風呂上がりの男子部屋には、消灯後とは思えない、にぎやかな声が飛び交っていた。
十人の大部屋には運良くサッカー部ばかりが集められ、気を遣わず過ごせるのがありがたい。
「なあ、今日星めっちゃ綺麗らしいぞ!しかも満月!」
同室になった晴斗が、布団の上に寝転がりながら騒いでいる。
日に焼けた肌に明るい茶髪。
黙っていればそこそこなのに、口を開けばずっとうるさい。
そんな晴斗は、小学校は違ったけれど同じサッカー部になってあっという間に親しくなった友達だった。
「見に行こうぜ!ひまりと話したんだよ、外集合で!」
「行こうぜって……もう約束してんのかよ」
「当たり前だろ!あいつら良い子ちゃんだから、スマホ持ってなくて連絡取れねーし。行くしかねーよな!」
騒ぐ晴斗をよそに、俺は勝ち取った角の壁に背を預けてスマホに視線を落としていた。
画面の中では、サッカーゲームの選手が走り回っている。
「泰史も行くだろ?」
「行かない」
指を止めることなくそっけなく返すと、ふたりの視線がこちらを向くのを感じた。
「はあ?ノリ悪っ!お前なんのために研修来たんだよ!」
——なんのためって。学校行事だからきただけだろ。
遠慮もせず俺の布団に乗っかり、真横に座る晴斗を無視して指を動かす。
ちょうどゴールを決めることができ、俺は小さく口角をあげた。
そのまま間髪入れずに、画面の中央からボールが動き出して、再び指を動かし始める。
「菜由ちゃんも来るのに?」
晴斗とは反対側から聞こえた声に、思わず顔を上げた。
視線の先では、いつの間にか同じ壁に寄りかかっていた直哉がこっちを見ている。
「……は?」
それまで動き続けていた指が、ふと止まった。
視線が合った直哉は、こちらを見て、わずかに目を細める。
「ひまりが言ってた。『菜由も連れていく』って」
その信じられない言葉に眉をひそめる。
自転車の光に驚く菜由を思い出して、俺は小さくため息をついた。
「あいつは来ねーだろ」
きっと、俺を連れていくための適当な嘘。
そう思って画面に視線を戻すと、ボールは相手コートに決められていた。
——さっき、せっかく決めたのに。
同点になってしまった点数に少しの苛立ちが浮かぶ。
悔しさに、もう一度進めようとした指先は「でもさ」と続けた晴斗に止められた。
「ひまり、けっこうノリノリだったぞ。あれは連れてくると思うけど」
小学校から同じで、サッカー部のマネージャーをしているひまり。
明るくて良いやつだけど、確かに押しの強いところはあった。
胸の奥に嫌な予感が残り、俺はゲームの手を止めた。
頭の中に浮かぶのは、あの日、家に送り届けたときの菜由の顔。
『ひまりたちにも言ってないんだろ』
俺の言葉に、菜由は何も言わず、ただ視線を逸らした。
ゲームの画面をスライドして、メッセージアプリを開く。
【家まで送ってくれてありがとう。迷惑かけてごめんね】
開いたトーク画面には、あの日の、ぎこちないやり取りが残っていた。
【星、行くの?】
片手で迷いなく文字を打ち込む。
学校行事中はスマホの持ち込みは禁止。
口酸っぱく言われれば言われるほど持っていきたくなるもので、男子は俺が見る限り、ほとんどの生徒がどうにかして持ち込んでいた。
サッカー部は、代々先輩から荷物検査の抜け方が受け継がれていて、今年も無事、全員突破している。
呆れた顔でその様子を眺めていたマネージャーたちを思い出して、苦笑いをこぼした。
若干引いていたひまりの表情を思い出せば、女子は基本的に決まりに従っていることは想像できる。
ルールを破るタイプではない菜由がスマホを持っていると知っているのは、家で母親同士が話していて、自然と耳に入ってきたからだった。
『何かあった時連絡が取れるように、スマホは持たせてもらえるんだけど、泊まりの行事はいくつになっても心配よね』
休日リビングで繰り広げられていたお茶会。
寝起きの俺が遠慮なくキッチンへ入り、水を手にしたところで母から飛んできた言葉が脳裏で響く。
『大丈夫よ。なにかあったら、泰史がいるし。ね、泰史』
……うるせえな。
言われなくても、分かってるよ。
思い出した言葉に、思わず頭の中で言い返して、小さく息を吐き出した。
もう一度スマホに視線を落とす。
入力欄に残るテキストをしばらく見つめて、俺は取消ボタンを長押しした。
——『もう、放っておいて』
消えていく文字を見守りながら、頭の中では、今にも泣き出しそうな、か細い菜由の声が繰り返されている。
中学生になってからの、視線が合うと気まずそうに俯く姿も。
怖がっているようなビクビクした態度も、もう見慣れた姿になっていた。
——きっと、俺を嫌ってる。
そう思うと、簡単なメッセージを送ることすらできない。
ゆっくりとスマホを閉じて、俺は何でもない声で聞いた。
「何時に行くの」
晴斗がぱっと表情を明るくする。
「お、行く気になった?」
「残ってても暇だし」
肩をすくめると、晴斗は嬉しそうに笑った。
「よっしゃそうと決まれば早速行こうぜ!」
その横で、直哉が小さく口元を緩めるのを、俺は小さく睨みつけた。
そして、その数分後。
薄暗い廊下でしゃがみ込む菜由を見つけたとき、来てよかったと、心の底から思ったのだ。
