詩音と海と温かいもの

 今この瞬間も、俺は必死に耐えていた。

 小崎町に向かう電車のボックス席で、詩音ちゃんは俺の隣に座っていた。

 俺の腕にもたれかかりながら、美海や夜の話をしている。

 夏だから薄着で、寄せられた身体は柔らかい(そしていい匂いがする)。


「ねー、匠海さん、聞いてる?」

「……ごめん、聞いてなかった」

「最近、なんかぼんやりしてない? 疲れてる?」

「……そういうわけじゃねえけど」


 見ると、詩音ちゃんがしょんぼりした顔になっていた。

 でも、こんなことを言って引かれないだろうか。

 キモいとか変態とか思われたら嫌だなあ。


「ごめんね、匠海さん。忙しいのに付きあわせて」


 詩音ちゃんは、何も言わない俺を気にしてか、泣きそうな顔で距離を取った。

 ああもう。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。


「……ごめん、詩音ちゃん」


 詩音ちゃんの顔を覗き込むと、眉間にシワを寄せていた。


「疲れてるとか、詩音ちゃんが嫌とか、そういう話じゃねえんだ」

「……ほんとに?」

「本当に。俺が、詩音ちゃんのこと好きすぎて、対応に困ってるだけ」


 そういうと、やっと眉間のシワが消えた。


「どういうこと?」

「あのですね……」


 話し始める前に辺りを見回して、他の乗客が近くにいないことを確かめた。

 それから少し身をかがめて、詩音ちゃんにだけ聞こえる距離まで近づいた。


「男ってのは、みーんなバカでスケベであることを前提に聞いてほしいんですけど」

「みんな?」

「みんな。程度の差はあるけど、まあだいたいみんな。もちろん俺も」


 詩音ちゃんはきょとんとした顔で俺を見上げた。

 彼女の胸元を見ないようにして話を続けた。


「詩音ちゃん、高校生になって体型が変わっただろ? それで、俺はドキドキしてます」

「ドキドキ?」

「うん。女の子らしくなって……手を出したくて堪らないから、あんまりじろじろ見ないようにしてる」


 詩音ちゃんはやっぱりきょとんとしたまま、首をかしげた。


「匠海さんは、私とえっちなことをしたいってこと?」

「言い方!! したいよ! したいに決まってるだろ!?」

「わ、びっくりした。そ、そうなの……」

「ごめん……」


 つい声を荒らげてしまった。

 もちろんしたいよ!


「してもいいけど」

「しません!」

「ふうん」


 詩音ちゃんは唇を尖らせた。

 本当にバカでスケベで申し訳ないけど、そういう顔されるとキスしたくなるから止めてほしい。


「匠海さん、我慢してるんだ?」

「してます。二年くらい、ずっと我慢してます」

「そっかあ」


 詩音ちゃんはなぜか嬉しそうな顔で、また俺にもたれかかった。


「詩音ちゃん?」

「なあに?」

「俺の話、聞いてた?」

「聞いてたよ。私とえっちなことがしたいけど、我慢してるんでしょ」

「……うん」

「それが、私には嬉しいんだって」


 全然意味が分からなかった。

 俺に我慢させて、何が嬉しいというのだろう。


「私、匠海さんより五つ年下でしょう? お子様だから手を出す気にならないのかなって、ちょっと思ってたんだよね」

「はあ? はあ!?」

「だから、そんなことないってわかって嬉しいの」

「詩音ちゃんのばか」

「えへ」


 詩音ちゃんは嬉しそうな顔のまま俺の腕にもたれかかり、手をつないで指を絡め、ニコニコしている。

 あーあ。

 この子が大人になるまで、あと一年半。

 俺は耐えきれるのだろうか。

 絡めた指をそっと握って、そっぽを向いた。