不思議と、足が図書室に向かう。

普段から避けていたとは思えない変化だ。

普通に考えたら、変だけど……図書室に行きたい理由は、ちゃんと分かってる。


……西さんに、会いたいから……。


こんな浮ついた考えが、西さんにバレたら恥ずかしいな……っ。

でも、そのきらきらした思いは、すぐに打ち砕かれた。


「久里くーん♡この前オススメしてくれた本超面白くてさぁ!あたしめっちゃ読んじゃった〜」

「そう? 良かった……場之(ばの)さんに合う本だなって思って、つい勧めちゃったんだ」

「え、まじでっ?超嬉しい!! ってか、美里(みさと)でいいって言ってるじゃん♡」

「えー……でも、流石に名前呼びは躊躇われるんだよな……」

「遠慮しないでってば〜♡ あたしだって久里くんって呼んでる訳だしぃ」



仲良さげな二人の掛け合いに、扉の前で立ちすくんでしまう。


……え…………あ、あの子、誰なんだろう……。

見たことない……否、見たことある……? 名前を聞いたことがあるのかな……。


―――『マジ可愛いわ美里ちゃん』

―――『えーいいなぁ〜……場之さんって、いまや学校のヒロインだもんなー』


学校の、ヒロイン……。

まさにその名が恥ずかしくないくらい、場之さんは魅力的な人だった。

背は平均より少し低いくらい。 目はぱっちり大きくて、二重。

足も腕も細くて、スレンダーって感じだし……ほっぺも綺麗なピンクで、髪もサラサラだ。


西さんもとっても素敵な人だから、二人はとってもお似合いだ……。

……西さんは、あの子と付き合うのかな……っ。


―――嫌だな……付き合ってなんて、欲しくないよ……。


ジンジンとした胸の痛みに、私は眉をひそめた。

…………なんで、嫌なんだろ……関係ないはずだもん……ただの、友達なんだから……。



「あれ、蘭さん? なんで入ってこないの? おいでよ」

「っ……に、西さんっ……!!」

西さんから声をかけられたのに驚いて、図書室だというのに大声を出してしまった。

「わわ、ごめんなさい……」

「別に良いよ。 僕が場之さんと話してたから入りづらかったよね……僕の方こそ、ごめんね」

「謝らないでくださいっ……! 私こそ、ウジウジしててすみません」

「ウジウジ……?」

「こ、こっちの話ですっ、ごめんなさい……!!」

私は、 思わず頭を下げてしまう。


「今、ウジウジをどういう意味で使ってるのかは分からないけど。悩むのは、悪いことじゃないよ」


「あ、ありがとうございま」

「久里くぅん♡ またオススメの本貸してくれなーい? ほら、前もやったじゃ〜ん」


私達の会話に割り込みをしてきた場之さんに、寂しさを覚えた。


……でも……。


悩むのは、別に悪いことじゃないってことは……もっと、悩んでてもいいんだ……。

うつむきがちだった顔を上げた。

二人に対して、私が感じてる感情ってなんだろう……?


羨望より、もっと強いもの…………し、嫉妬……っ?

意外にしっくりくるその響きに、私は首を傾げる。



嫉妬って……私が、誰に嫉妬してるんだろう……。



西さんに対してこんなにモヤモヤした気持ちを持ったことはない……。


つまり、私は場之さんに、嫉妬してるってことなの……?