十人の大部屋には運良くサッカー部ばかりが集められ、気を遣わず過ごせるのがありがたい。
「なあ、今日星めっちゃ綺麗らしいぞ!しかも満月!」
同室になった晴斗が、布団の上に寝転がりながら騒いでいる。
日に焼けた肌に明るい茶髪。
黙っていればそこそこなのに、口を開けばずっとうるさい。
そんな晴斗は、小学校は違ったけれど同じサッカー部になってあっという間に親しくなった友達だった。
「見に行こうぜ!ひまりと話したんだよ、外集合で!」
「行こうぜって……もう約束してんのかよ」
「当たり前だろ!あいつら良い子ちゃんだから、スマホ持ってなくて連絡取れねーし。行くしかねーよな!」
騒ぐ晴斗をよそに、俺は勝ち取った角の壁に背を預けてスマホに視線を落としていた。
画面の中では、サッカーゲームの選手が走り回っている。
「泰史も行くだろ?」
「行かない」
指を止めることなくそっけなく返すと、ふたりの視線がこちらを向くのを感じた。
「はあ?ノリ悪っ!お前なんのために研修来たんだよ!」
——なんのためって。学校行事だからきただけだろ。
遠慮もせず俺の布団に乗っかり、真横に座る晴斗を無視して指を動かす。
ちょうどゴールを決めることができ、俺は小さく口角をあげた。
そのまま間髪入れずに、画面の中央からボールが動き出して、再び指を動かし始める。
「菜由ちゃんも来るのに?」
晴斗とは反対側から聞こえた声に、思わず顔を上げた。
視線の先では、いつの間にか同じ壁に寄りかかっていた直哉がこっちを見ている。
「……は?」
それまで動き続けていた指が、ふと止まった。
視線が合った直哉は、こちらを見て、わずかに目を細める。
「ひまりが言ってた。『菜由も連れていく』って」
その信じられない言葉に眉をひそめる。
自転車の光に驚く菜由を思い出して、俺は小さくため息をついた。
「あいつは来ねーだろ」
きっと、俺を連れていくための適当な嘘。
そう思って画面に視線を戻すと、ボールは相手コートに決められていた。
——さっき、せっかく決めたのに。
同点になってしまった点数に少しの苛立ちが浮かぶ。
悔しさに、もう一度進めようとした指先は「でもさ」と続けた晴斗に止められた。
「ひまり、けっこうノリノリだったぞ。あれは連れてくると思うけど」
小学校から同じで、サッカー部のマネージャーをしているひまり。
明るくて良いやつだけど、確かに押しの強いところはあった。
胸の奥に嫌な予感が残り、俺はゲームの手を止めた。
頭の中に浮かぶのは、あの日、家に送り届けたときの菜由の顔。
『ひまりたちにも言ってないんだろ』
俺の言葉に、菜由は何も言わず、ただ視線を逸らした。
ゲームの画面をスライドして、メッセージアプリを開く。
【家まで送ってくれてありがとう。迷惑かけてごめんね】
開いたトーク画面には、あの日の、ぎこちないやり取りが残っていた。
【星、行くの?】
片手で迷いなく文字を打ち込む。
学校行事中はスマホの持ち込みは禁止。
口酸っぱく言われれば言われるほど持っていきたくなるもので、男子は俺が見る限り、ほとんどの生徒がどうにかして持ち込んでいた。
サッカー部は、代々先輩から荷物検査の抜け方が受け継がれていて、今年も無事、全員突破している。
呆れた顔でその様子を眺めていたマネージャーたちを思い出して、苦笑いをこぼした。
若干引いていたひまりの表情を思い出せば、女子は基本的に決まりに従っていることは想像できる。
ルールを破るタイプではない菜由がスマホを持っていると知っているのは、家で母親同士が話していて、自然と耳に入ってきたからだった。
『何かあった時連絡が取れるように、スマホは持たせてもらえるんだけど、泊まりの行事はいくつになっても心配よね』
休日リビングで繰り広げられていたお茶会。
寝起きの俺が遠慮なくキッチンへ入り、水を手にしたところで母から飛んできた言葉が脳裏で響く。
『大丈夫よ。なにかあったら、泰史がいるし。ね、泰史』
……うるせえな。
言われなくても、分かってるよ。
思い出した言葉に、思わず頭の中で言い返して、小さく息を吐き出した。
もう一度スマホに視線を落とす。
入力欄に残るテキストをしばらく見つめて、俺は取消ボタンを長押しした。
——『もう、放っておいて』
消えていく文字を見守りながら、頭の中では、今にも泣き出しそうな、か細い菜由の声が繰り返されている。
中学生になってからの、視線が合うと気まずそうに俯く姿も。
怖がっているようなビクビクした態度も、もう見慣れた姿になっていた。
——きっと、俺を嫌ってる。
そう思うと、簡単なメッセージを送ることすらできない。
ゆっくりとスマホを閉じて、俺は何でもない声で聞いた。
「何時に行くの」
晴斗がぱっと表情を明るくする。
「お、行く気になった?」
「残ってても暇だし」
肩をすくめると、晴斗は嬉しそうに笑った。
「よっしゃそうと決まれば早速行こうぜ!」
その横で、直哉が小さく口元を緩めるのを、俺は小さく睨みつけた。
そして、その数分後。
薄暗い廊下でしゃがみ込む菜由を見つけたとき、来てよかったと、心の底から思ったのだ。



