昨日の出来事が、
 胸の奥で何度も繰り返し蘇る。

 玲央くんが先生に向かって放った、
 あの強い言葉。

「七海は俺がもらいます」

(そんな……
 そんなこと言われたら……)

 布団の中で、
 自分の胸に手を当てると、
 ドクドクと心臓の音が大きく響く。

(落ち着いて……
 落ち着きたいのに……
 全然落ち着けない……)

 息を吸うたび、
 胸の奥がくすぐったいように疼く。

(玲央くん……
 あんなふうに言うなんて……)

 あれが“遊び”じゃないことはわかっていた。
 だってあの目は、
 あの声は、

 七海を“奪う”ための言葉だった。

***

(はるま先生……
 あのとき……すごく……苦しそうな顔してた)

 今まで見たことがないくらい、
 冷静さを失った表情。

 優しくて温かい先生が、
 あんな顔をするなんて思わなくて――

(ごめんなさい……先生……)

 胸がちくりと痛む。

 玲央くんのことを思うと苦しくて、
 先生のことを思うと涙がにじむ。

(どっちにも……
 こんなに気持ちが揺れるなんて……)

 七海は、
 こんな恋の痛みを知らなかった。

***

 枕元でスマホが震えた。

 画面を見ると、
 “玲央” の名前。

 胸が一瞬で熱くなる。

〈玲央〉
『起きてるだろ』

 ドキッとする。
 まるで心を見透かされてるようで。

〈七海〉
『……起きてるけど』

 返す指先が震える。

〈玲央〉
『泣いてんの?』

「っ……!」

(なんで……
 なんで分かるの……?)

〈七海〉
『べ、別に……泣いてない……』

〈玲央〉
『嘘。声聞かせろ』

(声……!?)

〈七海〉
『む、無理……!』

〈玲央〉
『じゃあ行く』

(……行く!?
 今、家に!?)

〈七海〉
『だ、だめ!!』

〈玲央〉
『七海が泣いてんのに、俺が行かねぇわけねぇだろ』

 その一文だけで、
 胸が熱くなってまた涙がにじむ。

(なんで……
 こんなに……こんなに心に刺さるの……)

 三角関係とか、
 先生の目とか、
 全部忘れそうになる。

〈七海〉
『……泣いてないよ……ほんとに』

 一瞬の沈黙。

〈玲央〉
『……なら、泣いてても俺に言えよ』
『七海の涙……俺が拭くから』

(……っ)

 胸の奥をぎゅっと掴まれた。

 電話越しじゃない。
 文字だけなのに、
 玲央くんの声が聞こえるみたい。

 強くて、優しくて、
 胸の奥をゆさぶってくる声。

(玲央くん……
 こんなの……本気じゃないわけない……)

 涙が頬を伝って落ちた。

 その涙を自分でぬぐいながら、
 七海はそっとスマホを胸に抱きしめた。

(どうしよう……
 ほんとに……好きになっちゃうよ……)

***

 夜が明けても眠れなかった。

 鏡を見ると、
 目の下が赤くうっすらと腫れていた。

(先生……今日また顔を合わせたら……
 きっとバレる……)

 玲央くんとのメッセージの余韻、
 先生の痛そうな目。

 どちらのことも考えるたび、
 胸が引き裂かれそうに痛む。

***

「七海」

 たった一言。
 それだけで涙が出そうになるほど胸が痛い。

(こんな顔……
 先生に絶対、見せたくなかった……)

「……目が赤いな。
 寝られなかったんじゃないか?」

「え……」

(やっぱり……全部……バレる……)

「七海。
 ……何があった?」

 その声は静かで優しいのに、
 胸に刺さる。

(どうしよう……
 ほんとに泣いちゃいそう……)

 玲央くんと先生。
 二人の存在が、
 七海の胸の真ん中でぶつかり合っていた。

(耐えられない……
 このままじゃ……どっちも傷つけちゃう……)

 でも、
 この夜明けと涙の夜がきっかけで、
 七海はひとつの答えに近づいていく。

 そして──
 玲央くんの“本気の告白”はもうすぐそこに迫っていた。