詩音と海と温かいもの

「匠海さん、おはよ」

「おはよう、詩音ちゃん」


 バスで駅まで行くと、匠海さんが先に待っていてくれた。


「待たせちゃった? ごめんね、寒いのに」

「全然。さっき着いたばっかだから。どっか寄ってく?」

「ううん。あのね、先に匠海さんの部屋に行きたいな」

「じゃあ、そうしよう」


 匠海さんは笑って私の手を取った。

 この前の事があるから迷ったけど、その手を離すことなんて私にはできなくて、握り返した。

 部屋に着いて正座したら、匠海さんもなぜか私の正面に正座した。私は手にしていた紙袋を差し出した。


「あの、これ、よかったら……受け取ってください……」

「ありがと。……もしかして、バレンタイン?」

「うん。あの、昨日作ったから、食べてくれると嬉しいな。その、匠海さんみたいに上手じゃないけど、がんばったから」


 匠海さんは一瞬ぽかんとしてから、袋の中身を取り出した。


「そっか、作ってくれたんだ」

「う、うん。高等部の家庭科部主催で、バレンタイン向けのイベントがあってね」

「そんなのが……。あ、一緒に食おう。コーヒー淹れるね」

「私も手伝う!」


 一緒にコーヒーを淹れて、今度は並んで座った。


「上手だと思うよ」


 匠海さんはクッキーと生チョコを並べて、写真に撮った。

 なぜか私に紙袋を持たせて何枚か撮っている。


「いただきます。……うん、美味い」

「ほんとに? よかった」

「ヤバい、嬉しい。ちょっと泣きそう」

「なんでさ。もー、匠海さんならいくらでももらえるでしょ」

「……そうでもない」


 匠海さんはクッキーをかじりながら苦笑した。


「ほら、大学だと授業で全員で作るから、特別に作ったり贈ったりしないし、俺の周りは俺に詩音ちゃんがいるって知ってるからね」

「なるほど?」


 文化祭、行ったしなあ。あれ、でも匠海さんは私のことをなんて言ったんだろう?

 匠海さんのお友達らしき人に挨拶はしたけど、一緒に回ってはいないから、よくわからなかった。


「匠海さん、お友達に詩音のことなんて言ったの? 美海は『妹です』って挨拶してたよね」


 そう聞くと匠海さんはなぜか気まずい顔になった。

 なんで……。


「一応、預かってる子とは言った」

「一応? まあ、それで合ってるとは思うけど」

「あとは、俺の……いや、なんでもない」

「なあに?」

「なんでもない。秘密」

「ふうん。秘密かあ」


 まあいいけどさ。匠海さんがそんな変な言い方しないのは分かってるし。


「あ、こないだ実習で作ったチョコあるよ。カカオ砕くのすげー大変だった」

「そこから!?」


 匠海さんは笑って、冷蔵庫からチョコレートを出してきた。

 ぱっと見は普通の板チョコだ。


「いただきます。わ、苦い」

「ね。それはカカオ七十パーセント。こっちの五十パーセントの方が甘くて食べやすいよ」

「ほんとだ、全然違う」

「三十パーセントもあるよ」


 コーヒーを飲みながらチョコレートの食べ比べをした。

 カカオが多いほうが苦いけど、いい匂いがする。


「詩音ちゃん、口にチョコついてる」


 匠海さんの手が伸びてきて、私の唇を拭った。その指はカサついていて、あかぎれだらけだ。

 私は匠海さんの手を取って、ついたチョコを舐めた。


「匠海さん、手がカサカサだね」

「……うん、どうしてもね」

「クリスマスにあげたハンドクリームは?」

「勿体無くて、使えてない」

「使ってよ。詩音だって、匠海さんにもらったショールを毎日使ってるよ」


 私はカバンから自分が使っているハンドクリームを出した。手に取って、匠海さんの指先にすり込んだ。


「匠海さん、チョコも食べてね?」

「あ、バレた? もったいなくてさ」

「もー、悪くなる前に食べてよ。欲しかったらまた作るから」

「ほんとに?」


 匠海さんが私を覗きこんだ。

 眉が、不安そうに下がっている。


「本当に。来年も、その次も、匠海さんが受け取ってくれるなら、詩音はずっと作るよ」

「ありがと」


 顔が近づいて、触れるかと思ったけど、触れずに額が肩に乗った。

 腕を伸ばして背中を抱き寄せた。

 温かくて、広くて、大好きな背中だった。