿は、やはり医師だった。
落ち着いた雰囲気。
信頼できる雰囲気。
裁判長が、悠真に尋ねた。
「証人、氏名を述べてください」
「宮下悠真です」
悠真の声は、穏やかだった。
でも、しっかりと響いた。
「職業は」
「医師です」
「専門分野は」
「内科です。特に、薬害患者の治療を専門としています」
裁判長は、頷いた。
悠真も、宣誓をした。
川島が、尋問を始めた。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どの程度把握していますか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「私の患者の中に、メディアジールを服用後、副作用を訴える方が複数います」
「具体的に、どのような症状ですか」
「めまい、頭痛、倦怠感。重篤なケースでは、呼吸困難、全身発疹、肝機能障害も見られます」
悠真の説明は、明瞭だった。
医学的な専門用語も、わかりやすく説明している。
「これらの症状は、メディアジールの副作用だと言えますか」
川島が、尋ねた。
「医学的見地から見て、メディアジールとの因果関係が強く疑われます」
悠真は、はっきりと答えた。
「服用開始後、数日から数週間で症状が現れ、服用中止後に症状が軽減するケースが多い。これは、薬剤性の副作用の典型的なパターンです」
傍聴席から、メモを取る音が聞こえた。
記者たちが、熱心に記録している。
川島は、続けた。
「水瀬さんが提出したデータについて、医学的観点から見て、信憑性はあると思いますか」
悠真は、頷いた。
「はい。データに記載されている症例は、私が臨床で見ている症状と一致します。医学的に見て、矛盾はありません」
凛は、悠真の証言を聞きながら、胸が熱くなった。
悠真が、自分のために証言してくれている。
真実を、明らかにしてくれている。
川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の弁護士が、立ち上がった。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どのように確認されましたか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「患者さんの症状、服用歴、検査結果を総合的に判断しました」
「しかし、他の要因による症状の可能性も、ありますね」
弁護士は、詰め寄った。
悠真は、頷いた。
「可能性としては、あります。しかし、複数の患者さんに共通して見られる症状であること、服用時期と発症時期が一致すること、これらを考慮すると、メディアジールが原因である可能性が高いと判断しました」
弁護士は、資料をめくった。
「先生の判断は、あくまで推測に過ぎないのでは」
悠真は、首を振った。
「医学的判断は、常に複数の情報を総合して行います。100パーセントの確証はありませんが、因果関係を強く示唆する証拠があります」
弁護士は、それ以上追及できなかった。
悠真の説明は、論理的で、隙がなかった。
「以上です」
弁護士は、不満そうに席に戻った。
悠真も、証言台を降りた。
凛の隣に戻ってくる。
凛は、小声で言った。
「ありがとうございます」
悠真は、微笑んだ。
「当然のことをしただけです」
裁判長は、資料を確認した。
「他に、証人は」
川島が、立ち上がった。
「はい。これより、被告側の追加証拠を提出いたします」
傍聴席が、ざわついた。
追加証拠?
川島は、手元から小さなUSBメモリを取り出した。
「こちらが、被告が入手した社内データの原本です」
裁判長は、興味を示した。
「内容を確認します。書記官、データを表示してください」
書記官が、USBメモリを受け取った。
法廷のスクリーンに、データが表示される準備が始まった。
凛は、悠真と目を合わせた。
悠真は、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
これから、反撃が始まる。
真実が、明らかになる。
凛は、拳を握りしめた。
もう、後には引けない。
前に進むだけだ。