どうして……。


そもそも嫉妬って、何だっけ……。

図書室の本を使って、言葉の意味を調べてみる。


『自分より優れたものを持っていることに対する、複雑でネガティブな感情』

辞典に載っているその言葉に、うんうんと頷く。続きも読み進めた。

『恋愛などで好きな人の愛情が他者に向くのを嫌い恨めしく思う“ヤキモチ”も嫉妬の一種』


「ちがっ……!!」

違う……と言いたくなったけど、その言葉を飲み込んだ。


図書室で、大声を出せなかったからじゃない。



……その通りだって、思っちゃったからなんだ。


ボンヤリしていた考えだとか、目の前の霧みたいなのが、一瞬で晴れた気がした。



―――私、西さんのこと好きなんだ……私が西さんに向けてる気持ちは、恋だったんだ……。


たった一日で恋に落ちるなんて変なんだろうけど、“一目惚れ”に似た感覚なのかもしれない。


本を閉じて、棚に戻す。

それでも図書室を離れがたくて、もう一度椅子に腰を下ろした。



「ほら場之さん、チャイム鳴るよ。帰って帰ってー……」

西さんのその言葉に、思わず時計に視線を送った。

「えぇー、つまんな〜い。もうちょっと時間あるじゃ〜ん」

場之さんと話す西さんが、すっごく明るくて……勝ち目がないって、思ってしまう。


「そんなこと言わないでよー……って、蘭さんも戻らなきゃ遅れちゃうよ」

「わっ、ごめんなさい! すぐ戻ります……!!」

西さんの注意に、慌てて図書室の椅子を立つ。

二人の掛け合いに、気を取られちゃってた……。



「そういえば久里くん、放課後時間ある? ……話したいことがあって」

カウンターのそばで、西さんの袖を引っ張った場之さん。

普段から勝ち気な彼女が不安げに囁いた言葉に、思わず息を呑んだ。


「放課後? 時間ならあるけど……どうしたの?」

「い、言いたいことがあるの……! いいから、時間があるなら図書室まで来て!!」


……どうしたのって……天然すぎるよ、西さん……。

これ、絶対に告白だ……二人とも、いよいよ付き合っちゃうのかな……。


好きだって自覚した直後に失恋なんて、残酷すぎだよ…………っ!!



「分かった。……って、ほら戻らなきゃ……あああ、授業遅れちゃうよ……早く戻ろう?」

「しょうがないなぁもうっ!! 出てってあげるよ〜」

「あはは、そうしてもらうと助かるな……」

「最初っから出てけって言えばいいのに〜。そういうところお人好しだよねー久里くんって」


真っ暗な目の前。 胸の奥に何かがつっかえたような感覚。

失恋という言葉が、改めて重くのしかかってきた。


変だよ…………最近、色々頑張ってたし、悪いことなんて一つもしてないのに……。


なんでっ…………なんで、こうなっちゃうんだろ…………っ。




「っふ、うぅっ……ひくっ、ふぇ……っ」

声にならない嗚咽を混じらせながら、ポタポタと涙をこぼす。

落ちた涙を制服の袖で拭っては、新しく雫を作っていた。


「トイレ行ってから教室行こうっ……」

まだまだ目も赤いし、お腹痛くてって言えばなんとか誤魔化せるはず。

それよりも私は、抱えきれない大きな想いをどうすればいいかに、悩んでしまっていた。


いっそのこと、こんな気持ち捨てちゃいたいよ……っ。


それがムリなら、吐き出したい……。

でもこの場合吐き出すっていうのは、告白ってことだもん…………って、え……。


こく、はく……絶対にムリ、フラれちゃう。だけど、自分がこんな単語思い浮かべるなんて……。

きっとこれが最善策だろうなって、心のどこかで思ってるんだ。


どうせ捨てるなら最後まで頑張ってから、ちゃんと捨ててあげたい。 だって初恋だもん……。




涙が枯れるころ、私は溜め込んだ気持ちや考えを溜め息にして追い出した。

トイレの個室の扉をキィと押し、教室まで駆け足で急ぐ。


「遅れてすみません……!!」

「あらら、蘭さんが遅れるなんて珍しいわね。 何かあったんでしょう?」

いたずらっぽく笑った先生に、安堵の息をもらした。 さすが先生、分かってるんだな……。


……でも、私が『蘭さん』って呼んでほしいのは、先生じゃない。

私は何も考えず、ただ西さんにそう呼んでもらえるように、吹っ切るために、頑張るんだ。