七海の変化に気づかないわけがなかった。
 朝、挨拶をしただけで分かった。

(……目が、違う)

 昨日より深く揺れている。
 泣きそうなのに笑おうとして、
 その奥で誰かの影がちらついている。

 授業中も、七海が教科書に目を落としていても、
 心ここにあらずなのが分かる。

(また……昨日の続きか)

 胸の底が小さく沈んだ。

***

「校門の方に、大きなマスクの人が立ってたけど……
 知り合いか?」

 自分でも……
 “聞くべきじゃない質問だ”と分かっていた。

(でも……聞かずにはいられなかった)

 七海は、はっとしたように肩を揺らした。

「あ、あの……友達で……!」

「友達……?」

 違う。
 絶対に違う。

 その震えた声が答えだった。

(七海……
 お前、嘘をつくときだけ声が震えるの、昔から変わってないんだな)

 追及すべきじゃない。
 教師として。

 でも。

(……嫉妬しているんだ、俺は)

 そんな自分に気づいた瞬間、
 喉がひりつくほど乾いた。

***

「その人が“バイトの関係者”なのか?」

 問いかけたとき、
 七海は……黙った。

 ただの数秒。
 その沈黙で分かってしまった。

(……その人は、七海にとって特別な“誰か”なんだ)

 胸がつぶれそうに痛かった。

 七海の顔色が一瞬青ざめたのも、
 不安と迷いが入り混じった表情も。

(七海……
 お前……誰の言葉で、誰の顔でこんなに揺れてる?)

 知りたくて、
 でも知りたくなくて。

(教師なのに、どんな顔して聞けばいいんだよ)

 感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った。

***

「七海、来いよ」

 校門の柱の影から現れた男を見て、
 息が止まった。

(……誰だ)

 マスク、帽子で顔は隠されている。
 しかし“ただの友達”にしては――
 声も雰囲気も、持っている空気が違いすぎる。

(この存在感……普通じゃない)

 七海は、彼を見ると小さく息を呑んだ。

 その反応を見て、
 胸が大きく揺れた。

(……こいつが、七海を揺らしてるのか?)

「七海。
 気をつけて帰れよ」

 そう言ったものの、
 胸の痛みはまったく消えなかった。

 七海の返事する声が震えているのも、
 “あの男”の方を無意識に気にしているのも……
 全部見えていた。

(七海。
 本当に……その男のことが……?)

 そんな考えが胸を刺した。

***

 職員室の窓際に立ち、
 七海を連れ出していった男の背中を見送る。

(……連れて行かれた)

 その事実だけで胸が締めつけられた。

 気づいたら拳を握りしめていた。

(七海……
 お前は生徒で、俺は教師だ。
 この気持ちは持っちゃいけない)

 分かってる。
 本当は分かりきってる。

(でも……
 あんな風に肩を掴まれて、
 連れていかれるのを見せられて……
 平気でいられるわけないだろ)

 胸の奥が熱くなる。

(あの男……誰なんだ。
 七海をそんな顔にする奴……)

 七海の変化が苦しくて、
 でもその理由が、自分じゃなくて苦しくて。

(七海……
 お前が……泣いても笑っても……
 俺はもう……目を逸らせない)

 気づけばこんなにも、
 七海のことを追いかけてしまっている。

(……どうすればいい。
 教師である俺が……この気持ちをどうすれば)

 答えが出ないまま、
 胸の痛みだけが深くなっていった。