Naked Love〜涙の跡を舌で辿る時〜

時刻表通りにやって来たバス。
そのバスに静かとはお世辞にも言えず、ガタンゴトンと揺れながら窓ガラスを見つめる。
少し空いているバスの後部座席に乗ってカバンから、小ぶりの手帳と三色ボールペンを手に取った。

「えっと…今日のタクスは…と。これとこれは完全にイケたな。よしよし」

そんな事を小さくブツブツ言いながら、チェックを入れる。
予定を組んだタクスを埋めていくのが楽しくて、入社してから付けているこの手帳は、バレットみたいな使い方をしていて、私の全てを反映されていっても過言ではない。

ちょっとした体調の変化や、一言日記みたいな物も書いてあるから…。

其処に、今日は一言…。


『あのアポイントはなんだったのか…。忘れたい』

とだけ、記した。


そして、バスはそのまま私のマンションの最寄りに到着して、交通ICカードの機械に押し付けて、運転手さんに控え目に挨拶をしてから降車する。

降りて直ぐに空を見上げると、其処はまるで大好きなプラネタリウムに来ている様な程、綺麗な星が幾つも浮かんでいて、はっと息を飲み立ち尽くした。

こんな風に、ちゃんと空を見上げたのなんか、何時ぶりだろうか。

キラキラと輝く、街やツリーのイルミネーションよりも、天然のこの柔い光の粒が連なって出来る、星座や一等星がダイヤモンドくらい大切で愛しいものに見える。


自然は正しく偉大なものだ。


私はそっと視線を下げて、自分の部屋に帰る為歩き出す。

今日、こうして雨が降らなければ、星の煌めきの事なんて、忘れ去っていただろうから。

ほくほくする胸の内を抱いたまま、辿り着いたマンションのエントランスに近付いて…そのエントランスの灯りの近くに、影がゆらりと立っているのを見付けた。


誰だろう?
不審者だったらどうしよう…。

私は恐怖に囚われる。

あぁ、こんな事ならもう少し早く戻ってくれば良かった。
今じゃ人通りもあまり無いし、オートロックでも一緒に入って来られたら……。


私は仕方がないので、もう一度…今度は近くのスーパー迄向かい、誰か助けを呼んで来ようと意を決する。


すると、思いもよらない事態になった。


「希子ちゃん…?」

「はっ…、」


その声には、胸が痛くなる程、聞き覚えがある。
でも、振り返りたくない無かったから、私は何も聞こえなかったという風に、そのまま背を向けてスーパーへと足を向ける。

「希子ちゃん、待って、っ」

そんな、切羽詰まった声で、私の名前を呼ばないで欲しい。

だって、声の持ち主は私の心を掻き乱すには、十分…知り過ぎている人なんだから。


「な、んで…?」

「希子ちゃん…?」

「何で、貴方が此処にいるの?」

どうして、私の居場所を全て知っているの。

どうして、そんな風に私を呼ぶの。

どうして、どうして…。


ざわり

不意にコートの裾を巻き込む様に、風が吹く。
その一瞬を突いて、声の主が私に近付いて来るのが、気配で分った。

くんっと、腕を掴まれた腕。

「希子ちゃんっ、逢いたかった…」

逢いたかった…?
それを、貴方が、言うの?
今更、何の用で、私に会いに来たの。

触れられた場所が、酷く熱い。
焼けてしまいそうだ。

沸々と、膨らんで来る怒りと虚しさ。


「……で」

「え…」

「私に、触らないで」

「希子ちゃん、でも…俺は……」

「私は何も言いたい事も、貴方から聞きたい事も、何もない」


そう、言い放ち掴まれた腕を強引に振り払う。
そして、相手を視界に入れる事なく、私は横を擦り抜ける様にして、マンションへと足を速めた。


かつん、かつん

マンションのエントランスへと入ると、エレベーターを待つ間、気付いたらパンプスを苛立ちを表すように床を踏んでいた。

落ち着け。
何にも心を乱されるな。
あれは、もう過去の事。
終わった事なのだ。

そう…過去の事なのだ。