ある雨の日の昼休み。
須藤蓮乃が弁当を食べ終えて双子の姉や友達としゃべっていると、教室の入り口に見慣れた姿が現れた。
藍葉遥、蓮乃が所属する園芸部の部長だ。
蓮乃は腰を浮かせかけたが、教室の前方に座っていた男子……藍葉湊が先に顔を上げる。
「げえ、兄貴。何しに来たんだよ」
「桔花いる? 須藤桔花」
「トーテムポール一号?」
そう言って、湊が振り向いた。
「湊、二人のことそんな呼び方してるわけ? 最悪だな」
遥が顔をしかめて教室を覗きこむ。
「うるせえな、そっくりじゃん。馬鹿デカいところが。あいつらなら、あの辺」
湊が蓮乃の方を指さした。目を逸らす前に遥と目が合ってしまう。
蓮乃はわずかに溜息をついて立ち上がった。
「蓮乃?」
双子の姉、桔花が首をかしげて振り返る。遥に気づいたらしく、目を丸くした。
「部長だ」
「なんだろうね。行ってくるよ」
蓮乃は桔花の返事を待たず、教室の入り口へ向かった。
「お呼びですか、部長」
「昼に悪いな須藤。桔花呼んでもらえる?」
「桔花です」
蓮乃はにこりと笑った。
蓮乃と桔花は顔がそっくりだから、家族以外はだいたいそれで騙せる。
けれど遥はくすっと笑い、手にしていた書類をひらりと振ってみせた。
「園芸部の会計書類の不備、直してくれんの?」
「うぐ……桔花呼んできます」
蓮乃は数学が苦手だ。逆に桔花は得意だから、部活の副部長兼会計をやっている。
蓮乃が踵を返しかけたとき、湊が薄く笑った。
「兄貴、よく見分けられんね。俺にはどっちもトーテムポールにしか見えねえわ」
「湊」
蓮乃が言い返す前に、遥が低い声を出した。
「きれいな方が蓮乃、かわいいほうが桔花」
「ちょ、そ、よくそういう歯の浮くようなこと言いますね!?」
蓮乃が顔を真っ赤にして言い返すと、遥はしれっと続けた。
「そう言って焦るのが蓮乃、照れるのが桔花だよ」
「言わねえよ、そんなキザったらしいセリフ……」
湊が心底嫌そうにつぶやいた。
「須藤先輩……こいつらの兄貴がそういう人だからさ。俺らも慣らされてるんだ」
「お兄ちゃんに毒されてますよ……」
蓮乃は顔を赤くしたまま桔花を呼びに行った。
「部長が桔花呼んでる」
「私? どうせまた面倒ごとでしょ」
そう言いながら笑顔で立ち上がる桔花に、蓮乃は唇を噛んだ。
桔花が笑うたび、つられるように自分まで嬉しくなる。
それなのに、少しだけ目を逸らしたくもなる。
蓮乃は目を逸らして、先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。
窓の外では、灰色の空の下をしとしとと雨が降り続いている。
桔花は気づいているだろうか。
遥が蓮乃のことは「須藤」と呼ぶけれど、桔花のことは「桔花」と呼ぶことを。
考えたくもないのに、そんなことばかり考えてしまう。蓮乃は窓ガラスを伝う雨だれをぼんやりと眺めていた。
***
放課後、蓮乃が席から立ち上がると、桔花が駆け寄ってきた。
「部長に書類返してくるから、先に帰ってていいよ」
「待ってるよ。お父さんが配達ついでに迎えに来てくれるって」
「マジか。じゃあ急ぐ」
桔花はスマホを見て「ほんとだ」と呟くと、駆け足で教室を出ていった。
蓮乃はひと気のなくなった教室で、窓辺に立つ。
ふと、校舎の昇降口から黒い傘が現れ、中庭へ向かうのが見えた。
「部長だ」
傘しか見えない。
でも、そう思った。
そのあとを、見慣れた明るい紫の傘が追いかけていく。
蓮乃が目を逸らせずにいると、足音がして、蓮乃のすぐ隣で止まった。
