詩音と海と温かいもの

 お正月も終わって、一月四日の朝。

 私、矢崎詩音は匠海さんの部屋でうとうとしていた。

 さっき目が覚めてトイレに行ったけど、まだ朝方だから寝ていて大丈夫。

 ベッドに戻ったら匠海さんはまだ寝てたけど、


「……おいで」


 と低いかすれた声で言って、私を腕に抱え込んだ。

 部屋はあんなに寒かったのに、匠海さんの腕の中は温かくて、幸せだった。

 匠海さんの喉に顔をくっつけると、おでこに少し伸びたひげが当たってチクチクした。

 目を閉じて、匠海さんにしがみつく。

 心地よすぎて、私はすぐに寝てしまった。



 次に目が覚めたら、だいぶ遅い時間だった。

 といっても、普段授業が始まるくらいの時間だから、寝坊ってほどでもない。


「匠海さーん、朝だよー」

「んー……」


 匠海さんは寝ぼけた声で私を抱きしめた。

 ちょっと苦しいけど、かわいいし、匠海さんに甘えられるのは好きだから、されるがままに押しつぶされる。


「ねえ、朝ごはんしようよ」

「んー、もうちょっと」

「眠い?」

「っていうより、寂しい……」


 そう言って、匠海さんは私の顔を覗き込んだ。

 いつもの優しくてかっこいい顔じゃなくて、拗ねた男の子みたいな顔だ。


「……かわいい」

「かっこいいって言ってほしいんだけど」

「やー、今のは完全にかわいいよ」

「かわいいのは詩音ちゃんだろ」


 匠海さんはムスッとしたまま、私の首元に顔を埋めた。

 短い髪が顔に当たってくすぐったい。

 でも、かわいくて仕方ないから、ぎゅっと頭を抱きしめた。


「詩音も、匠海さんと離れちゃうの寂しいよ。だって冬休みの間、一緒に寝られなかったし」

「うん……まあ、普通同じベッドで寝ないと思うけど」

「そうかなあ。そうかも。匠海さんって、詩音の何?」

「何がいい?」


 耳元でささやかれて、すぐには答えられなかった。

 前は、美海がうらやましかった。優しくてかっこよくて、料理が得意な匠海さん。

 そんな人がお兄ちゃんだったらいいなって、思ってた。


「んー、わかんないな。前は、匠海さんが詩音のお兄ちゃんならよかったのにって思ってたんだけど」

「……うん」

「うーん、今はお兄ちゃんじゃなくて……わかんないなあ」


 うまく言葉にできない。

 彼氏とかではない。

 匠海さんにはきれいで素敵な人と、幸せになってほしい。

 これ以上、匠海さんの面倒になりたくないって思った。

 ……でも、この温かい腕の中から出ていくのは嫌だった。


「詩音、匠海さんのこと大好きだから、幸せになってほしいんだけどなあ」

「俺は今、わりと幸せだけど」

「そうなの?」

「……うん」


 匠海さんは私を抱き寄せた。

 顔は相変わらず私の首元に埋もれていて、見えない。


「俺も、詩音ちゃんのこと大好きだから、一緒にいられて幸せです……」

「そっかあ」


 なんとなく、匠海さんの顔を見られなくて、短い髪に顔を埋めた。

 たぶん今の私は、嬉しくて変な顔をしている。

 しばらく黙ってくっついてから、ゆっくりと手を離した。


「ねえ、匠海さん。詩音、お腹空いたよ」

「何か食いたいものある?」

「えっとね、サンドイッチ」

「材料がなんもねえな。冷蔵庫空っぽだし、買いに行こうか」

「うん」


 やっと起き上がった匠海さんに手を引かれて、私もベッドから降りる。

 一緒に身支度をして、また手をつないで部屋を出た。


「寒ーい」

「一月だからなあ」


 二人でスーパーに行って、なぜかパンじゃなくて、お餅とあんこを買って帰ってきた。

 お汁粉を食べ終えたら昼過ぎだったから、私は寮に戻らないといけなかった。


「あーん、寂しいよー」

「言うなよ、俺だって寂しいんだから」

「詩音が大人になったらここに住む……」

「その頃にはもう少し広い部屋探しとく」


 冗談だけど、半分くらい本気でそんなことを言いながら、匠海さんに寮の前まで送ってもらう。


「じゃあ、試験終わったら教えてね」

「おうよ。試験の後はすぐ春休みになるから、いつでも大丈夫」

「またねえ」

「はいはい、ちゃんと学校に行くんだよ」