月明かりの下、私たちの間には、しばらく沈黙が続いていた。
「……あのね」
小さく声を出すと、わずかにこちらを向く音がする。
「なにもできないみたい、って言ったけど……そのとおりなの」
空を見上げても、ぼんやりとした光しか分からない視界に、胸が少し痛んだ。
「もう暗いところは全然見えないし、明るいときの視界もだんだん狭くなってる」
言葉にすると、現実がはっきりして、声が震えそうになる。
泰史くんは、何も言わなかったけど、空気がピンと張り詰めたのが分かった。
「だから……あんなこと言って、ごめん」
私は、途中で止まってしまわないように、ゆっくりと続けた。
「私の強がりで、泰ちゃんの優しさを蔑ろにして……ずっと後悔してた」
唇をぎゅっと噛んで、なんとか溢れ出しそうな感情を押し込める。
「それでも、いまも見ていてくれて、優しくしてくれる泰ちゃんに……申し訳なかった」
言い終えた後、またしばらく沈黙が落ち、泰史くんは小さく息を吐き出した。
「……俺はなにも」
ぽつりと返ってくる声。
彼がそう言うことも、なんとなく想像できていて、私は小さく笑う。
「気付いてるよ。どれだけの付き合いだと思ってるの」
その言葉に、泰史くんは諦めたように自分の髪に触れた。
「……俺も悪かった」
低く落ちてきた言葉に驚いて、私は顔を上げる。
「今思えば、突然病気だって言われて戸惑ってる時に、あんなふうに接したら嫌だよな」
思ってもいなかった彼の思いに、私は慌てて首を横に振った。
「なんで。泰史くんは悪くないよ。私が、勝手に普通でいたかっただけで……」
言いながら、夜風が頬を撫でて、私はまた空を見上げる。
「普通のこともできないんだから、仕方ないのにね」
自虐するように、柔らかくそう呟くと、今度の返事はすぐに返ってきた。
「そんなことねーだろ」
少し強い声に驚いて、視線を落とす。
「菜由は普通だよ」
随分久しぶりに呼ばれた名前に驚いた。
泰史くんの表情は、月明かりに照らされて、今は不思議とよく見える。
「誰にだって、苦手なことはあるじゃん。俺だって、勉強はいつも直哉に教えてもらってるし」
そのまっすぐな瞳から、目が離せなくなった。
「それとこれとは……」
「一緒だよ」
かぶせるように言い、泰史くんはさらに続けた。
「だから、できないことは頼ればいいって思うし。せっかく事情知ってんだから……本当は、もっと俺に頼れって思うよ」
やっぱり変わってなくて、優しすぎる彼の言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
「でも、そんなの迷惑……」
「迷惑じゃないから」
すぐに帰ってきたその言葉は、少しだけ語気が強かった。
「その辺で怪我された方がよっぽど迷惑だわ」
付け加えられた優しくないようで優しい言葉に、思わず笑ってしまう。
「ほんと優しいね、泰史くんは」
「お前の方が、迷惑迷惑って人のことばっか言ってんだろ」
ぶっきらぼうな言い方なのに、その奥の気持ちが、まっすぐ伝わってきて、泣きそうになってしまった。
ずっと引っかかっていた申し訳なさが、少しだけほどけていく。
私は小さく息を吐いて、俯いた。
「……今日ね、本当に楽しかった。連れてきてくれて、ありがとう」
さっきまでの賑やかな空間を思い出して、そう呟く。
「偶然見つけただけだよ」
「それでも、すごく安心した」
聞こえてきたぶっきらぼうな返事に、少しだけ笑って空を見上げる。
「私の月はね、もやもやってしてて。黄色のわたがしみたいなのが、ぽつんって浮かんでるの」
月がちょうど収まるように親指と人差し指で輪を作ってぼんやりとした光を囲った。
「星は、何も見えないけど……それでも、すごく楽しい時間だった」
正直、星なんて、きっかけのひとつで。
みんなと話して、笑って、同じ場所にいる。
それだけで、私は十分だった。
口にした言葉に嘘はない。
だけど、本当なら、みんなが綺麗と言った同じものを、私も見たかったな。
って、そんなふうに思う気持ちも、やっぱりあって。
——そんな贅沢な思いは決して口には出せないけれど。
言えない思いに、寂しさを誤魔化すような笑みが落ちる。
そのとき、カシャっと小さな音がした。
視線を向けると、泰ちゃんがスマホを空に向けている。
「泰史くん、スマホ……」
「あんな規則、ちゃんと守ってるやついねーよ」
軽く笑いながら何枚か撮った彼は、少し悔しそうに眉を寄せて、もう一度空にレンズを向けた。
しばらくして、何度か画面に触れた後、スマホの明るい光を私に向けた。
「月、カメラだと小さいけど……今日はこのくらい丸い」
画面に映っていたのは、確かに小さいけど、黄色い輪郭と周りの雲がはっきりと見えた綺麗な月。
私は目を丸くしてからスマホを受け取り、自分のわたがしとスマホに映る月を見比べた。
「すごい!まんまるだ!満月だったんだね」