「兄貴と……」
トランペットを手にした湊が蓮乃を見た。
「兄貴と、桔花か」
「……なんで」
「桔花の方は、兄貴をそんな顔で見ない」
「ウザ」
蓮乃は湊を睨んだけど、湊は気にした様子もなく窓の外の遥と桔花を見ていた。
しばらく何も言わずにいたら、湊が窓を開けた。
冷たい雨がぱらぱらと吹き込んでくる。
「ちょ、トランペットって濡らしちゃダメなんじゃ」
「学校のポンコツだし、野球部とかサッカー部の応援で外で吹きまくってるからかまわねえよ」
湊が大きく息を吸い込み、トランペットを高らかに吹き鳴らした。
「う、わ」
蓮乃はいきなりの音に後ずさった。
「なに……?」
「まあ、聞いてけよ。蓮乃」
湊はにやっと笑ってトランペットを奏で始めた。有名なゲームのオープニングソングが、雨音の向こうへ伸びていく。
「……私、その曲好きだな」
「そらよかった」
一通り吹き終えた湊は、トランペットを下ろしてからっと笑った。
蓮乃が目を逸らして窓の外を見ると、桔花と遥がこちらを見上げていた。
二人に手を振ると、同じように振り返される。
「園芸部じゃなくて、吹奏楽部来る?」
「……行かない。私、花の世話好きだから」
「そう。ま、蓮乃を引き抜いたら、蓮乃の姉に怒られるしな」
「そうかも」
廊下から足音がした。
蓮乃が振り返ると、桔花が教室に入ってきてにこっと笑った。
「蓮乃、帰ろう。お父さんがもう着くって」
「……うん、帰ろう。藍葉、また明日」
「おう、また明日、蓮乃。須藤も」
「は、はあ……?」
蓮乃が返事をする前に、湊は背中を向けて、トランペットを吹き始めた。
桔花はさっさと教室を出ていってしまう。
蓮乃も慌てて姉の背中を追いかけた。やけに耳が熱くて、そっと押さえる。
須藤蓮乃が弁当を食べ終えて双子の姉や友達としゃべっていると、教室の入り口に見慣れた姿が現れた。
藍葉遥、蓮乃が所属する園芸部の部長だ。
蓮乃は腰を浮かせかけたが、教室の前方に座っていた男子……藍葉湊が先に顔を上げる。
「げえ、兄貴。何しに来たんだよ」
「桔花いる? 須藤桔花」
「トーテムポール一号?」
そう言って、湊が振り向いた。
「湊、二人のことそんな呼び方してるわけ? 最悪だな」
遥が顔をしかめて教室を覗きこむ。
「うるせえな、そっくりじゃん。馬鹿デカいところが。あいつらなら、あの辺」
湊が蓮乃の方を指さした。目を逸らす前に遥と目が合ってしまう。
蓮乃はわずかに溜息をついて立ち上がった。
「蓮乃?」
双子の姉、桔花が首をかしげて振り返る。遥に気づいたらしく、目を丸くした。
「部長だ」
「なんだろうね。行ってくるよ」
蓮乃は桔花の返事を待たず、教室の入り口へ向かった。
「お呼びですか、部長」
「昼に悪いな須藤。桔花呼んでもらえる?」
「桔花です」
蓮乃はにこりと笑った。
蓮乃と桔花は顔がそっくりだから、家族以外はだいたいそれで騙せる。
けれど遥はくすっと笑い、手にしていた書類をひらりと振ってみせた。
「園芸部の会計書類の不備、直してくれんの?」
「うぐ……桔花呼んできます」
蓮乃は数学が苦手だ。逆に桔花は得意だから、部活の副部長兼会計をやっている。
蓮乃が踵を返しかけたとき、湊が薄く笑った。
「兄貴、よく見分けられんね。俺にはどっちもトーテムポールにしか見えねえわ」
「湊」
蓮乃が言い返す前に、遥が低い声を出した。
「きれいな方が蓮乃、かわいいほうが桔花」
「ちょ、そ、よくそういう歯の浮くようなこと言いますね!?」
