詩音と海と温かいもの

 聞いたことのないような、低い声だった。

 見上げても、匠海さんは女の人の方を向いていて、どんな顔なのかわからなかった。

 でも、なんとなく、昔美海を怒らせたときのことを思い出した。


「そ、そんな言い方しなくたって」


 女の人はたじろいだ声で言った。

 その人の顔も、匠海さんの背中で見えなかった。


「しかも俺、休憩時間っすよ。俺じゃなくたっていいっしょ」

「でも、多いし、川瀬くんに」

「はー。ごめんね、詩音ちゃん」


 匠海さんはまた振り向いて、私の肩に置いていた手で、頬を撫でた。


「ん、いいよ。またね」

「うん、また」


 今度こそ匠海さんは行ってしまったけど、去り際に、女の人から思いっきり睨まれた。

 さっきの嫌な感じが、戻ってきちゃった。

 なんだかな。

 美海と夜と顔を見合わせてから、少し離れた場所のベンチに座った。

 三人で並んで焼きそばを食べる。


「おいしい」

「お兄ちゃんが美味しいって言うだけある」

「僕も今度教わろう」

「何か詩音、田崎ほのかを思い出した」


 私が言うと、美海は吹き出して、夜は顔をしかめた。

 田崎ほのかは、美海と夜の幼馴染だ。

 一時期、夜のことが好きで、美海のライバルみたいになっていたのだ。

 夜にバッサリ振られて、諦めたあとのことは、知らないんだけど。


「まあ……似たようなものだと思うよ」


 渋い顔のまま、夜が言った。


「匠海さんが詩音を抱きしめたら、すごい顔してたから」

「そなの?」

「詩音には見えなかったもんね。すごかったよ」


 美海が焼きそばを箸で集めながら笑った。

 そんなに……?


「匠海さんもアレだけどね。あそこまで、べったりするとは思わなかった」

「うーん、お兄ちゃんがあんなに甘えるのは、ちょっと驚いたな」


 匠海さんの部屋にいるときは、ずっとあんな感じでくっついていることは、黙っていることにした。

 でも、そっか。

 あの人は匠海さんのこと、好きなのかあ。


「……あの人が匠海さんのことが好きなら、詩音、あんまり匠海さんの部屋に行かないほうがいいかな」

「それ、お兄ちゃんに言ったら怒るよ」

「え、そうかな」

「そうだよ。ね、カルメ焼き作りに行こうよ」

「美海、カルメ焼きってなに?」

「しゅわしゅわ〜って膨らむ、甘いお菓子」

「なんにもわからなかったけど、お菓子なんだね」


 夜は笑顔で頷いて立ち上がった。

 相変わらず夜は美海に甘い。

 私も立ち上がって、美海と夜と並んで歩き出した。


 嫌な感じは残っていたけど、それを言葉で言い表せなかった。