詩音と海と温かいもの

 川瀬さんのお家に帰って、二人分のコーヒーを淹れて、買ってきたチョコやクッキーと一緒にリビングに持って行ったら、匠海さんがソファに寝転がっていた。


「匠海さん、だいじょぶ?」

「ダメ」


 コーヒーを、ソファ前のテーブルに置いた。頭の横に腰を下ろしたら、匠海さんの腕が伸びてきて、捕まった。


「膝枕、してもらっていい?」

「いいよ」


 匠海さんはのそのそと私の脚に頭を乗せた。

 顔を私のお腹にくっつけているから、どんな表情かはわからない。


「どうしたの? さっきの女の人に、何か嫌なことを言われた?」

「そういうんじゃないんだけどさ。あー、さっきの人ね、元カノなんだ」


 頭を殴られたような気がした。

 いや、私は知っていた。匠海さんに彼女がいたってこと。

 高校に入ってすぐ付き合って、一学期が終わる前にフラれたということも。


「……そうなの。あの人が」


 きれいなお姉さんだった。

 匠海さんとお似合いだと思う。

 でも、それを私は素直に喜べなかった。


「えっと、フラれたんだけど」

「う、うん」


 なんだろう。聞きたいような、聞きたくないような。

 私は匠海さんの硬い髪を、手のひらで撫でながら続きを待った。


「フラれた理由が、俺が料理が得意だからで」

「うん?」

「なのにさっき、『調理系の大学なんてすごいね』とか『将来コックさんになるの?』なんて、笑顔で聞かれて、気分悪くなっちまって」

「……うん」

「だから、詩音ちゃんに『俺が料理するの、おかしくないよね』って聞きたかった」


 ああ、だからさっき、私に食べたいものを聞いたんだ。

 なんか、おかしかった。

 いつもはかっこいい匠海さんがかわいくて、胸がキュンとした。


「詩音ね、匠海さんが料理してるところ、好きだよ。匠海さんはいつもかっこいいけど、料理してるときが一番かっこいい」

「……そうかな」

「そうだよ。えっとね、前にスーツ着てたときもかっこよかったし、真剣な顔で勉強してるときもかっこいい。あとね、昨日迎えに来てくれたときと、さっき助けてくれたときもかっこよかった」

「ごめん、言わせて」


 そう言いながらも、匠海さんは私のお腹に顔をくっつけたままだった。


「いくらでも言うよ。詩音、匠海さんのこと大好きだもん」

「……ありがと。俺も詩音ちゃん大好き」

「んふふ、嬉しい」


 たぶん、匠海さんが思っている嬉しいの、十倍は嬉しい。


「昔、美海と遊んでたら、パフェ作ってくれたでしょ? おいしかった。あとはね、パエリヤと、焼きそばと、パンケーキと……」


 匠海さんに作ってもらったことのある料理を思い出す。

 全部美味しかった。

 匠海さんが作ると、それこそおにぎりすらも美味しくて、私には魔法みたいに見えた。


「あら、匠海はどうしたの?」


 匠海さんの頭を撫でていたら、ママさんがリビングに顔を出した。

 今日はパパさんと一緒に、夜の家に遊びに行っていたけど、昼だから帰ってきたみたい。


「元カノに会って凹んでるの」

「それで詩音ちゃんに甘えてるの? やあねえ。重かったら下に落としてね」

「しないよ、そんなこと。いつもは詩音が甘えてばかりだから、たまに匠海さんが甘えてるとかわいいでしょ」

「かわいいじゃなくて、かっこいいって言われてえよ」

「かっこいい男のする体勢じゃないわよ」


 ママさんは呆れたように笑って、机に並べてあったお菓子をつまんだ。

 私にも差し出してくれたから、ありがたく受け取る。


「そろそろお昼にしましょうか。美海と夜くんは?」

「学校の友達と合流して、どっか行っちゃった。お昼に戻るか、聞いてみるね」

「お願いね、詩音ちゃん。二人はお雑煮のお餅はいくつにする?」

「俺は二個」

「私は一個でお願いします」


 美海にメッセージを送っていたら、やっと匠海さんが起き上がった。

 ちょっとムスッとしていて、やっぱりかわいい。


「俺も手伝う」

「凹んでていいのよ」

「いや、もういい。慰めてもらったから」

「そう? じゃあ、母さんはお餅一個ね。お父さんは二個」

「あいよ」

「匠海さんが用意するなら、詩音も手伝う……あ」


 台所に向かった匠海さんを追いかけようとして、私は崩れ落ちた。


「詩音ちゃん!?」


 匠海さんが焦ったような顔で走ってくる。


「あのね、足痺れた」

「……ごめん。俺が用意するから、座ってて」

「はあい」

「いいのよ、匠海に任せておけば」

「任せてくれよ。うまいもん出すからさ」

「お雑煮もお節も、用意したのは母さんですよ?」

「そうでした」


 ママさんと匠海さんは笑って台所へと戻って行った。

 手の中のスマホが震えて、美海から『すぐに帰る』と返事が来た。

 それを伝えようとソファから振り返ったら、匠海さんが真剣な顔でお餅を焼いていて、私はその顔が世界で一番好きだと思った。