詩音と海と温かいもの

 ……匠海さんに見合う私になれているといいなあ。確認はできなかったけど。

 上がった先は広々としたエントランスで、その向こうに大きな窓が広がっていた。

 匠海さんが名前を告げると、窓際の席へと案内された。

 メニューを見た匠海さんが、声を潜めて私の方に顔を向けた。


「フレンチのコースらしいんだけど、食べ方分かる?」

「えっと、最低限は。学校でマナー講座があったから」

「マジか。俺、全然わかんないから助けて」


 そう言って眉を下げた匠海さんはいつもの匠海さんで、ちょっとかわいくて、つい笑っちゃった。


「ふふ、わかった。えっとね、ここメイン料理が魚とお肉、それぞれ選べるから、注文の時にどれがいいか伝えよう。あと飲み物と、食後のコーヒーと紅茶も選べるね」

「な、なるほど……?」

「分からなければ聞いちゃって大丈夫だと思うよ。匠海さんの先生からもらったチケットなんだよね?」

「うん。そっか、そうだよな。これも授業だわ。ありがと、詩音ちゃん」


 匠海さんは落ち着いた表情に戻り、背筋を伸ばした。

 手を軽く上げて店員さんを呼んだ。


「えっと、メニューの内容について教えてもらってもいいですか?」

「かしこまりました。当店のコースは七品のお料理を順次お出ししておりまして、まずはアミューズと呼ばれる先出しからお出ししております。本日は季節の野菜をふんだんに使用した――」


 匠海さんは真剣な表情で頷きながら聞いていた。

 かっこいいなあ。

 私はほとんど説明を聞かず、匠海さんの顔ばかり見ていた。


「ご丁寧にありがとうございます。そうしたら、俺……私は魚料理はこちらで、肉料理は……をお願いします。詩音ちゃんは何にする?」

「あ、はい。私は……」


 注文を終え、メニューを返す。

 匠海さんは軽く息をつき、苦笑した。


「やー、いろいろ聞けて楽しかったけど緊張したわ」

「ふふ、かっこよかったよ」

「どこが? もう焦っちゃって冷や汗止まんなかったよ」

「真剣にメニューの話を聞いてるところ。匠海さん、本当に料理や食べ物のこと好きなんだね」


 私がそう言うと、匠海さんは照れたような表情で横を向いてしまった。

 つられて窓の外を見ると、遠くの海が光って見えた。


「すごい、いい眺めだね」

「だな。夜景もすごいんだろうな」

「そりゃそうよ」


 低い声がして振り向くと、コック姿のおじいさんが笑っていた。

 匠海さんは目を丸くして、頭を下げた。


「先生! あ、えっと、お邪魔してます……?」

「よせよせ、硬くならなくていい。今日は気楽に楽しんでいってくれ」

「ありがとうございます。料理、楽しみにしてます」

「そちらは、妹さんかい?」


 先生が私を見た。

 匠海さんは笑って首を振った。


「妹の友達です。学校近くの女学院に通ってて、寮暮らしなので、たまに飯に付き合ってもらってます」

「矢崎詩音です。川瀬さんにはお世話になっています」


 頭を下げると先生が首を傾げた。


「矢崎……? 矢崎重工のお嬢さん、か?」


 匠海さんが怪訝そうに私を見た。

 だから曖昧に頷く。


「……はい。ただ私は父の仕事については詳しくなくて。兄と姉がいるので、任せきりなんです」

「そうかい。矢崎のお嬢様の口にも合う、絶対美味いものを出している自信があるから、楽しんでいってくれ」

「はい、ありがとうございます」


 もう一度軽く頭を下げて先生を見送った。

 匠海さんは手元の水を飲んでから私を見た。


「詩音ちゃんって、もしかしてけっこうなお嬢様?」

「……どうかなあ」


 あーあ。

 匠海さんにはバレたくなかった。

 世間から見たら矢崎のお嬢様かもしれないけど、家の中では詩音は見捨てられてて、いないも同然の扱いなのに。


「ごめんね、匠海さん。黙ってて。その……私、あんまり」

「いーよ、言わなくて」


 匠海さんが明るく笑った。

 笑顔が眩しくて、目がしょぼしょぼする。


「無理に言わなくていいよ。そんな顔すんなって。あ、来たよ。アミューズだっけ。美味そうだし、先生が作ったんなら絶対美味いから」

「うん。いただきます」