——落とされるつもりなんてなかったのに、今はもう離れられない》

 放課後の帰り道。
 夕焼けに染まった校庭の隅で、私は玲央くんと“いつもの場所”にいた。
 交際を始めて数日しか経っていないのに、もうこの時間が一日の中で一番好きになっていた。

「七海、こっち来い」

 呼ばれるだけで胸が震える。
 気づけば自然と、玲央くんの腕の中に収まっていた。

「……ん、なに?」

「なんでそんなとこ立ってんの。離れんなよ」

「“そんなとこ”って、普通に横にいたでしょ?」

「俺の“くっつけ距離”まで来てない」

「くっつけ距離って何……」

「これくらい」

 そう言って、玲央くんは私の腰をぐいっと引き寄せた。
 制服が触れ合う音がして、心臓がきゅっと縮む。

「れ、玲央くん……近……」

「彼氏だろ?」

(そうだった……)
 胸の奥がじわっと熱くなる。

「まだ慣れてねぇの?」

「……慣れない……」

「ふーん、かわい」

「かわいって言わないで……!」

「なんで。俺だけだし」

 玲央くんは私の頬に指を滑らせて、
 夕陽の光の中でじっと見つめてきた。

(……この人の“好き”って重いくらい真っ直ぐで、
 どうしてこんなに胸が熱くなるんだろう)

「七海」

 低く、甘く名前を呼ばれる。

「ん……?」

「落とされる気なんてなかったとか言ってたけどさ」

「……そ、そんなこと言ってない」

「言ってた。めちゃくちゃ言ってた」

 くすっと笑った玲央くんの瞳は、
 私だけを映していて、
 その視線に捕まったまま動けなくなる。

「……でも結果、俺のこと好きすぎ」

「す、好きすぎって……!」

「図星?」

「ちが……」

「違わねぇよ。だって今、目逸らした」

 そう言って、玲央くんは私の顎をそっと掴む。
 逃げる方向をふさがれて、視線が絡まる。

 夕焼けの光の中で、
 玲央くんの黒い瞳はあたたかくて、
 どこか切なくて。

 胸がぎゅっと焦げるみたいに熱くなった。

「七海」

「……なに」

「キスして」

「っ……え、ここ……?」

「誰もいねぇし。
 てか、したい時にするのが彼氏だろ」

 そんな理屈ありますか……と思ったけど、
 もう何も言えなかった。

 玲央くんがゆっくり顔を近づけてくる。
 近づいて、近づいて——
 呼吸が混ざり合う距離。

(あ……好き……
 本当に、この人のこと……)

 目を閉じた瞬間、
 唇にやわらかい熱が触れた。

 短く触れただけのキスなのに、
 体が一気に熱くなる。

 離れたと思ったら、
 玲央くんが私の耳元で囁いた。

「……七海。
 これから毎日するから、覚悟しとけよ」

「な、毎日は無理……!」

「無理じゃねぇ。俺がしたいから」

「玲央くん……!」

 怒っているふりをした私を、
 玲央くんは嬉しそうに抱きしめる。

「……七海。
 好きだよ」

 夕焼けの中で言われたその言葉は、
 世界で一番甘い魔法みたいに胸に落ちた。

「……私も……玲央くんが好き」

 ぎゅっと抱きしめ返した瞬間、
 彼はもう一度キスをくれた。

 今度はさっきより、少し長いキス。

 物語の最後にふさわしい、
 甘くて、温かくて、
 “恋人らしいキス”だった。


……end