無邪気な明るい声が出て、少しだけ恥ずかしくなりながらスマホを返す。
その様子に泰史くんはまた、スマホをスクロールし始めた。
「星は……ぼやけたのしか映らねーな」
何枚か写真を見比べて、いちばん写っている写真を探して、差し出してくれる。
私は、泰史くんの手にあるスマホを覗き込んだ。
「……こんなにたくさんあるんだ」
小さな光が、画面いっぱいに散らばっている。
ぼやけているけれど、確かに光がたくさんあって、このひとつひとつが光っていると思うと不思議だった。
「これが、あのへん」
泰史くんは空を見上げながら、大きく指を差して教えてくれる。
「この星が一番光ってる」
私はスマホと空を何度も見比べて、世界が少しずつ繋がっていった。
「あ……それはちょっと分かるかも!」
思わず、私は泰史くんの肩に触れて、声を弾ませる。
その瞬間、隣の気配がやわらいで、泰史くんも嬉しそうに笑っているのが分かった。
こんなふうに笑うの、久しぶりに見たかもしれない。
同じものを見ようとしてくれたこと。
共有しようとしてくれたこと。
それが、本当に本当に、嬉しくて。
笑顔も見られたのが、本当に嬉しかったのに、どうしてか泣きそうになってしまった。
「ありがとね、泰史くん」
「……その呼び方、もうやめろよ」
一瞬、言っている意味がわからなくて、目を丸くした。
だけど、どこか恥ずかしそうに視線を背けた彼の姿に、私は恐る恐る、その名前を口にする。
「泰……ちゃん?」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうな返事に、笑顔が溢れた。
「泰ちゃん……ふふ」
なんだか昔に戻ったみたいで、少し照れ臭くて頬を手のひらで包み込んで笑う。
目を細めながら泰ちゃんを見ると、彼の大きな手のひらが頭に向かって伸びてきた。
「見んなよ、ばか菜由」
トンっとおでこを軽く押される感覚は懐かしかった。
昔は、もっと容赦なくて、その勢いにすぐに喧嘩を始めていたけれど。
その、優しい手の感触に。
そして、呼んでくれた名前の温かさに。
胸がじんわりとあたたかくなる。
「……ふふ、ありがとう。泰ちゃん」
泰ちゃんの優しさに対する、申し訳ないという思いは、まだ消えてくれないけれど。
それでも、今は、ありがとう、って気持ちのほうが大きい。
泰ちゃんといる時間が、私の暗闇を明るくしてくれているのは、間違いなかった。
「……あのね」
小さく声を出すと、わずかにこちらを向く音がする。
「なにもできないみたい、って言ったけど……そのとおりなの」
空を見上げても、ぼんやりとした光しか分からない視界に、胸が少し痛んだ。
「もう暗いところは全然見えないし、明るいときの視界もだんだん狭くなってる」
言葉にすると、現実がはっきりして、声が震えそうになる。
泰史くんは、何も言わなかったけど、空気がピンと張り詰めたのが分かった。
「だから……あんなこと言って、ごめん」
私は、途中で止まってしまわないように、ゆっくりと続けた。
「私の強がりで、泰ちゃんの優しさを蔑ろにして……ずっと後悔してた」
唇をぎゅっと噛んで、なんとか溢れ出しそうな感情を押し込める。
「それでも、いまも見ていてくれて、優しくしてくれる泰ちゃんに……申し訳なかった」
言い終えた後、またしばらく沈黙が落ち、泰史くんは小さく息を吐き出した。
「……俺はなにも」
ぽつりと返ってくる声。
彼がそう言うことも、なんとなく想像できていて、私は小さく笑う。
「気付いてるよ。どれだけの付き合いだと思ってるの」
その言葉に、泰史くんは諦めたように自分の髪に触れた。
「……俺も悪かった」
低く落ちてきた言葉に驚いて、私は顔を上げる。
「今思えば、突然病気だって言われて戸惑ってる時に、あんなふうに接したら嫌だよな」
思ってもいなかった彼の思いに、私は慌てて首を横に振った。
「なんで。泰史くんは悪くないよ。私が、勝手に普通でいたかっただけで……」
言いながら、夜風が頬を撫でて、私はまた空を見上げる。
「普通のこともできないんだから、仕方ないのにね」
自虐するように、柔らかくそう呟くと、今度の返事はすぐに返ってきた。
「そんなことねーだろ」
少し強い声に驚いて、視線を落とす。
「菜由は普通だよ」
随分久しぶりに呼ばれた名前に驚いた。
泰史くんの表情は、月明かりに照らされて、今は不思議とよく見える。
「誰にだって、苦手なことはあるじゃん。俺だって、勉強はいつも直哉に教えてもらってるし」
そのまっすぐな瞳から、目が離せなくなった。
「それとこれとは……」
「一緒だよ」
かぶせるように言い、泰史くんはさらに続けた。
「だから、できないことは頼ればいいって思うし。せっかく事情知ってんだから……本当は、もっと俺に頼れって思うよ」
