時代くん‼︎①



乳母には、気になる女性には和歌を送るものだと教わった。
子どもの頃の記憶を辿る。

『なぜ、和歌など覚えなければならぬのですか。最近は弓矢の稽古の方がおもしろいのです』

『若君、弓は何を射るために習っているのですか』

『敵に決まっている』

『そうですね、では和歌は何を射るたまに習うのでしょう』

『和歌は何かを射るものではなかろう、何を言ってるのだ』

『ふふふ、和歌は恋い慕う女性の心を射ることができるのです』

こんなときに、あのやりとりを思い出すなんて。
平安時代の男たちは、噂話で女性の美しさや教養について知り、気になる女性にアプローチするのだ。
御簾の向こうの顔を見たことのない相手でも、和歌のやりとりをすることで関係が深まっていくと聴いていたし、自分の未来もそうなるのだと信じて疑わなかった。

席を一生懸命に動かして、席をくっつけてくれる美琴さん。
きょ、距離が近い…!
肩と肩がもう少しで触れる距離。
同じ年頃の女性とこんなに近づくのは初めてで…どうしたらいいかわからない。

教科書を見せてくれる美琴さん。
ぼくが席を近づけてあげたらよかった…と後悔の念が募った。

「美琴さん、ありがとう」

「ふふ、大丈夫だよ。これくらいお安い御用」

ニカっと口を開いて笑う美琴さん。
動いた長い前髪からそっと覗く大きな目を見える。
美しいーーと思った。

向日葵(ひまわり)のように笑う女性には出会ったことがない。
不意をつかれたようで、どうしていいかわからなくなる。
なんだこの初めてばかり…感情が追いつかない…。
も、もう一度お礼を…。

「あ、ありがとうございます。本当に…」

「っていうか、教科書の書き込みすごかったね。見せてよどんなこと書いてるの?」

ぼくの教科書に興味津々の美琴さん。
こんなに自分に興味を持ってくれるなんて…。

「え、それは…この俳句ならぼくはこの季語の選び方はしないな、とか、漢文ならぼくならこの漢字ではなく、こっちを使っていて、それでは深みがなかったな、とかでしょうか」

「へえ、平安くんの考え方っておもしろい。てかさ、平安貴族の文通ってほんとの話?」

「和歌のやりとりのことでしょうか」

「イエス。恋の仕方、ロマンチックだよね。和歌を送るじゃん。しかも五・七・五・七・七なわけでしょ。伝えたいこと伝わるように…って、その定められた字数に全てをかけるわけじゃん。家に通うのも夜だけで…、昼間だと身分がわかっちゃうし。心が通じないと会えないって言うのも…」

と言いながら、見せてくれている教科書を通り越して、机の左隅に置いていたぼくの教科書を体を乗り出して覗き込む。

綺麗な黒髪がぼくの鼻にかすれて、せっけんのにおいがする。
ぼくは何かに集中することが多いタイプで、熱中するとそのことにまっしぐら。
そんな理由もあって、周りからは変わったやつ呼ばわりをされていた。

家族以外に褒めてもらえたのは初めてでカアっと顔が熱くなる。
藤原道長(ふじわらのみちなが)ならなんと詠むだろう、この気持ちをーー。

「平安と暁月〜授業に集中しろ〜」

先生の声で授業に身を入れ直す。

授業は進むのに、ぼくの気持ちはあのせっけんのにおいを感じたときから動かない。
なんだろう、この気持ち…。

乳母は言っていた。

『花の色は うつりにけりな いたづらに』

『誰の歌だ?』

『小野小町さまの歌にございます』

『恋をすると時間の流れさえも恨めしく思うということか…?』

『和歌は胸の内を三十一字にこめるのでございます』

『三十一字か。足りるのだろうか』

『三十一字だからこそ、足りない想いがにじみ出るのです』

顔を隠してほほほと笑わない女性なんて今まで見たことない。
こんなドキドキしたのは初めてだった。
三十一字では到底表せなそうな感情だった。

❤︎❤︎❤︎<平安>のひそひそ話❤︎❤︎❤︎
藤原道長は摂関政治を確立した人です!
摂関政治とは天皇が幼少期に摂政、成人したら関白となって、天皇の代理で実権を握る体制です。
そうそう、道長は「この世をば我が世とぞ思ふ」の歌が有名ですよ。
どんな意味か、調べてみてください!