蓮乃が顔を真っ赤にして言い返すと、遥はしれっと続けた。
「そう言って焦るのが蓮乃、照れるのが桔花だよ」
「言わねえよ、そんなキザったらしいセリフ……」
湊が心底嫌そうにつぶやいた。
「須藤先輩……こいつらの兄貴がそういう人だからさ。俺らも慣らされてるんだ」
「お兄ちゃんに毒されてますよ……」
蓮乃は顔を赤くしたまま桔花を呼びに行った。
「部長が桔花呼んでる」
「私? どうせまた面倒ごとでしょ」
そう言いながら笑顔で立ち上がる桔花に、蓮乃は唇を噛んだ。
桔花が笑うたび、つられるように自分まで嬉しくなる。
それなのに、少しだけ目を逸らしたくもなる。
蓮乃は目を逸らして、先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。
窓の外では、灰色の空の下をしとしとと雨が降り続いている。
桔花は気づいているだろうか。
遥が蓮乃のことは「須藤」と呼ぶけれど、桔花のことは「桔花」と呼ぶことを。
考えたくもないのに、そんなことばかり考えてしまう。蓮乃は窓ガラスを伝う雨だれをぼんやりと眺めていた。
***
放課後、蓮乃が席から立ち上がると、桔花が駆け寄ってきた。
「部長に書類返してくるから、先に帰ってていいよ」
「待ってるよ。お父さんが配達ついでに迎えに来てくれるって」
「マジか。じゃあ急ぐ」
桔花はスマホを見て「ほんとだ」と呟くと、駆け足で教室を出ていった。
蓮乃はひと気のなくなった教室で、窓辺に立つ。
ふと、校舎の昇降口から黒い傘が現れ、中庭へ向かうのが見えた。
「部長だ」
傘しか見えない。
でも、そう思った。
そのあとを、見慣れた明るい紫の傘が追いかけていく。
蓮乃が目を逸らせずにいると、足音がして、蓮乃のすぐ隣で止まった。
「兄貴と……」
トランペットを手にした湊が蓮乃を見た。
「兄貴と、桔花か」
「……なんで」
「桔花の方は、兄貴をそんな顔で見ない」
「ウザ」
蓮乃は湊を睨んだけど、湊は気にした様子もなく窓の外の遥と桔花を見ていた。
しばらく何も言わずにいたら、湊が窓を開けた。
冷たい雨がぱらぱらと吹き込んでくる。
「ちょ、トランペットって濡らしちゃダメなんじゃ」
「学校のポンコツだし、野球部とかサッカー部の応援で外で吹きまくってるからかまわねえよ」
湊が大きく息を吸い込み、トランペットを高らかに吹き鳴らした。
「う、わ」
蓮乃はいきなりの音に後ずさった。
「なに……?」
「まあ、聞いてけよ。蓮乃」
湊はにやっと笑ってトランペットを奏で始めた。有名なゲームのオープニングソングが、雨音の向こうへ伸びていく。
「……私、その曲好きだな」
「そらよかった」
一通り吹き終えた湊は、トランペットを下ろしてからっと笑った。
蓮乃が目を逸らして窓の外を見ると、桔花と遥がこちらを見上げていた。
二人に手を振ると、同じように振り返される。
「園芸部じゃなくて、吹奏楽部来る?」
「……行かない。私、花の世話好きだから」
「そう。ま、蓮乃を引き抜いたら、蓮乃の姉に怒られるしな」
「そうかも」
廊下から足音がした。
蓮乃が振り返ると、桔花が教室に入ってきてにこっと笑った。
「蓮乃、帰ろう。お父さんがもう着くって」
「……うん、帰ろう。藍葉、また明日」
「おう、また明日、蓮乃。須藤も」
「は、はあ……?」
蓮乃が返事をする前に、湊は背中を向けて、トランペットを吹き始めた。
桔花はさっさと教室を出ていってしまう。
蓮乃も慌てて姉の背中を追いかけた。やけに耳が熱くて、そっと押さえる。