やっぱり変わってなくて、優しすぎる彼の言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
「でも、そんなの迷惑……」
「迷惑じゃないから」
すぐに帰ってきたその言葉は、少しだけ語気が強かった。
「その辺で怪我された方がよっぽど迷惑だわ」
付け加えられた優しくないようで優しい言葉に、思わず笑ってしまう。
「ほんと優しいね、泰史くんは」
「お前の方が、迷惑迷惑って人のことばっか言ってんだろ」
ぶっきらぼうな言い方なのに、その奥の気持ちが、まっすぐ伝わってきて、泣きそうになってしまった。
ずっと引っかかっていた申し訳なさが、少しだけほどけていく。
私は小さく息を吐いて、俯いた。
「……今日ね、本当に楽しかった。連れてきてくれて、ありがとう」
さっきまでの賑やかな空間を思い出して、そう呟く。
「偶然見つけただけだよ」
「それでも、すごく安心した」
聞こえてきたぶっきらぼうな返事に、少しだけ笑って空を見上げる。
「私の月はね、もやもやってしてて。黄色のわたがしみたいなのが、ぽつんって浮かんでるの」
月がちょうど収まるように親指と人差し指で輪を作ってぼんやりとした光を囲った。
「星は、何も見えないけど……それでも、すごく楽しい時間だった」
正直、星なんて、きっかけのひとつで。
みんなと話して、笑って、同じ場所にいる。
それだけで、私は十分だった。
口にした言葉に嘘はない。
だけど、本当なら、みんなが綺麗と言った同じものを、私も見たかったな。
って、そんなふうに思う気持ちも、やっぱりあって。
——そんな贅沢な思いは決して口には出せないけれど。
言えない思いに、寂しさを誤魔化すような笑みが落ちる。
そのとき、カシャっと小さな音がした。
視線を向けると、泰ちゃんがスマホを空に向けている。
「泰史くん、スマホ……」
「あんな規則、ちゃんと守ってるやついねーよ」
軽く笑いながら何枚か撮った彼は、少し悔しそうに眉を寄せて、もう一度空にレンズを向けた。
しばらくして、何度か画面に触れた後、スマホの明るい光を私に向けた。
「月、カメラだと小さいけど……今日はこのくらい丸い」
画面に映っていたのは、確かに小さいけど、黄色い輪郭と周りの雲がはっきりと見えた綺麗な月。
私は目を丸くしてからスマホを受け取り、自分のわたがしとスマホに映る月を見比べた。
「すごい!まんまるだ!満月だったんだね」
無邪気な明るい声が出て、少しだけ恥ずかしくなりながらスマホを返す。
その様子に泰史くんはまた、スマホをスクロールし始めた。
「星は……ぼやけたのしか映らねーな」
何枚か写真を見比べて、いちばん写っている写真を探して、差し出してくれる。
私は、泰史くんの手にあるスマホを覗き込んだ。
「……こんなにたくさんあるんだ」
小さな光が、画面いっぱいに散らばっている。
ぼやけているけれど、確かに光がたくさんあって、このひとつひとつが光っていると思うと不思議だった。
「これが、あのへん」
泰史くんは空を見上げながら、大きく指を差して教えてくれる。
「この星が一番光ってる」
私はスマホと空を何度も見比べて、世界が少しずつ繋がっていった。
「あ……それはちょっと分かるかも!」
思わず、私は泰史くんの肩に触れて、声を弾ませる。
その瞬間、隣の気配がやわらいで、泰史くんも嬉しそうに笑っているのが分かった。
こんなふうに笑うの、久しぶりに見たかもしれない。
同じものを見ようとしてくれたこと。
共有しようとしてくれたこと。
それが、本当に本当に、嬉しくて。
笑顔も見られたのが、本当に嬉しかったのに、どうしてか泣きそうになってしまった。
「ありがとね、泰史くん」
「……その呼び方、もうやめろよ」
一瞬、言っている意味がわからなくて、目を丸くした。
だけど、どこか恥ずかしそうに視線を背けた彼の姿に、私は恐る恐る、その名前を口にする。
「泰……ちゃん?」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうな返事に、笑顔が溢れた。
「泰ちゃん……ふふ」
なんだか昔に戻ったみたいで、少し照れ臭くて頬を手のひらで包み込んで笑う。
目を細めながら泰ちゃんを見ると、彼の大きな手のひらが頭に向かって伸びてきた。
「見んなよ、ばか菜由」
トンっとおでこを軽く押される感覚は懐かしかった。
昔は、もっと容赦なくて、その勢いにすぐに喧嘩を始めていたけれど。
その、優しい手の感触に。
そして、呼んでくれた名前の温かさに。
胸がじんわりとあたたかくなる。
「……ふふ、ありがとう。泰ちゃん」
泰ちゃんの優しさに対する、申し訳ないという思いは、まだ消えてくれないけれど。
それでも、今は、ありがとう、って気持ちのほうが大きい。
泰ちゃんといる時間が、私の暗闇を明るくしてくれているのは、間違いなかった。



