詩音と海と温かいもの

 匠海さんと私、矢崎詩音が両思いになって一年が経った。

 一年が経っただけで、付き合い始めたわけでも、キスしてもらえたわけでもない。

 私の勉強が忙しくて会えないことが多かったけど、その分、会えた時にはたっぷり甘やかしてもらえたから、それで我慢してた。



 今日は私の中学校の卒業式。

 ほとんどの同級生はそのまま付属の高校に上がるから、そんなに盛り上がったりはしないけど、それでもなんとなく感傷的な気分にはなった。


「詩音ちゃん」

「パパさん、ママさん! 来てくれてありがとうございます」


 川瀬家のパパさんとママさん、そして匠海さんが保護者として卒業式に来てくれた。

 遠いのに申し訳ないけど、でもすごく嬉しい。


「美海たちの卒業式は来週なんですよね」

「そうなの。詩音ちゃんもそれまでに帰ってらっしゃいね」

「はい!」


 パパさんが車を出してくれたから、駐車場に向かう。

 ……その途中で声をかけられた。


「詩音」

「……お父様、お兄様」


 私を呼んだのは父で、兄も一緒にいた。

 来るなんて聞いてなかったのに。


「娘がお世話になっております」


 何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか分からなくておろおろしているうちに、父は川瀬さんご夫婦に頭を下げた。そのまま大人たちが話し始めて、兄が無表情で私を見下ろした。

 兄はすぐに、私の横へと視線を移した。


「川瀬匠海さんでしょうか」

「はい。詩音さんのお兄さん、ですね?」

「はじめまして、矢崎一也と申します。妹がお世話になっております」


 兄が匠海さんに軽く頭を下げた。

 私は、兄に関わりたくないし、匠海さんにも関わらせたくなかった。

 兄と匠海さんの間に割って入る。


「兄さん、なぜいらしたんですか」

「妹の卒業式に兄が来てもおかしくないだろう。申し訳ありません、川瀬さん。妹は礼儀知らずで」

「いえ、詩音さんとは親しくさせていただいております」


 匠海さんが穏やかに答えた。

 大きな手が私の肩に乗って、少し安心できた。


「……川瀬さんは、なぜ詩音が実家で疎まれていたかご存じでいらっしゃいますか?」

「兄さん、なにを」

「なんだ、言っていないのか。相変わらず、嫌なことからは逃げてばかりなんだな」

「なっ」


 言い返す前に、肩に乗っていた手が私を後ろに引いた。

 見上げると匠海さんが穏やかに笑って私を見ている。


「矢崎さん。僕は詩音さんが言いたくないことなら、無理に聞こうとは思いません。それは逃げではない」


 兄が、目をきゅっと細くした。

 匠海さんは気にもしていないように、柔らかく微笑んでいる。


「それに今日は詩音さんのハレの日です。まずは卒業を祝うべきでしょう」

「……詩音、卒業おめ」

「祝わなくていいです。思ってもないこと言わなくていいから、もう私の前に現れないで」

「詩音ちゃん」

「ごめんなさい、匠海さん。せっかく、かばってくれたのに」


 私は、匠海さんの手に自分の手を重ねた。

 匠海さんが不安そうな顔をしたから、私は笑ってみせた。


「ありがとう、匠海さん。……兄さん、私が母様に嫌われている理由なんて、今ここで言う必要はないでしょう?」

「一緒にいたいと思うのなら、きちんと説明すべきだろう」

「そうかもしれませんけど、それは私が、私のタイミングで話すことです。初対面の人が偉そうにバラすなんて、趣味悪いよ」

「兄になんて口の利き方をするんだ」


 兄に、思いっきり睨まれた。その顔は母にそっくりだったけど、なぜだか私はもう怖くなかった。


「図星を突かれて逆ギレするの、お母様にそっくりですね。帰ってください。ここで騒いで恥を掻くのはお父様です」


 できるだけ落ち着いて話したつもりだけど、兄は顔を赤くして黙り込んでしまった。

 それに気づいたのか、川瀬さんたちと話していた父がやって来た。


「一也、どうしたんだ?」

「詩音が俺に逆らうんだ」

「……お前は、まだそんなことを言っているのか。詩音、わたしたちは先に失礼する。許せとは言わないが、一也はお前の母親にスポイルされていてな」

「知っています。でももう私と引き合わせないでください。私、その人嫌いです」

「そうか」


 怒られるかと思ったら、父はなぜか面白そうに笑った。


「わかった。今後はそうしよう。……お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。失礼いたします」


 父は川瀬さんたちと匠海さんに軽く頭を下げると、兄を連れて帰っていった。

 何だったんだろう。

 匠海さんが頭を撫でてくれたから、まあ、いいか。