詩音と海と温かいもの

 夕方、私はバイトに行く匠海さんを見送った。

 鍵を閉めて振り返ると、部屋がなんだか広く感じられた。

 あ、ヤバい。今日二回目の「ヤバい」だ。

 想像以上に寂しい。慣れ親しんだはずの部屋が、急に知らない場所みたいになって、私はここで一人ぼっちだ。


 慌てて部屋に戻って、匠海さんが使ってる毛布を被った。

 寝ていよう。起きていたら、たぶん涙が出る。

 本当は勉強しなきゃいけないけれど、寂しくて手につかなかった。

 ベッドに上がって枕に突っ伏すと、匠海さんの匂いがして、胸が少し落ち着いた。



 次に目が覚めたときは、もう夜だった。

 ちょうど匠海さんがバイトを終えると言っていた時間だったから、起き上がってシャワーを浴びた。

 風呂から上がると、匠海さんから「帰る」と連絡が来ていて、ほっとした。

 パジャマを着て、匠海さんの布団を被りながら玄関で参考書をめくった。

 しばらくすると、外の廊下から足音がして鍵が動き、匠海さんが帰ってきた。


「ただいま……って、何してるんだよ、そんなところで」


 匠海さんは苦笑して、私の隣に座ると靴を脱いだ。


「あのね、思ったより寂しかったから待ってた」

「まさか、ずっと玄関にいたの?」

「ううん。寝てた。さっき起きてシャワー浴びてから、ここに座ってたの。お帰りなさい、匠海さん」

「ただいま。餃子と炒飯と杏仁豆腐買ってきた」

「ありがと」


 ビニール袋を受け取って立ち上がった。

 袋はテーブルに、布団はベッドに戻しておく。

 手を洗った匠海さんが戻ってきたので、いつもは向かい合って座るけれど、今日は並んで座った。


「あー、疲れた。俺もちょっと食うわ」

「一緒に食べよ。いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。えっと、杏仁豆腐だけ俺が作った」

「そうなの? 楽しみ」


 匠海さんの横にくっついて餃子を食べた。

 餃子はまだ少し温かい。炒飯も半分こして、杏仁豆腐は全部私にくれた。


「シャワー浴びてくるから、先に寝てて」

「うん」


 頷いたものの、まだ寂しくて起きたまま教科書をめくって待つことにした。

 すぐに匠海さんが出てきて、一緒に歯磨きを済ませてからベッドに向かった。


「私、そんなにさみしがりじゃないと思ってたけど、全然そんなことなかった」


 匠海さんの腕の中で目を閉じた。胸元に顔を押しつけると、強く抱きしめられて、ようやく胸の寂しさが和らいだ。


「そうなん?」

「うん。匠海さんが帰ってきてくれてよかった」

「ここ、俺の部屋だし」

「そうなんだけどね」


 顔を上げて、匠海さんの喉に顔を押しつけた。


「痛いけど」

「ごめん」


 謝るけど、止めない。おでこに少し伸びたひげが刺さった。


「泣いてる?」

「泣いてない」

「ごめんね、置いていって」

「謝らないで。匠海さんはバイトだったんだし。でも、もう留守番はしない。寂しくなるから」

「ごめん」

「いいよ。抱っこしてて。匠海さん、おかえりなさい」

「ただいま、詩音ちゃん」


 ぎゅうぎゅうしがみついていてたら、温かくて、寂しくなくて、私はもう一人じゃなかった。