事務所でのバイト中、
 私はスタッフの頼みでゴミ捨てのために
 裏口へ回っていた。

 その時──
 後ろから声がした。

「あれ……? 七海ちゃん?」

(……ファンの人たちだ)

 玲央くんのファンと思われる
 3人ほどの女の子が近づいてくる。

「ねぇ、最近よく見かけるよね?」
「玲央くんのドラマ現場でもいたよね?」
「どういう関係なの?」

 口調に棘がある。

(やばい……ここ、スタッフいない……)

「いや、その……私は……」

「玲央くんと仲良いの?」
「マネージャーって言ってもさ、
 なんか図々しくない?」

「……っ」

 優しい言葉じゃない。
 壁際に追い詰められるように立たされて、
 息がしづらくなってきた。

(どうしよう……
 怖い……)

「玲央くんの前に出しゃばるの、
 迷惑なんじゃない?」

 目の前がじわっと滲んだ瞬間。

 ——影が落ちた。

「迷惑なのは……お前らだろ」

 低くて鋭い声。

 心臓が跳ねた。

(……玲央くん……!?)

 玲央くんが立っていた。
 マスクも帽子もしていない。
 完全に“人気アイドル・一ノ瀬玲央”の顔。

「七海に触んな」

 玲央くんは迷いなく私を腕ごと引き寄せ、
 自分の後ろに隠すように抱き込んだ。

(え……抱きしめ……て……)

 胸が震える。
 怖さが一瞬で消えていく。

「七海は……俺の大事な人なんで」

 その言葉に、
 ファンの子たちは一瞬で黙り込んだ。

(だいじ……?
 大事って……
 今……言った……?)

「お前らの勝手な憶測で七海を傷つけんな。
 俺の目の前で泣かせんなよ」

 玲央くんは静かに、
 はっきり怒っていた。

 その背中にしがみついた時、
 初めて気づいた。

(……あ。
 私……守ってほしかったんだ。
 この人に……)

 先生じゃなく。
 誰でもなく。
 この時、私は玲央くんを求めていた。

(玲央くんって……
 本当に……守ってくれるんだ……)

 その瞬間、
 胸の奥で何かが強く弾けた。

(……こんな感情、
 先生には……ない)

 あたたかくて、
 頼りなくて、
 胸が苦しくなるほどの“安心”。

それは──
先生には決して出せないものだった。

その後、学校でも
 事件の疲れが抜けない私を見て、
 先生は声をかけてくれた。

「七海、大丈夫ですか?
 顔色が悪いですよ」

「……はい、大丈夫です」

 優しい声。
 いつもと同じ温度。

 でも、
 昨日の裏口での出来事が胸にこびりついている。

(もし……
 あの場に先生がいたら……
 守ってくれたのかな……)

 考えてみる。

 でも——

(……無理だよ)

 先生は“先生”だから。
 あの時みたいに
 人前で抱きしめることも、
 庇う言葉を言うことも出来ない。

「七海、何かあったら……
 気軽に相談してくださいね」

 優しい。
 優しいんだけど──

(私は……
 “先生に守られたい”んじゃないんだ)

 胸の奥で、
 新しい気づきが芽生える。

(私が……恋したいのは……
 守ってくれる人じゃなくて……
 守ろうとしてくれる人)

 そしてそれは──
 玲央くん だった。

(先生の優しさは……
 恋じゃない)

 苦しくて、
 涙が出そうなほど申し訳なくて、
 だけど確かな感情。

(私……
 恋をしたいんだ……)

 先生に対しては、
 “好き”の形が違う。

 玲央くんには、
 ちゃんと“恋”として向いていける。

(玲央くん……
 私……ちゃんとあなたの方に……)

 七海はゆっくり、
 自分の感情を認める準備が整い始めていた。

 その日のドラマリハ。
 問題のシーンが来た。

「玲央、このキスシーンの角度、
 もうちょい調整したいから……七海ちゃん協力頼む」

「え!? わ、私が!?」

「位置合わせだけね〜」

(また……玲央くんと……?)

 胸が一気に熱くなる。

 玲央くんが静かに近づいてくる。
 周囲のライトが、彼の瞳をゆっくり照らす。

「動くなよ、七海」

(っ……)

 手を取られ、
 腰を軽く支えられ、
 顔を近づけられる。

 息が混ざりそうな距離。

「……あの日より震えてんじゃん」

「し、震えて……ない……」

「嘘つけ。
 この距離で震えねぇわけねぇだろ」

 囁く声。
 耳がジュッと焼けるように熱くなる。

(やだ……
 この感じ……)

 初めてキスした日の、
 胸の奥からこみ上げた熱。
 逃げられない距離でのドキドキ。

「七海」

 名前を呼ばれた瞬間。
 唇が触れた。

 ほんの一瞬——
 でも確かに“キス”だった。

「……っ……!」

 心臓がばくばく鳴って、
 脚の力が抜けそうになる。

 玲央くんはすぐに離れて、
 言った。

「七海……
 俺にもう一回、落ちんなよ」

(落ち……る……?
 また……?)

「最初のキスより……
 今のほうが、俺は好きだったし」

「れ、玲央くん……!」

「七海もだろ?」

 視線が絡んだ瞬間、
 胸の奥で何かが決壊した。

 私は悟ってしまった。

(あ……
 私……もう……)

 逃げられない。
 抵抗できない。

 最初のキスの時と同じ——
 いや、あの時よりもっと深く。

(……玲央くんに恋してる)

 はっきりと、自覚した。