詩音と海と温かいもの

 大晦日、私、矢崎詩音は実家で死んだ魚みたいな顔をして、頭を下げていた。


「ご無沙汰しております、叔父様。はい、今はーー女学院に在籍しています。はい、父に恥じぬよう、せいいぱい勉学に励もうと思います」


 こういう定型みたいな挨拶を、帰省してから延々と、オウムみたいに繰り返していた。

 ようやく解放されたのは夕方で、あと数時間もすれば会食があるけど、私はみすぼらしいから来なくていいと、母から言われていた。

 シンデレラの継母みたいで、私はうっかりぽかんとしてしまって、嫌みまで言われたから自分の部屋に逃げてきた。


「あー、しんどい」


 ベッドに大の字で寝転がって、ため息をついた。

 たぶん、明日……いや、明後日の朝には解放されるはず。

 そしたら美海に確認して、一度川瀬さんのおうちに避難させてもらおう。

 美海と夜の顔を見たら、たぶん嫌な気分もマシになるはず。

 匠海さんがいれば言うことないけど、学年末試験前って言ってたし、顔が見られればラッキーかなあ。


 会いたいなあ。匠海さん、今は何をしているだろう。

 枕元に放ってあったスマホを手に取った。

 なんの連絡もない。

 そりゃ、そうだ。

 年末年始は実家で親戚や、父の会社の人に挨拶って言ってあるもの。

 ふと、部屋の扉がノックされた。

 たぶん、ばあやが私の夜ごはんを持ってきてくれたんだろう。


「どうぞー」


 返事をしたら、予想通りばあやが顔を出したけど、手には何も持っていなかった。


「失礼します。詩音様のお知り合いとおっしゃる方がお見えです」

「私の……?」

「はい。川瀬様と」

「えっ」


 ばあやをほったらかして、慌てて門まで走って行ったら、匠海さんが「来ちゃった」と笑っていた。


「な、なんで……?」

「俺の顔見たいかと思って。嘘、冗談。俺が年が明ける前に詩音ちゃんに会いたくて来ちゃったけど、大丈夫だった?」

「うん……だいじょぶ……」


 わけがわからなかった。

 匠海さんの顔がぼやけて見えない。

 この人はどうして私がいてほしいときに必ずいてくれるんだろう。

 涙が止まらなくて、言葉が出なかった。


「匠海さ、詩音、匠海さんと、帰る……っ」

「家の方は大丈夫?」


 顔に何か柔らかいものが触れた。

 触ったら匠海さんの手とハンカチで、一度触れたら、もう離せなかった。


「知らない……、でも、やだ。詩音、匠海さんといたい……っ」

「その男は誰だ?」


 冷たい声がした。